-
ズン、と、衝撃が走る。
その勢いに押し出されるように、意識は浮上していった。
*
目を開く。
容赦なく入り込んでくる光に顔をしかめながらも、視線だけで周囲を見渡すと、そこは大学の講義室だった。どうやらまた講義中に眠ってしまっていたらしい。
今日こそは夜寝るためにもちゃんと起きていようと思っていたのだが、睡魔に勝つことができなかったようだ。
ため息をつきつつ隣から感じる視線を辿り顔を上げると、そこにあったのは心配の色をたたえた真っ黒な瞳だった。
机に突っ伏す俺を、頬杖を突きながら見下ろすこの男の名前は伯木 秀輔。
前髪が伸びてきたのか無造作にセンターで分けているにもかかわらず、顔を動かすたびにさらさらと目にかかるそれを、うっとうしそうに振り払っている。
ブリーチで真っ白にしているという髪が綿毛みたいに揺れていて、寝起きで働かない頭のままぼんやりと目で追ってしまう。
ふわふわと霧散する思考のまま秀輔の髪の毛を見上げていると、再び軽い衝撃が体に走った。
その勢いで散らばっていた意識が目の前の人物に収束する。どうやら秀輔が俺の腰あたりを叩いたようだ。
なるほど、先ほど頭に感じた衝撃もおそらく同じだろう。俺を起こしてくれたのだ。ここ数日でいやというほど感じた衝撃に申し訳なさを募らせながらも小さく口を開く。
「……はよ」
「寝れた?」
返ってきたのはそんな問いかけだった。俺は覚醒したてでうまく動かない頭で答えを探す。そもそも最近はいつだろうと関係なくちゃんと動いていないのだけれど。
それはさておき、これは寝れたに入るのだろうか。目を閉じて意識レベルが低下していることを睡眠というのだったら、一応寝ていたということになるのだろう。しかし、体のだるさや疲れ、強い眠気と頭痛はむしろ寝る前よりも強くなっている。
しかも秀輔に起こされたということは、またしても魘されていたということだ。
「ん~」
何と答えていいのかわからず隣にだけ聞こえるように唸っていると、ポンポンと、先ほど衝撃を受けたところを無言ながらもいたわるように数度優しく叩かれる。その手のひらから心配が伝わってくるようでどこかこそばゆい。
こいつのこういうところがモテるんだろうな……。
少し垂れて柔和な雰囲気を醸し出す目と、常にゆるく上がっている口角。すらっとした体は意外にも肩幅が広く、頼りがいが感じられる。身長も俺より五センチほど高かったはずだ。同性から見てもイケメンだと認めざるを得ない秀輔は羨ましいぐらいよく女子から話しかけられている。
いや別に俺だってモテないわけじゃない、と思いたいのだが、秀輔の方が目立つからかそういえば大学生になってからはそういう意味で声を掛けられることも減った気がする。
「もうちょっと寝る?」
「んーいやぁ……いいや。疲れるだけだし」
そんな秀輔に、最近俺の睡眠はひどく心配されている。
理由はわかっている。なんてったってここ一週間ぐらい、俺は自分のうめき声に起こされるという生活をしているのだから。しかも長く寝ることもできず、毎回寝付いてから二時間と経たず起きるというのを朝まで何度も繰り返している。
目が覚めた瞬間には心臓がどくどくうるさく鳴っていて、呼吸も荒い。夢の内容なんて何も覚えていないくせに、イヤな感覚だけ脳裏にべったりとこびりついて離れない、という最悪の目覚めを味わい続けているのだ。
どうしてそうなっているのか、原因になりそうなことはなにも思い浮かばず、改善方法もわからない。ただ、寝るたびに寝汗をかいていて気持ち悪いわ、寝る前より体力を消耗してしんどいわ、寝不足で頭は痛いしふらふらするしで、ここ数日は小さなことですぐイライラしてしまうようになってきた。
目の下に現れた隈も相まって、俺の人相は今すこぶる悪いんじゃないだろうか。
もちろんこの状況を良しとしているわけではなく、早く何とかしようと秀輔とともにネットで調べた安眠方法を片っ端から試したりしている。今のところ効果は一ミリも感じられていないのだけれども。
くたくたになるまで運動をしてみたり、寝る二時間前に湯船に浸かるのがいいとあればそれだって実践した。初めてアロマなんて焚いたし、リラックスできるという呼吸法というのまで試したにもかかわらずだ。
何をしても必ず魘されて起きてしまう。
きちんと寝れていないせいで今週は日中も睡魔に勝つことができず、気がついたら大学の講義中も寝落ちしてしまうようになっていた。しかもこの時もしっかりと魘されているようで、毎回心配した秀輔に起こしてもらっていたりする。
最初は「すごい疲れた顔してるね」なんて笑われていたのに、それが続きすぎていて今では秀輔の顔にも笑顔はない。
いい加減、どうにかしたいんだけどな。
そう思ってはいてもいかんせん方法がわからない上に、考えようにもぼーっとしてしまい思考がまとまらない。今だって目は覚めたけれど集中力は皆無だ。
これは今日のノートも秀輔のお世話になるしかないな。
しっかりと書き込みがされている秀輔のレジュメを脇目に見つつそう考えた俺は、意図して猫撫で声を出す。
「しゅーすけぇ後でレジュメみーして」
「お前さぁ……」
「おねがーい。飲みもん奢るから~」
軽いノリでそう言うと、心配そうな表情をしていた秀輔の目が眇められ、ため息をつかれた。
このため息も聞き慣れたものだ。
「そういうことじゃないんだよなぁ」
呆れたように言われたのはそんな言葉だった。
いや、わかってはいる。日中も睡魔に負けるようになってから散々言われたのだから。ノートだのレジュメだのを心配している暇があったらもっと自分の心配をしろ、と。
だからわかってはいる。けど、親以外にこうもまっすぐに心配をされるような状況というのが生まれてこの方初めてなのだ。だから妙に気恥ずかしいというか……面映ゆい。どうしてもいつものやり取りに近づけようと軽口を交えてしまう。
それに、今はこのいつも通りのやり取りで救われている面もあるのだ。だから俺は、いつも通り笑って軽口をたたく。
「いらねえの?」
「くれるならもらうけど」
ため息をつきながらも、秀輔もその気持ちは理解してくれているのだろう。講義室の一番後ろの隅っこで、俺が再び寝てしまわないように、時間いっぱい小声で中身のない会話に付き合ってくれるのだった。




