第46話 6月20日 土曜日①
アルバイトから帰ってきてすこしだけ仮眠をした。
眠れないかと思ったけどそうでもなかった。
なぜすこしだけ眠れたのか? 気づかないうちに貯まっていた日々の睡眠負債を返済するためなのか? よくわからない。
自分でも自分の心、いや脳をコントロールできないんだ。
母さんだって同じなんだろう。
考えられることといえば僕自身で腹を括ったから? 土曜へと日づけが変わった今も玄関の式台で毛布に包まれながらうつらうつらして、その人物がくるのを今か今かと待ち構えていた。
もっとも外が明るくなってからはこないはずだから、あと一、二時間のうちに例の人物は家のポストにくるだろう。
ん? 玄関先で短くタンタンタンと人が歩くような音が聞こえた。
確実にこっちに近づいてきている。
ポストのところでわずかだけどガタガタと音がした。
DMが投函されるときに聞こえる音と同じ。
いる……。
いったいどんな人があの白い封筒をポストに入れていってるのか? 僕は毛布を投げ捨てて手元にある筒状の物を握りしめ、すぐに玄関のドアを半開きにした。
手の中の物を横向きに変える。
それは僕が母さんの見舞いに行った日にホームセンターで買ったものだ。
玄関とドアの隙間にそれを入れてスイッチをカチっと押す。
――きゃ。
そんな声とともに――ばたんとポストのふたが閉まる音がした。
僕の前方は闇を打ち消すように煌々と光っている。
そのばたんは急に手を放したから勢いよくポストのふたがしまった音だ。
空が薄っすらと明るくなりかけているけど僕が手にしているこれ無しじゃそこにいる人の顔の判別は難しい。
僕は菊池さんが使っていたのと同じLED懐中電灯でその人影を照らした。
ポストの中に白い封筒を入れていたのはうちの母さんと同じ歳くらいの見知らぬ女の人だった。
その人も小さな懐中電灯を持っているけど今はスイッチをオフにしている。
それもそうだろう。
懐中電灯を点けながら僕の家に近づいてきたんじゃ誰かに気づかれてしまうかもしれない。
「あの」
僕は懐中電灯を持ったまま玄関のドアの隙間からおそるおそる声をかけた。
もちろん玄関チェーンはしっかりとかけたままだ。
LEDの光は強力で、その女の人は自分の手を顔の前にかざしてこの懐中電灯を遮っていた。
そうだよな。
僕も家の中で菊池さんと鉢合わせしたときはとても眩しかった。
僕はLEDの懐中電灯を持っている腕の角度を変えその人の目が眩まないようにした。
その女の人はまさか見つかるとはという感じで僕を見ている。
あまりに驚いたからなのか声も出せずに驚きの表情で固まっている。
僕はLEDの懐中電灯をランタン型に変えて照明の範囲を広げた。
その人はやっぱり逃げも隠れもしない。
僕が急に懐中電灯で照らしたために驚きすぎて動けないだけかもしれないけれど。
何秒か経ったときだった。
その人はようやく動きはじめ両手を両膝より上の太ももにあて僕に一礼をした。
上品で良い人そうだけどどことなく自分は悪いことはしていないという表情が読みとれた。
「どういう理由で毎日うちのポストにその封筒を入れてたんですか?」
「本当に申し訳ありません。私は紺野と申します。私はただ頼まれただけですので。重ね重ねになりますが本当に申し訳ありません」
また深々と頭をさげた。
頼まれた? もっともらしい言い訳だ。
誰に頼まれたのか知らないけれどなんの事情も知らずにこんな怪しいことを引き受けるわけないだろう。
つまりは諸事情か。
諸事情はやぱっり厄介な言葉なのかもしれない。
”コンノ”と名乗ったその人はすごく華奢で丁寧な人だったからしだいに警戒心も薄れていった。
「誰に頼まれたんですか?」
「それはもうすこしだけお待ちください。それに今までのお金はぜひお納めください」
「そんなわけのわからないお金を受けとれるわけないじゃないですか? しかもこんな夜中にポストに入れて行くお金ですよ? ただでさえうちの母さんは金銭がらみであんな」
僕はそこでハッとして言葉をきった。
この人に母さんのことを言う必要はないのに、つい売り言葉に買い言葉で言ってしまった。
「お母様のことは大変申し訳ありません。さらにこんな気味の悪い行動をしたうえでこんなことを申しあげるのもなんなんですが、あとすこしだけお待ちいただけないでしょうか?」
その人はまた待ってほしいだけを懇願してきた。
でも――お母様のことは大変申し訳ありませんってどういうことだろう? 僕が言った金銭絡みという言葉に対する返答だったとしたら違う気がする。
「ずいぶん一方的ですよね?」
「すみません。警察に言うならそれはそれでもかまいません。玄関前まで勝手にきてポストに物を入れると不法侵入になるかもしれませんし」
”コンノ”という人がそう言ってまた頭をさげた。
まるで僕のほうが何かの加害者みたいじゃないか。
「わかりました。まだ警察には言いません」
僕はとりあえずそれを受けれた。
どれくらい待てばいいのかわからいけれどすこしだけ待つことにした。
正直、警察に言ったところであのときと同じでどうにもならないと思っている。
僕に実害はないしなにより警察は民事不介入だ。
そう本来警察は人の揉めごとになんかに首を突っ込まない。
”コンノ”と名乗った人はさらにまた何度も頭を下げ歩き出した。
そのままこっちを振り向くことなく街路灯だけの町中をひとり進んでいった。
僕はただ黙ってそれを見送る。
ポストの中の白い封筒はそのままだと不用心だからいちおう家の中で保管する。
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