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『鍋ひとつで、王国を救ってしまった件』(連載版)  作者: くろめがね


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第三話 「湯気の向こうで、人は決断する」

第3話も美味しくどうぞ。

 隊長の天幕は、前線の一番奥にあった。


 血と汗と鉄の匂いが、重なり合っている。

 それに混じって、わずかに――

 不安の匂い。


 私は布をくぐった瞬間、足を止めた。


 熱。

 湿った呼吸。

 身体が内側から燃えている匂い。


 寝台に横たわる男は、鎧を外され、胸元をはだけさせられている。

 額には汗。

 唇は乾き、呼吸は浅い。


 医者が一人、ついていた。

 疲れ切った顔で、手を止めている。


「……薬は打った。

 だが、下がらん」


 声が低い。

 諦めと焦りが、同じ割合で混じっている。


 私は近づき、隊長の顔を覗き込んだ。


 瞳が、こちらを見た。

 焦点が合っていない。


 ――意識は、ある。


「飲めますか」


 問いかけると、隊長の喉が小さく動いた。

 頷きとも、痙攣とも取れる動き。


「じゃあ、大丈夫」


 私は小鍋を掲げた。


 中には、さっきまで使っていた粥の上澄み。

 穀物の甘さと、ほんの少しの塩。


 熱を奪わない、でも冷たくない温度。


 これを間違えると、喉が拒否する。


 匙ですくい、息で冷ます。

 湯気が、ゆっくりほどける。


 隊長の唇に当てると、

 一瞬、拒むように首が動いた。


「……急がないで」


 私は静かに言った。


「飲む、じゃなくて

 “入れる”だけでいいです」


 医者が、怪訝そうにこちらを見る。


「そんな悠長な――」


「今は、胃も喉も、戦場にいます」


 私は視線を外さずに言った。


「驚かせたら、引き金を引きます」


 医者は、言葉を止めた。


 隊長の喉が、もう一度、動いた。

 今度は、はっきりと。


 ごくん。


 小さな音。

 でも、この天幕でいちばん大きな音だった。


「……入った」


 医者が、思わず呟く。


 私は頷き、もう一口。

 ゆーっくり、ゆっくり。


 二口目で、隊長の眉間の力が少し抜けた。

 呼吸が、わずかに深くなる。


 汗の匂いが、変わる。

 焦げる前の匂いから、

 冷め始める匂いへ。


「……腹が、暴れない」


 隊長が、掠れた声で言った。


「それでいいです」


 私は答える。


「今日は、治さなくていい。

 壊さなければ」


 医者が、深く息を吐いた。


「……俺は、

 “下げる”ことしか考えてなかった」


「前線ですから」


「だが……

 入れる、か」


 彼は、隊長の脈を取り、静かに頷いた。


「生きるな。

 今夜は」


 その言葉が落ちた瞬間、

 天幕の空気が、一段軽くなった。



 外に出ると、

 大きな女性が腕を組んで待っていた。


「あんた、顔が怖かったよ」


「……そうですか」


「そうだよ。

 鍋見てる時と、全然違った」


 彼女はにっと笑い、私の肩を叩く。


「でもね、

 今の顔のほうが、前線じゃ信用される」


 その横で、あの細身の男が立っていた。


 相変わらず、姿勢が整っている。

 相変わらず、顔が反則だ。


 けれど、今日は少し違った。


 目が、はっきりしている。

 こちらを“評価する”目だ。


「隊長は?」


「越えました」


「……そうですか」


 彼は一度だけ、目を伏せた。

 ほんの一瞬。

 でも、それで十分だった。


「軍にとって、

 あなたは武器です」


 淡々とした声。


「剣より、医療より、

 即効性がある」


 大きな女性が、鼻で笑う。


「やめな。

 この子は、武器って顔じゃないよ」


「承知しています」


 男は即答した。


「だからこそ、価値がある」


 言い切り。

 迷いがない。


「前線で、

 “壊れなかった”という事実は、

 命令より強い」


 私は、小鍋を洗いながら答えた。


「……命令は、

 お腹が空いてる人には効かないので」


 男の口元が、また、ほんの少し緩む。


「記録しておきます」


「何をですか」


「“勝ち方”を」


 その言葉に、

 大きな女性が肩をすくめた。


「物騒だねぇ」


「ですが」


 男は続ける。


「あなたは、

 戦わずに勝っています」


 私は、手を止めた。


 そして、少しだけ考えてから、言った。


「……今日の夕飯、

 何にしようかな」


 大きな女性が吹き出した。


「ほら来た。

 それだよ、それ」


 天幕の向こうで、

 誰かが、はっきりした声で笑った。


 前線で、

 笑い声がする。


 それだけで、

 ここはもう、昨日とは違う場所だ。


 湯気は、まだ残っている。

 匂いは、消えていない。


 私は鍋を抱え直し、

 次に向かう場所を考えた。


 ――前線の次は、

 人が“暮らす場所”だ。


 農村。

 街。


 ここで止めたら、

 また、壊れる。


 だから、

 ゆっくり、ゆっくり。


 火を、次へ運ぶ。


今回も美味しく召し上がっていただきありがとうございます。

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