第二話『マッチの火を灯すように』─2
「……それにしても、ふつうに人間が働いてる場所もあるんだね」
店内をきびきびと、規律正しく回る店員たち。彼らの制服は汚れもほつれもなく、丁寧に管理されているのが一目でわかる。
「意外かも。もっとひどいと思ってたから……でも、良いことだよね」
こころからの言葉であった。が、イシュマエルの深く吐かれる息はその言葉を否定する。
「本当に楽観的なやつだな、君は。悪魔は大抵外道だ。あれも、契約で奴隷にした人間にそれらしい服を着せて、それを誇っているだけに過ぎない、ここは今日開店らしいからな、見栄がなによりなのだろう。人に善意を向けるなんて有り得ない、それこそゴエティアの末裔でもない限り」
「ゴエティア、ってさっき言っていた……」
イシュマエルは慣れた様子で注文をしながら。
「注文は以上だ──さて。まずは古い悪魔たちの話をしよう。随分と、本当に懐かしい頃の悪魔は今とは少し違い、人の欲を叶えていたのだ」
まるで、その頃から生きているかのような言い方であった。
「そんな原初の悪魔たちから続く正当な血統を持つのがゴエティアの悪魔だ——まぁ、ひとりの人間に費やす時間が長いから、廃れ、滅ぼされ、いまじゃ三体程度しか残っていないらしい。ゴエティア以外の、自らの欲のために人間を利用してるやつらは凡そ作り込みの浅い眷属の子孫だろう」
とはいっても、そう挟んでから「欲を肯定するだけして、止めはしない。だからゴエティアを使役した人間は大抵破滅する。所詮悪魔だ」と、断言する。
自分は違うとでも言うような、そんな傲慢な態度にも見えた。
「……あなたは?」
「それでも、信じることにしたのが君だろう? わたしがたとえ、何者であろうとも」
そのとおりである。言い返す気にもならない。その気があっても、言い返せなかっただろう。
足音が一つ、わたしたちの席の前で止まる。
「カボチャさんではありませんか。どうも、当店のオーナー、ファルザクと申します。いやぁまさか、昔話のあなたが私のカフェにやって来てくれるとは、ほんとうにありがたい──えぇ、本心から」
あからさまに張られた声。
声の主は簡単に汚れそうな真っ白いスーツをまとった悪魔だった。
鳥のくちばしのような頭部……かすかに開かれたそのくちばしの奥から、赤黒い目の光がこちらを見つめている。
「昔話——というのは、褒め言葉と受け取っておこうか」
「勿論そうですとも。人と契約せず、人を食いもせず、その身一つでわたしが生まれる前……ずっと前からこの地獄を生きてきた強い悪魔……そう言いたかったんですよ」
おや? と、わざとらしく挟んでからオーナーは「ところでその人間は? 見たところ契約もしていないようですが。貴方が人間と契約しないのは納得ですが、しかし連れ歩くのはイメージに合わない」なんて、嫌な声を、そして嫌な光を私に向ける
「わたしにも、色々と事情がある」
それとなく。会話そのものを拒絶するようなイシュマエルの態度を感じ取ったのか、オーナーの声に少し、焦りか苛立ちか、震えが出る。
「そうですか。ところで——中々良いカタチをしている人間だ。どうです? 私の契約している人間と交換でもしませんか? 名刺代わりに、という訳ですよ」
必死そうに見えたが、イシュマエルはやっぱり悪魔たちにとって相当な存在なのだろうか? だから縁を作ろうと必死に……。
必死に?
待って、この悪魔、いまなんて言った?
わたしが何か口走ろうとする前に、イシュマエルの人差し指がわたしの唇のすぐ前に置かれる。
そしてイシュマエルはカボチャ越しでもわかるほどにファルザクを睨みつけた。
「……そろそろこの被りモノも飽きてきた頃だ。もうずっと被っているからな。ふむ……お前の頭は良いカタチをしているな」
言われたオーナーはどこに仕舞い込んでいたのか、大量のクーポンをテーブルの上にどさりと置いて走り去っていく。
入れ替わるようにやってきた女性の店員はコーヒー二つを置くが、わたしに何か思うところのあるような目線を向ける。
──後ろめたさを覚えてしまう。実際、後ろめたい。
何を言うべきか、するべきかもわからず目を背けてしまう。
すると、突然店員は私の手を掴んで、その身に引き寄せて叫ぶ。
「逃げるよ……!」
彼女がわたしを持ち上げ、肩に担いだのと同時にほかの店員たちは走り出す。
わたしは意味もわからないままに店の外へと連れ去られていく。
そうして店員たち全員が店から抜け出した時だった。
どこからか巨大な車のようなものに乗った、巨大な刃や……得体のしれない、けれど明らかに武器な物体を抱える集団が現れる。人間の集団の一人が肩に抱える筒から矢と言うにはあまりに太い何かを店に向けて放つ。
物体はガラスを粉々に砕き、そして──
「っ……!?」
轟音と激しい光。粉々に散るガラスの破片を真っ黒の煙が乗せて噴き出す。集団はそれでは終わらず、地面を叩きつつけるような音をかき鳴らす武器で煙の中へと攻撃を続ける。衝撃のあまり呆然としていたが、しかしあの中には……。
「イシュマエル!」
あのカボチャの悪魔のことを思い出し、店だった場所へと駆け出していこうとするが先の店員に手を掴み止められる。
「何してんだ、死にたいのか!?」
「でもわたしの……その、なんというかこう……知り合いが!」
あんな大変な爆発……イシュマエルが死んでしまうかもしれない。
それは……少しでも、一度でも言葉を交わした誰かが目の前で死ぬかもしれなくて、なのに何もせずいるなんて……できるわけがないだろう。
なにかしなくちゃ。
なにか、なにかできることを……。
「……え?」
ことりと。少しつぶれるような音を伴って、それはわたしたちの足元に落ちてきた。転がった。
丸というには少しいびつで、大切な形。
人間の頭だった。
嵐の日の木々のさざめきのような悲鳴が耳を刺す。
煙の中から飛び出す黒い、長い線のような何かが集団を蹂躙していた。生きる重みも、死の重みも感じられない、徹底的なほどの……。
「それではみなさん! カフェ・ファルザクのオープニングセレモニーを開始いたします!」
バースデーの蝋燭を吹き消すように煙が霧散し、そしてオーナーのファルザクが全身から柔らかな、けれど鋭い刃のような尾を放つと共に現れる。
血が、肉が、骨が、そして悲鳴が飛び散る。
唖然とするわたしたちに、近寄ってきた悪魔が転がる首を軽く小突いて言う。
「あのオーナーから結構前から告知があったんだよ。自分の奴隷どもに武器を流して隙を与えて、反逆した奴ら皆殺しショーをやるってな。どんなものかと思ってたけど……」
そいつは満面の……人間には真似できないような笑みを浮かべる。
「お前らの、そのたましいをにぎりつぶされたような顔だけでランチ二回目をしてもよいと思えたよ」
地獄絵図の方……カフェの方へ意気揚々に向かう悪魔の背を、店員は呆然と見つめる。
支配されて、それでも希望に縋って、そして──
「逃げよう」
彼女の手を掴んで、無理やり立たせて走り出す。
引きずるように駆け出したけれど、だんだんと彼女の手を掴む腕が楽になる。
……なんて声をかければいいかなんて分からない。でも……彼女は無関係の私をあのカフェから逃がそうとした。
だからわたしも──何かしなくちゃ、いけない。




