第3話 「屍鬼のカルテ2」
「私が、逢魔時の日、千年京にいた……?」
地面に転がったまま、モモは頭だけを動かして呟いた。土の冷たさが頬に伝わる。
私が屍鬼……。亜蓮さんのお姉さんを、食べた……?
――何それ……ぜんっぜん意味わかんない……!!
ギリッと牙を鳴らす。胴体と頭は離れているはずなのに、胸の奥から怒りが突き上がり、視界が赤く染まる。
「千助さんッ!!」
「ヒィッ!?」
「私の首拾って!!」
「ハィイッ!! こちらでございます!!!」
千助が猫のように飛び上がって、土下座する勢いで生首を差し出す。首無しの体はよろめきながら近づくが、案の定足がもつれてぐしゃりと倒れた。
「イヤァ! アニキしっかりしてぇ!!」
「ああもうッッ!!」
苛立つモモの上から、花緒の声が氷のように落ちる。
「何も覚えていないんですね」
「覚えてるわけないじゃん!!」
怒りに任せに、モモは花緒に怒鳴った。覚えてるも何も本当に知らないのだ。
「遠都の病院なんか来たことないし!! ていうか前に話したよね!? 私お姉さんのことどころか、亜蓮さんの家のことも逢魔時のことも――」
言いかけて、モモの声が途切れた。
――私のお母さんって、今どこにいるんだっけ?
視界の端がじわじわと暗くなる。
窓一つない部屋。壁に並ぶ鉛筆の正の字、アナログ時計の音。枕に絡まった長く伸びた髪。私は白いワンピース一枚しか着てなくて、あんなに優しかった叔母さんの声はいつも冷たくて。
「なんで私……あの部屋にいたんだっけ……?」
モモの声が震えた。
遠都の病院……自分の家……母親との別れ……。
――何も思い出せない。
花緒と御之は、何かを確信して静かに目を見交わす。
「……モモさん」
花緒が、祈るような覚悟を瞳に湛えて口を開いた。
「これから話すのは、私と御之が調べた、限りなく真実に近い……事実です」
* * *
――某日。廃病院の診察室。
「……どういうことですか?」
モニターを睨んでいた花緒は、乾ききった喉をこじ開けるように声を絞り出した。
「モモさんがこの病院に来ていたと知っていたんですか?」
「まさか。しらみ潰しに探したに決まっとるやん」
次々カルテを切り替える御之に倣い、花緒も急いで画面を追う。受診回数こそ少ないが、間違いなく来院を重ねている。
「……ほぼ決まった曜日に受診してますね」
「かかりつけが二つあったんやろ。住所は遠都と山を挟んだ市境のど田舎や……。いつもの病院が休みの時だけこっちに来とったんやろな」
それなら有り得る話だった。亜蓮と雪乃も、二つのかかりつけ病院を掛け持ちしていた。それに、近隣の病院同士敢えて休診日をずらすことも多い。
(記録は単なる風邪。処方薬も珍しくないもの。問題は受診日……)
逢魔時発生時刻は16時だ。モモの来院は15時頃――約1時間前。病院と自宅の距離を考えるに、モモは遠都市内で逢魔時に遭遇した可能性が高い……。
「おかしい……! モモさんは逢魔時の記憶がまるでなかったんですよ!? あれだけの惨劇を、遠都近辺にいた人間が知らないはずが――」
「もしそん時、死んでたんやとしたら?」
「まさか!?」
「何が起こったかわからんまま死んだんなら、記憶が無くても不思議やないな」
冗談ではない目つきだった。花緒の背筋がみるみる冷えていく。
――モモさんが、死んでいた?
あの日、何が起こったかもわからないまま?
悪い予感を脳が拒むみたいに、モモの明るい無邪気な笑顔が浮かんだ。どくどくと嫌な速さで心臓が鳴る。
……御之の思考が読めた。
――千年京では神仏霊妖が実体化する。
間違いない。この男はモモを異形の一種だと疑っているのだ。死んだモモが、異形となって動いていると。
「……ありえない。異形は結界を超えられないはず。モモさんは外界から来てるんですよ?」
「その通りや。でもモモちゃんには例外が起きた。そうとしか考えられへん。」
数分後、全カルテを遡り終えた御之が重たい声を落とした。
「命に関わる事故や病歴はない……。逢魔時で死んだとしか考えられへんな……。モモちゃん、なんか気になること言うとらんかった?」
「い……いえ。お母様との思い出話を少し……でも本人のことはあまり……。話題もよく飛ぶ子でしたし……」
「記憶の欠落と混濁……死者なら有り得る話やな……」
「待って!! 整理させて……! そもそもどうしてモモさんが死者だなんて? その前提が間違ってる可能性は!?」
混乱する額に手を当てると、御之は黒いガラケーを開き画面を見せてきた。不気味に浮かぶ少女のドット絵。並ぶ式神文字の羅列は意味不明でも、映っているのは鬼としてのモモの情報なのだと直感する。
「モモちゃんと試しに契約した。あの子の正体は屍鬼や。こんな悪趣味な種族名、いっぺん死んだ奴にしか出ぇへん」
花緒の心臓が一瞬で凍りつく。
「今は亜蓮の力で『祝鬼』に覚醒しとるけどな……。それにしたってモモちゃんのあの火力は出来過ぎとる。戦い方もまるで体が思い出しとるみたいやったし、素人がバケモン相手に躊躇なさすぎや。なんか裏があると思とった……」
ガラケーを睨む御之は、脚を揺らしながら焦りを隠せていない。彼だってこんなこと悪い冗談だと思いたいのだろう。モモのことを可愛がる御之の言動に、嘘や打算は見えなかった。
「それに屍鬼は戦闘向きの異形やない。あの動き、最低でも一人は手練れを喰っとる。屍鬼は喰った相手に成り代わるか、力を奪えるからな……」
カルテを細かく切り替え、冷静に分析しながらも、御之の表情は強張っていた。
「母子家庭の一人娘、母親の職業は看護師……平日休みでもおかしくないな……。多分、風邪引いて母親に車出してもろてここまで来たんやろな……。そして帰り道で逢魔時に遭うた……」
呆然と立ち尽くす花緒の目に、最悪の映像が流れる。
季節の変わり目に風邪を引いた娘。山越えで車を走らせる優しい母親。薬を受け取り、ほっと笑顔が戻る帰り道。僅かに西陽に染まる空、流れる木々。世界が赤く染まり、突然目の前に現れた異形が襲い掛かる――。
鋭い急ブレーキ音。少女の悲鳴と共に、視界が真っ赤に染まる。
――お母さんっっ!!
「――っ!」
花緒が悲鳴のような息を呑んだ。何かに気づいたような声に、御之が顔を上げる。
「どうした?」
「……ついて来てください」
居ても立っても居られず、花緒は踵を返した。二人が来たのは夜の山道だった。曲がりくねる道の途中、花緒は真っ暗な斜面を見下ろした。
結晶が宙に浮き、薄碧の光だけが二人の輪郭を照らす。
「……ここは?」
「亜蓮様のお姉様、雪乃様のご遺体が見つかった辺りです」
「亜蓮の姉ちゃんて、なんや武芸が達者やったっていう……」
唇を引き結ぶ花緒の表情を見て、御之の中で嫌な予感が這い上がる。
「おいおい……冗談やろ……?」
場所は、モモの車が通ったであろう道と一致していた。すぐ側には車の急ブレーキ痕。破れたガードレール。
――屍鬼は、喰った相手の力を奪う。
「あの子の強さは亜蓮様に似ているだけだと思ってました。でも……」
震える声で呟くと、花緒は斜面を降り始めた。御之も無言で続き、二人で冷たい林の中を降りていく。
雪乃の遺体が見つかった場所を過ぎ、更に下へ。ここらか先は、まだ調べたことがない。
――思い返せば、雪乃の遺体は炎に焼かれて顔の判別がつかなかった。屋敷から続いていた血痕と、そばに落ちていた雪乃のブレスレット、背格好だけで彼女と判断していた。だが今思うと、当時14歳だった雪乃とモモは、体格が似ている。
最悪の予感だけが体を動かす。ただ、あの焼死体は本当に雪乃だったのか、もう自信などなくなっていた。
そして、その冷たい闇の中に――。
「あった……」
呆然と、花緒は呟いた。
ボンネットが大破し、フロントガラスが砕け散った赤い軽自動車が一台。無惨に横転したまま、闇の中で人知れず朽ちようとしていた。
御之が無言のまま進み出て、ひしゃげたナンバープレートにスマホのライトを向ける。モモの自家用車のナンバーは既に調べてあった。
「……モモちゃんの車や」
花緒の膝が崩れそうになる。
――モモはあの日、ここで死んでいた。
そしてその魂だけが、屍鬼となって動き出した……。
「モモさん……」
放心状態になって花緒が呟く。御之は静かにライトを車内に向けた。
致死量のおびただしい血痕。後部座席へ身を乗り出すように、母親と思しき人型の土塊があった。
千年京で死んだ人間は、瘴気に溶かされてこうなる。ただ――モモの遺体が何処にもない。
「花ちゃん……」
立ち上がり、御之が低く呟いた。何故、花緒はここに御之を連れてきたのか。何故この場所がわかったのか。
花緒の中にある暗い予感に、御之も気付き始めていた。
モモの力の源は何なのか。つまり――屍鬼は誰を喰ったのか。
「花ちゃん……俺も流石にそこまで鬼畜なこと考えへんて……」
「……」
花緒は立ち尽くし、その手は握りしめることもままならずに震えていた。
だが、全身の震えを振り切ってスマホを取り出した。もう一人、モモの素性を外界から追ってくれている男がいる。
着信履歴から彼の名前をタップする。時間は深夜だが、この時間でも間違いなく出る。
(ただの女の子が、モモさんが鬼などになるはずがない! まして事故の被害者……こんなのはおかしい……! お願い……違っていて……!)
こんなのはあんまりだ。あってはいけない。祈るような気持ちで、耐えるようにコール音を聞く。
そして、通話が繋がった。都会の星々を背に、優しく笑む男が愛しい人の名前を呼ぶ。
『――やあ、花』
甘やかな優しい低音――婚約者・慈雨月の声に、花緒はごくりと唾を飲んだ。
更新が遅くなり申し訳ありません…。
お読みいただきありがとうございます!そして、10000PVを超え、本当にありがとうございます!!
次話でミステリーパートは一区切り!
どんなに闇に染まりかけても、明るくあろうとすることを手放さない、光を目指してもがき生きる人間が好きなので、そういうものを書きたいです。
第一章第1話冒頭だけ出てきた、モモを軟禁していた叔母さん。ちょっと読んでおくと、次話色々気づいて面白いかもしれません。
面白かった、次が気になる、など思っていただけたら⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎やブクマや感想等で応援いただけると嬉しいです!




