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AGAPE  作者: 銀の鍵
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第二話『マッチの火を灯すように』─4


 首の断面からたくさんたくさん、赤くて黒いものを噴き出して、彼女の身体は地面に落ちた。

 なにが起こったか分からないまま、ハミルを弔うこともできずに、わたしは路地裏の出口の方へ目を向ける。

 そこに立っていたのはあのくちばしの、最悪のショーを開いた悪魔のファルザクだった。彼は息を切らして、そしてひどく狼狽した様子でこちらへ駆け寄る。


「……まずい」


 震えた声。ハミルの声ともよく似ていた。


「どうする、どうすんだよこれ、すぐ治せるもんじゃない。かすり傷でも最悪だってのに、こんな大けがどうすんだよ!?」


 ファルザクはわたしの足に、彼のスーツからちぎった切れ布を必死に包帯代わりに巻き付ける。まるでわたしの怪我を案ずるように。

 だけど違う、これはきっと保身だ。だって彼は、何の迷いも無くハミルを殺したのだから。


 自分の利益のために偽りの救いで心を弄んで、そして……殺した。

 そんなこいつが、わたしに愛を向けるはずなど無かった。


「……ぁ」


 ふたつの光が視界に浮かぶ。

 ジャックオーランタンの光。イシュマエルだ。

 ファルザクは情けない声を上げ、言い訳じみたことを語り出す。


「これはわたしのしたことではありません! ほら、あの死骸のくそ野郎の仕業なのですよ! そちらはしっかり殺しました、頭をはじいてしっかりと!」


 あがくような声が木霊こだまする。

 もう、聞きたくもない。だけれどファルザクは続ける。


「えぇ、ですから──あぁ、治療費出します! ほら、金さえあれば人間でもちゃんと治療」

「されない。……というより、わたしは()()()()()の医療を信頼しちゃいない。どうせ、最悪な代償があるのだろうからな」


 イシュマエルは否定する。

 冷たく、確実に。

 ファルザクは一瞬固まって、蒸気の吹き出るような甲高い叫びを一度上げた。

 けれど、すぐに切り替えてまた喚く。


「あたま! わたしの頭のカタチを気に入っているとおっしゃっていましたよね? これ剥ぎ取りますとも! そりゃこのくちばしは肉体の一部ですし取れば痛いしこれからさき大困りですけれど、生きていける! わたしはこのあたまをあなたに捧げましょう!」


 必死の命乞い。その声の反響が止むと共に、簡単にファルザクの頭はは消し飛んだ。

 ハミルの横に、ハミルと同じような姿になって、同じように転がる。イシュマエルはどちらの死骸も気にせず、わたしの前に膝をつく。


「すまない。わたしが遅れたばかりにきみに大変な怪我をさせた」


 真剣な声だった。

 嘘か本当かは、人間である私にはわからない。


「すぐに治せはしない。だがせめて」


 そう言って手袋を外し、彼は右手にまとわせた光をわたしの傷に当てようとする。


「やめて」


 無理に立ち上がり、その光を避ける。

 痛みに足が震える。それでも立つ。そして、睨む。


「助けてくれてありがとう。……遅くても、来てくれただけで、ほんとう、有難い」


 そうだ。

 助けようとしてくれたのなら、それで良い。

 それで、良かったんだ。


「ねえ、ひとつ聞いても良いかな」


 傷の保護を……と言うイシュマエルを無視して私は続ける。


「あなたは強いって、わかった。わかりすぎるくらいに……わかった」


 イシュマエルは簡単にファルザクを殺してみせた。目にもとまらないような、なにかをして……。ファルザクはきっと、弱くはない。そうじゃなきゃ自分の契約する人間たちにあえて反逆はんぎゃくさせるなんてことはしないはずだ。

 だから、イシュマエルは強いんだ。


「ハミル……その店員さんが殺されてから現れたのはどうして? ほんとうに、ただ遅れたから?」


 イシュマエルは立ち上がる。

 一歩、近寄る。わたしは一歩、後退る。


「わたしは強い。だがきみにとって強いと思える存在──たとえば大天使よりはずっと弱い。今じゃ普通の天使にだって負けるだろう」

「だとしても、その悪魔よりは強い」


 だから、妙なのだ。


「そんなあなたが、どうしてこの悪魔よりも遅れたの? あなたより弱くて……それに、ファルザクは人間たちを……殺してもいた。あなたはただ追いかけるだけのはずだったはず」


 イシュマエルはなにも言わない。


「見殺しにしたというのなら、どうして?」

「それは──」「あの人が、これから先、わたしにとっての危険になると思ったから?」


 イシュマエルは頷く。わたしのつなげた言葉を否定しようともしない。

 イシュマエルは一歩下がる。何秒か過ぎて、わたしが動かないと分かると、再び一歩こちらへと進んで見せた。


「そうだ。彼女は君を生(いけにえ)にしようとした。これから先も同じことを、あるいはそれ以上のことをするかもしれない。だが、わたし自ら殺せばきみはきっとわたしのことを拒絶する。だからヤツが殺すのを待った」


 今度はわたしに距離を取らせないよう、一歩でわたしの目の前にまで迫る。


「これは事実だ。認めよう。そしてその結果君に大変な怪我を負わせた、それも——」


言い切る前に、拾い上げたハミルのナイフをわたし自身の首に当ててみせる。


「貴方はわたしを守ろうとしてくれる。それは信じるよ」


 どこまでが真実かは分からない。

 だけれどわたしを護ろうとしていることだけはきっと、本当なのだろう。


「だけど、貴方に手を引かれて進んでいく道に誰かの死体が転がっているのなら、わたしはその道は選べない」


 一歩、後ずさる。イシュマエルは近寄らない。


「たとえひとりで生きようとして、そして悪魔に食い物にされる末路を辿ろうと、たとえこの傷のために死んだとしても──」


 もう一歩下がる。ナイフを握る手に力を込める。


「わたしはあなたとは行かない。もし無理やりにでも連れていこうとするのなら、わたしはこのナイフで死ぬ」


 カボチャの目の光が強くなる。


「……他者を愛することは、他者を自分と同等に……大切に扱うということだ。自分を大切に出来ないのなら、他人を愛することなんて出来やしない」


 それはまるで、天使の説教だった。わたしも、今のわたしのようなことをしている他者を前にしたなら、同じことを言っただろう。

 イシュマエルは戒める。


「君のしようとしていることは善じゃない。……偽善だ」


 言い返す言葉は探さない。

 一歩二歩と、下がり続けて、そしてわたしは走り去る。

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