第11話 とろけてみた
あれから数ヶ月間、リューテシアからの連絡はなかった。
俺たちブルブラック伯爵家は社交界への参加も断り、各々の部屋で過ごす時間が長くなり、自然と会話も減ってしまった。
しかし、自主トレをする時はトーマと顔を合わせるし、庭園の草木の世話をする時はリファと会話する。
別に亀裂が入ったというわけではない。
来年から俺は名門王立学園への入学が確定している。
全寮制らしく、家に帰るタイミングは年に二回の長期休暇だけだ。
愛馬を連れていくことはできないから馬はトーマに、庭園のことはリファに頼むしかない。
それでも一年後にはトーマが、更に一年後にはリファが同じ学園に入学してくるはずだから、最終的には父や使用人たちに引き継いでもらうことになるだろう。
入学準備を整えるために使用人を連れて町に買い物へ出向くようになった頃、突然、婚約者殿が屋敷にやってきた。
「ウィル様、お久しぶりです。今日これからお時間はありますか?」
リューテシアがアポなしでの訪問なんて初めてだ。
いつもよりおめかししているし、ドレスも真新しい。
なにより可愛い。数ヶ月ぶりとあって、突然の登場は心臓に悪かった。
「うん。あるよ」
「では、ご一緒していただけませんか?」
リューテシアの手には二枚の細長い紙が握られていた。
一枚を受け取り、まじまじと見つめる。
「これって演劇のチケット?」
「はい。やっと入手できたので、ぜひ一緒にと思いまして」
「そんな悪いよ。俺は演劇は分からないから、もっとこういうのに詳しい人と一緒の方がより楽しめると思う」
「わたしはウィル様と行きたいのです。どんな博識な方とご一緒しても、ウィル様と共に過ごす時間には到底及びません」
うぐっ。
そんな目で見つめられると断れない。
いや、別に行きたくないわけじゃないんだ。本当に俺でいいのかって話なだけで。
「俺でいいならお言葉に甘えるよ。少し待っていてくれ」
婚約者殿がおしゃれをしているのに、俺だけ普段着では釣り合いが取れない。
こういう時のために、と無駄な気を利かせて誰かが購入してくれた一張羅を着て玄関に向かえば、使用人たちがにやにやしながらお見送りの準備を整えていた。
「なんだよ?」
「お年頃ですわね」
オホホホと笑うお節介やき達を一蹴し、リューテシアをエスコートして馬車に乗り込んだ。
向かうのは一番大きな町だ。
この辺りで劇場があるのはそこだけで、毎日のように賑わっているらしい。一度訪れたという屋敷の侍女から聞いた。
なんでも、坊ちゃんにはまだ早い、とか……。
どういうことだよ。
そんなことを思い出しつつも、楽しげな婚約者殿の話を聞き漏らすことはなかった。
町の中で一番長い行列を作っているのは、有名ブランドの服屋ではなく、まさかの劇場だった。
行列の隣を通り過ぎ、劇場の入り口に立っている男にチケットを見せると、手際よく処理して中へと案内してくれた。
劇場内でも行列は続いているが、俺たちはいわゆるVIP席での観劇になるから関係ないようだ。
「すごい人だね。はぐれないように」
「はい」
「こんなに混んでいるとは思わなかった。ありがとう、リュシー。俺一人なら絶対に来られなかったよ」
「わたしも初めてなので、ご一緒していただきありがとうございます」
事前のトイレも忘れない。緊張しやすい性格は転生してからも大きく変わりなかった。
指定された席に座り、開演までパンフレットを眺めながら話していると、照明が落とされて劇が始まった。
内容はありきたりなシンデレラストーリーで、いじわるされていた少女が王子様と結ばれるというものだった。
婚約者殿と来ているのだから途中で眠るようなことはなかった。というよりも寝る暇がなかった。
なんというか……。少し刺激が強いような。
前世なら絶対に中学生では入場できなかっただろう。
隣を見れば、リューテシアは怒ったり、目を見開いたり、惚けていたり、瞳を潤ませていたり、と存分に楽しんでいるようだ。
特に最期のキスシーンの時は暗がりでも分かるほどに頬を赤らめていた。
俺としても、あのシチュエーションでのキスはハートを射貫かれて当然だと思う。
しかも演者が美男美女で、演技も上手いとなれば感動しない方がおかしい。
キスシーンの後は、シルエットだけとはいえベッドシーンもあった。
これにはビビった。
視線をどこに置けばいいのか分からず、思わず隣を見てしまった。
リューテシアは食い入るようにステージを見つめ、何度か大きく唾を飲み込んでいた。
「素晴らしいお話とお芝居でしたね。感動しました」
「そうだね。うん。素晴らしかった」
他の観客たちが劇場をあとにする中、リューテシアは余韻に浸っているのか、一向に立ち上がろうとはしない。
俺だけが先に行くわけにもいかず、椅子に座り直して唯一の出入り口を眺めていると隣から伸びてきた手が俺の頬に触れた。
「……へ?」
「ウィル様」
「ん? リュシー、どうした?」
うっとりしているように見えて、彼女の瞳の奥は真剣そのものだった。
なにか覚悟じみたものさえも感じられる。
「えっと……?」
両手で顔を包み込まれ、彼女の方に引き寄せられる。
「婚約者同士なら許されますよね」
「っ! リュシー」
「愛してます、ウィル様」
今の自分がどんな顔をしているのか想像もつかない。
俺にとっての天使がこんなにも積極的な人だったとは思いもしなかった。
拒否するつもりはない。ただ、驚いてしまっただけだ。
声も出せず、呼吸が少しだけ早くなるのが分かった。
次の瞬間、リューテシアは目を瞑って、わずかに唇を突き出した。
俺は二人の顔を隠すようにパンフレットを掲げ、彼女を迎えるために顔を近づけた。
「こんな公共の場で何をやっているんだ!」という常識や「破滅する!」という危機感よりも、もっとリューテシアを感じたいという欲求が勝り、彼女の背中に片手を回していた。
艶めかしい音を鳴らして離れる唇をぼけーっと見ながら、座席の背もたれに全体重を預けてしまった。
「このまま、とろけてしまいそうですね」
「リューテシア」
「はい」
「好きだ」
「はい」
頬を染め、口元を隠しながら微笑む彼女はこれまで見てきた中で一番美しかった。
これは危険だ。
逆に公共の場でよかった。
ここがどちらかの部屋だったなら、俺の自制心は崩壊していたかもしれない。
一歩間違えれば破滅だ。間違いなく破滅していた。
気づけば観客は俺たちだけになっていて、早く出るように催促されてしまった。
誰にも見られていないことを祈りつつ席を立つと、リューテシアはそっと腕を絡め、寄り添いながら劇場を退出した。
帰りの馬車内はどちらも無言で、なんとも言えない空気感だった。
だからといって雰囲気が悪かったわけではない。無言でも苦ではないのが俺たち二人が築き上げた関係性だ。
時折、目が合っても逸らしたりはせず、照れ臭くて思わず笑ってしまう。そんな青臭い感じだった。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
「こちらこそ、屋敷まで送っていただいてありがとうございます」
「じゃあ、また。次は学園の入学式で」
「はい。また」
そう言って唇をなぞったのは無意識的なのか、それとも意図的なのか。
どっちにしても可愛いけど、小悪魔な一面を垣間見た。
その日の夜、ベッドに横たわり眠ろうとした時だ。
ピロン!
【破滅ルートに入りました】
あの無機質な電子音が俺の脳内に響き渡った。
そうだった。
ここはゲームの世界で、俺は破滅を約束されたキャラクターに転生しているんだった。
「俺のリューテシアへの気持ちは本物だ。別人の体だったとしても、この想いは嘘じゃない」
きっとリューテシアも同じ気持ちのはずだ。
この展開が俺の行動の結果だったとしても後悔はない。
たとえ破滅が待っていようとも必ず彼女との未来を掴んでみせる。