↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎と氷の帰還者――魔法が罪になった祖国で  作者: parupuntist
第三章 無謀な火

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/16

三 狭い通路

 通路は、狭かった。


 ふたりが並べば、肩がつかえる。天井は低く、壁の金具に、松明が点々と差してある。その先に、上へ続く石段があった。足音は、そこから降りてきていた。


「通路は、狭い」


 ネージュが、低く言った。


「横に並べるのは、ふたりまで。囲まれない。……槍は、前からしか来ない」


 学府の演習で、何度も聞いた声だった。演習の前に地図を広げて、どこでどう戦うかを決めるときの、ネージュの声だ。


「前からしか来ないなら」アッシュが言った。「前だけ見てればいい」


「そういうこと」


 最初に見えたのは、ランタンだった。


 片耳の欠けた看守が、それを掲げていた。腰に、鍵をみっつ通したひもを下げている。そのうしろに、槍を持った兵が続いていた。六人。黒い外套に、交差した二本の剣の印。


「――第二種は、残らず処分しろ、とのお達しだ」


 先頭の兵が言った。


「上の階は、もう済んだ。あとは、この底だけ――」


 奪われる前に、殺す。ヴァイスの言ったとおりだった。


 看守のランタンが、通路の先を照らした。


 開いた扉と、その前に立つ、ふたりの子どもを。


 看守の口が、ぽかんと開いた。


「……出てやがる」


 槍が、いっせいにこちらを向いた。


「アッシュ」


 ネージュが言った。


「三秒」


 アッシュは、待った。


 ひとつ。


 ネージュが、しゃがんで床に手をついた。


 ふたつ。


 白いものが、床を走った。石の上を、音もなく広がっていく。通路の幅いっぱいに、槍兵たちの足もとへ。


 みっつ。


「行って」


 アッシュは、手のひらを前へ突き出した。


 熱い空気が、壁になって通路を駆けた。槍兵たちが、顔をかばって足を踏ん張った。


 踏ん張ったその足が、凍った床の上ですべった。


 先頭のふたりが、もつれるように倒れた。倒れた体に、うしろの者がつまずいた。槍の柄が壁に当たり、天井に当たり、からからと床を転がった。


「魔法使いが――」


「ひるむな! 環が外れてやがる、網を――」


 先頭の兵が怒鳴った。網は、誰も持っていなかった。底の牢の囚人を殺すのに、網が要るとは思っていなかったのだろう。


 倒れていなかったひとりが、槍を投げた。


 まっすぐ、アッシュの胸へ。


 ネージュが、手を払った。宙に、白い板が生まれた。槍は氷の板に突き刺さり、そのまま凍りついて、床に落ちた。


「前だけ見てればいい、って言ったのは誰だっけ」


 ネージュが、横目でアッシュを見た。


 アッシュは、むっとして言い返した。


「……見てた」


「見てただけ。よけなかった」


 ネージュの言うとおりだった。


 アッシュは、壁の松明に目をやった。


 熱を、奪うのではない。押しこむ。炎が一瞬ふくれ上がり、それから、燃やすものを食いつくして、ふっと消えた。一本。二本。三本。


 通路が、闇に沈んだ。


 看守の落としたランタンだけが、床の上で、横倒しのまま小さく燃えていた。


 闇の中で、兵たちのうろたえる声がした。


 アッシュには、見えていた。


 熱を持つものは、闇の中でも、そこにいるとわかる。六つの体温が、凍った床の上に散らばっていた。起き上がろうとする体温。はって槍を探す体温。いちばんうしろで、じっと動かない体温。看守の体温は、もう石段のほうへ逃げかけていた。どこに誰がいて、誰が槍を握っていて、誰が落としたのか。全部、見えた。


 石段の下で、じゃらりと音がした。看守が、腰の鍵を落としたのだ。その体温は、拾いもせずに、石段を駆け上がっていった。


 闇は、アッシュの味方だった。


 立ち上がりかけた兵が、槍を構え直した。アッシュは、その穂先だけに熱を集めた。穂先が赤くなり、だいだいになり、やわらかくなった。槍の先が、花がしおれるように垂れ下がった。兵は、自分の槍を見て、声にならない声を上げた。


 ネージュが、ランタンの小さな光の中を、すべるように進んだ。


 槍を拾おうとした兵の手に、指先でそっと触れる。兵の指が、白く曇った。握ろうとした槍が、指からこぼれ落ちた。


「手が……手が、動かねえ」


「すぐ戻ります」


 ネージュは、そっけなく言った。


「凍らせたわけじゃありません。感じなくしただけ」


 体が、軽かった。


 十年かけて覚えたことが、全部、指の先にあった。どこに熱を置けば、何が起きるか。考えるより先に、手がわかっている。ネージュの氷がどこへ伸びるかも、見なくてもわかった。学府の演習場で、何百回もやったとおりだった。対抗試合で、ふたりに勝てた組は、一組もなかった。


 殺さなくていい。


 槍を使えなくして、足を奪って、道をあければいい。それだけで、いい。


 ネージュが、壁に手をついた。


 通路の途中に、氷の壁が立ち上がった。倒れた兵たちと、こちらとのあいだに。分厚く、白く、向こうが透けて見えない。


 壁の向こうの体温が、ふっと見えなくなった。分厚い氷は、熱もさえぎるのだ。


「これで、終わり」


 ネージュが振り返った。


「あとは、向こうが引きあげるのを待てば――」


 そのとき、アッシュは見た。


 氷の壁の端。通路の石の壁とのあいだに、わずかな隙間が残っていた。


 そこから、槍が一本、突き出てきた。


 若い兵だった。いちばんうしろで、じっと動かなかった兵だ。転ばずに、仲間の陰で、すきをうかがっていたのだ。


 穂先は、まっすぐ、振り返ったネージュの背中へ向かっていた。


 考えるより先に、手が動いた。


 十年で、いちばん速い熱だった。


 しぼることも、狙うことも、しなかった。


 炎が、隙間ごと、兵を飲みこんだ。


 悲鳴は、短かった。


 槍が、からん、と床に落ちた。


 炎が、消えた。


 氷の壁の端が、溶けて崩れ落ちていた。


 通路に、焼けた匂いが満ちた。さっき牢でかいだのと、同じ匂いだった。今度は、自分の匂いではなかった。


 アッシュは、動けなかった。


 崩れた氷のそばに、兵があおむけに倒れていた。床のランタンの光が、そこまで届いていた。炎は、胸から下を焼いていた。顔だけが、焼けずに残っていた。


 そばかすのある顔だった。


 口が、少し開いていた。何か言いかけたまま、止まっているような顔だった。


 ノイと、同じくらいの歳の少年だった。


「ヨラン!」


 氷の壁の向こうで、誰かが叫んだ。


「ヨラン、おい、ヨラン――」


 返事は、なかった。


 アッシュは、その名前を聞いた。聞いてしまった。


 仇を、名前で呼ぶことさえできない。牢の中で、そう思っていた。いまは、自分が誰かの仇だった。そして、自分が焼いた相手の名前を、知っている。


 闇の中で、その体温が、ゆっくりと薄れていくのが見えた。見たくなかった。見えてしまった。


 手のひらで、まだ火が燃えていた。


 消そうとした。消えなかった。消し方が、わからなかった。十年かけて覚えたはずなのに。灼くより消すほうが難しい、と父は言った。その難しいほうが、どこかへ行ってしまっていた。


 冷たいものが、手のひらを包んだ。


 ネージュの両手だった。


 火が、湯気になって消えた。


 ネージュは、何も言わなかった。アッシュの手を握ったまま、倒れた兵を見ていた。自分の背中へ来るはずだった槍を、見ていた。


「……行こう」


 ヴァイスが言った。


「立ち止まったら、次は僕たちの番だ」


◇


 氷の壁の向こうで、足音が逃げていった。石段を、転がるように上がっていく。ヨランの名を呼んでいた声も、いっしょに遠ざかっていった。誰も振り返らなかった。


 上で、扉の閉まる音がした。鍵の回る音は、しなかった。


「底の囚人が、環を割った!」


 誰かの叫び声が、上の階を遠ざかっていった。


 崩れた壁の端を抜けるとき、倒れた兵の横を通った。アッシュは、見なかった。見なくても、そこにあるのはわかった。体温は、もうなかった。


 石段の下に、鍵のひもが落ちていた。さっきの音は、これだった。


 ネージュが、それを拾った。


 石段を上がりながら、ネージュが、小さく言った。


「……ごめん」


「謝るな」


 アッシュは、前を向いたまま言った。


 それきり、ふたりとも黙った。握った手だけは、離さなかった。


 石段を上がると、もうひとつ上の階の通路に出た。


 牢の扉が、並んでいた。どれも、開いていた。


 中を、アッシュは見なかった。ネージュも見なかった。


 ヴァイスだけが、ひとつずつ、のぞいていった。誰かを探すように。


 見つからなかったようだった。ヴァイスは何も言わず、また歩きだした。


 最後の扉にも、錠はおりていなかった。錠をおろすための鍵は、ネージュの手の中にある。


 扉を押し開けると、鐘の音が、急に大きくなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。