◇92 終局
氷の欠片が空気中を漂っている。
先程までの曇天とは裏腹に、雲一つ無い夜空に月が浮かぶ。
息が白くなる程の寒さに、身体が僅かに震える。
「ロック、よくやったな……」
ドッグが笑いながらこちらにやって来る。
その腕の中でアルルが眠っている。
「隊長殿はお休みかな?」
「ああ、アレだけの魔術を使ったんだ。無理もない」
幼さの残る表情のまま、彼女は穏やかに眠っている。
「まったく、大した奴だよコイツは……」
「ああ、まったくだな……」
二人して呆れてしまう。
「だが、これでは船での航行は叶わないな……」
「ああ、そうだな。こうなったら陸路で行かなきゃならねぇな……」
港にある船は、先程の海魔との戦闘で激しく損傷しており。とても航行出来そうにない。
海魔の触手で持ち上げられた船は中腹から裂け、再起不能の損傷を負っている。
他の船達もあちこちに風穴が空いており、幾つかのマストも折れてしまっている。
「すまない、君の国に着くのが少し遅れてしまうだろう」
「まあ、仕方あるめぇ。急ぎの旅ではあるが、寄り道はしてねぇんだ」
そう、これでいいさ。
何も無駄なことはしちゃいない。
「さて、俺は俺の剣を探すかな……」
「ああ、そうか。そうだったな。それにしても良くあんな無茶をやったもんだな、君も……」
確かにそうだな。
見ると、ドッグの身体もボロボロだ。特に膝がボロボロだ。
「そっちこそ、かなり無茶をしただろう?」
「ははは、まあ。君には敵わないさ」
果たしてそうだろうかね。
そう思いながら思わず笑ってしまう。
「本当にスゲェ戦いだったな……」
「ああ……」
今でも、胸の鼓動が鳴り止まない。
心を落ち着かせようと、剣を探すついでに辺りをうろつく。少し歩くと、俺の剣が目にはあった。
黒く変色した肉塊に刺さっている。
見ると、少し焦げているが問題なく使えそうだとわかる。
「剣は無事だが。いやはや、まったく、こっちの方は見事に炭化してるぜ……」
「凄まじい威力だったんだな……」
炭化した肉塊を軽く蹴ると、剣を引き抜く。
その時、ドッグが怪訝な表情をした。
「どうした、ドッグ?」
「いや、いまそれが動いたような……」
そう言うと、ドッグがその手にアルルを抱いたまま、肉塊を指差した。
「そんな馬鹿な……」
見ると、確かに肉塊が僅かに動いた様な気がする。
思わず身構える。
「おいおい、今度はなんだ。もう一戦なんて、ならねぇよな……」
「た、確かめて見るしかあるまい……」
ドッグが恐る恐る肉塊に向けて歩き出す。
直ぐに、その肩を捕まえ後方へと引っ張る。
「アンタはアルルを頼む。ここは俺がやる……」
腰元からナイフを引き抜き、肉塊に突き立てる。そして、引き裂くと中からズルリと何かが漏れ出してきた。
初めは内蔵かと思ったが。
良く見るとそれは一人の老人だった。
「おぉ、おいおい、なんだ、このじいさん!!しかも、生きてるじゃねぇか!?」
思わずドッグを見る。すると、この老人に心当たりが有るらしく、ドッグはその顔を大きく歪めてみせた。
「なるほど、ソイツは黒の師団の魔術師だ。今回の犯人は恐らくコイツだろう……」
「成る程ね、じゃあコイツはどうする。始末するか?」
俺が剣を振り上げる。
それを見てドッグがコチラを制止する。
「いや、本部に引き渡そう。尋問すれば何か情報が手に入るかもしれないからな」
《氷の書 ニ十四章 アリーゼの氷牢》
凍える程の風がドッグの身体から放たれ、老人をたちまち凍らせる。
「おいそれ、トドメになってんじゃねぇのか?」
「いや、これは、拘束用の魔術だ死ぬことはない」
なるほど、魔術ってのは不思議なもんだな。
「さて、あとはギルドに依頼してコイツをホワイト・ロックまで運んで貰うか」
「俺達で運ばねぇのか?」
ドッグが首を振る。
「僕達は数日休んだら陸路でレイム・ロックに向おう。二、三日の短縮にしかならないだろうが一刻を争うんだ。君もそうした方がいいだろう?」
ドッグがコチラを見て申し訳なさそうに笑う。
どうやら、俺に気を使ってくれている様だ。正直、悪いのはコイツらじゃねぇから、そこまで気を使わなくてもいいんだがな。
だがまぁ……
「ありがたい。すまねぇな……」
急いでくれる分には助かる。本当は一刻も早く国に帰りたい。
「これから頼むぜ……」
「ああ、コチラこそ……」
俺が拳を差し出すと、ドッグは快く拳で返してくれた。




