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第4話 「焼け落ちていく」



 花緒(はなお)は新幹線の車内を駆け回っていた。

 

 気分が悪くなった乗客が次々と崩れ落ち、呻き声が絶え間なく響く。門から現れた巨人が町を侵食し始めた瞬間から、空気は粘り気を帯び、重たく肌にまとわりつく異様な力で満たされていた。


「しっかり……」


 乗客を座席に横たえながら、花緒は車窓の外に視線を送った。無数の異形が、屋敷の方角へと殺到している。


 歯を食いしばりながら、花緒は苛立ちを押し殺した。今は目の前の人々を助けるしかない。それが、今の彼女に課せられた使命だとわかっていた。それでも、一刻も早く屋敷に戻りたいのに……!


 ――その時、突然空気が音もなく張り詰める。

 

 鏡面の水を思わせる静寂が体を貫く。大地を揺るがす見えない波が全身を駆け抜け、体が宙に浮く感覚に襲われた。


 ――幻覚のような体験に、花緒の息が止まる。


「今のは……」


 呆然と辺りを見渡した時だった。


「おい、見ろ!」


 乗客の男が窓の向こうを指差し、花緒はハッと顔を上げた。流れる景色の中、町全体を覆うように降りてくる巨大な半透明のドームが見えた。


 黒い瘴気がものすごい勢いでドームに吸収されていく。(かすみ)がかったすりガラスのようなそのドームは、黒い巨人の影、門や瘴気、町全体を一瞬で覆い隠し、外界との繋がりを完全に断ち切った。


 車内の空気が劇的に変わった。重圧が消え去り、肌を刺すようだった死の気配も途絶えている。


「……っ、結界……なのか……?」

 

慈雨月(じうつき)様っ! お加減は……!?」


 ふらつきながらも身を起こす慈雨月に駆け寄る。青白かった慈雨月の顔は少し血色を取り戻し、弱々しくも口を開けた。


「急に楽になった……。何が、どうなった?」

 

「……私は、何もしていません」


 そう言いながら、拳を握る花緒の爪は手のひらに食い込んでいた。窓の外を見上げると、霞の向こうへと完全に消えた町がある。


(一体誰が、あんな超規模な結界を……)


 花緒は無意識に手を広げた。空気を感じ取ろうとするが、何もない。門から溢れていた魔力も、異形の気配も、全てが完全に断ち切られている。


「何も感じない……」


 握りしめた拳が震えた。


(締め出されたのか……! あの町から!!)


 悔しさと焦りが混ざり合い、怒りとなって花緒の胸を突き上げる。

 目の前で確かに、世界が切り離された。屋敷も、亜蓮(あれん)も、雪乃(ゆきの)も――みんな、結界の向こう側。


(一体誰が、何のために……!)


 その時、不意に慈雨月の胸ポケットでスマホが震えた。


「こんな時に……」


 震える手で着信に応答する慈雨月。だが次の瞬間、彼の表情が凍りついた。


「…………兄、が?」


 花緒は弾かれたように振り返った。その電話は、病床にあった亜蓮の父が急逝したことを告げる報せだった。



* * *



 屋敷は地獄そのものだった。

 

 炎で真っ赤に染まる視界。焼けた柱、無惨に崩れた壁、床一面を覆う血だまり。


 使用人や術師達の亡骸が無惨に横たわる。彼らも亜蓮達と同じだった。何が起こっているかわからないまま、成す術なく異形に蹂躙され殺されていた。


 雪乃は次々と襲いかかってくる化け物達を錫杖(しゃくじょう)で叩き伏せ、亜蓮の手を引き屋敷の縁側(えんがわ)を土足で駆け抜けていく。


「お母さんを助けるんじゃないの!?」


「だめ! 先に、この錫杖を、祠池(ほこらいけ)に返すの!」


「でもそれじゃ母さんが!!」


「みんなを助けるにはこれしかない! この錫杖に込められた力と龍脈を使えば、土地全体を浄化できるはず!そうすれば――」


 その時、雪乃の体が巨大な手に薙ぎ払われた。


「――ッ゛!!」


 繋いでいた手がちぎれ、亜蓮の体は障子(しょうじ)を突き破り和室へ投げ出される。


「亜蓮っ!」


 雪乃の体に鋭い痛みが走った。腕に突き刺さった木片を睨み、痛みを押し込めて立ち上がる。もがき苦しむ亜蓮の背後に巨大な鬼の影が迫っていた。


「こ、のおおおおおおおおお!!!」


 雪乃が腕の木片を握りしめる。その手から溢れた魔力が木片を眩い銀色に輝かせた。木片を引き抜きざまに投げ放つ。それが鋭い流星となって化け物の体を貫き塵に還した。


「うっ……」


 雪乃が膝をつき、強打した脇腹を押さえた。


「お姉ちゃん……! 掴まって……!」


 雪乃は無言で亜蓮の肩に掴まった。体を支え合いながら、二人は崩れかけた廊下を抜けていく。

 

 だが、中庭に出た瞬間二人は動けなくなった。祠池を覆う不気味な紫色の光。その中心に鎮座する、異形の巨影があったからだ。


 土と泥に木々が絡み合う巨大な体。黒ずんだ注連縄(しめなわ)。頭らしきところが蛇のように鎌首をもたげ、仮面に彫られた黒い切れ長の目と口が、笑みながらこちらを向いた。


 その時、雪乃の目が泥の中に光る黄金色を捉えた。


「母様!!」


 泥に埋まりかけた芽覚(めざめ)が顔を上げる。芽覚は声を振り絞った。


「雪乃、亜蓮ッ、逃げなさい!! ここはもう――」


「お母さん!!」


 亜蓮の悲鳴を遮り、轟音と共に燃え盛る木が倒れてくる。雪乃が鋭く錫杖を構えた。


「私が倒す!」

 

「だめよ! この方はここの土地神、殺しちゃいけない!!」

 

「でも!」


 芽覚の体がまた泥に呑まれる。だが、泥に塗れながらもその顔には愛おしい我が子を見る穏やかな微笑みが残っていた。


「あなた達は生き残りなさい……!」

 

「お母さんッ!!」

 

「亜蓮だめ!!」


 亜蓮が飛び出そうとし、雪乃は咄嗟に両腕で抱き止めた。


「でもお母さん!  お母さんがっ!!」


 嗚咽混じりに亜蓮がもがく。雪乃の視界は涙で歪みながらも、腕は決して亜蓮を抱きしめて放さない。

 

 芽覚は二人を見つめ、優しく微笑んだ。これが最後の別れだと悟っていた。


「雪乃……亜蓮を頼んだわよ」


 泥が芽覚を飲み込み始める。優しい黄金色が徐々に暗く沈んでいった。亜蓮の絶叫が、燃え盛る屋敷の中で響き渡る。


「お母さぁぁあああんーー!!」


 

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― 新着の感想 ―
緊張感がすごくて、読んでいるこっちまで息苦しくなりますね。結界の出現から屋敷の惨状まで一気に畳みかけられて、感情の振れ幅が大きいです。母との別れの場面は胸が締め付けられるようで切なかったです。
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