第84話:果物と涙、そして結末
「……ぅ……」
瞼の上から光を感じ、ゆっくりと目を開く。視界には白い天井が広がっており、嗅ぎ慣れない匂いがあまりに充満していた。
上半身を起こすと、体の節々に痛みが走る。私は痛みに顔を歪ませながら、周りを見渡してみる。自室でないことはすぐにわかり、左右には全く同じ形のベッドが複数並んでいる。
(ここ、どこだろう)
周囲に人の気配は、感じられなかった。この空間には私一人だけなのかもしれない。
掛け布団を手で浮かせ、自分の体を見てみる。改造修道服と、学園指定の上着を着ておらず、上下一体の真っ白な薄手の服を着ていた。
「起きた」
すると右奥の方から声が聞こえる。
幼い女の子の声。それがアリスのものなのは、すぐにわかった。
彼女は銀色の丸いトレーに何かを載せ、両手で支えながら私に近付いてくる。
「食べる?」
近付いたアリスは私が横になっているベッドの、すぐ脇に置かれた椅子へと座り、銀のトレーを私の足元に置く。そのトレーには真っ赤な丸い果物が載っており、彼女は一個手に取るとそれを私に見せながら尋ねた。
状況が飲み込めていないが、とりあえず私はアリスの問いに頷いて肯定する。
「わかった」
一言だけ言うと彼女は、トレーから小さなナイフを取り出し、しゃりしゃりと果物の皮を剥き始めた。
この部屋自体が広く、そして静かなことから皮を剥く音が響く。
「ここは学園の医務室」
アリスは果物に視線を落としながら、周囲を見回している私にそう告げた。
医務室と言われ、この若干ツンとした刺激臭や、清潔感の強いベッドたちはそう言うことかと合点がいく。
「……私がここにいるってことは、つまり……」
目が覚める直前、何があったのかは鮮明に覚えている。
私はマウロと決闘し、最後の一撃を放った。そこから先は、ここでの今につながる記憶だ。
気を失って、医務室に運び込まれている状況。それはつまり、私はあの決闘に負けたのだろう。
勝てなかった。
そう思うと、目の奥が熱くなる。自然と視界が滲んでいき、私は下唇を噛むことで涙が溢れるのをなんとか止めた。
悔しい。
ただ、それだけが私の胸に広がっている。決闘の結果、この学園から去ることになろうが、貶されようが何かさされようが。
「フィリア」
「なに……?」
「はい」
アリスは、切り分けられた果物の一片を指先で持ちながら、私の目の前に持ってくる。
食べろ、と言われているのはわかるので、私は気を紛らわせるためにも遠慮なくそれを口にする。
口に入れた瞬間、甘酸っぱく良い香りが口一杯に広がる。噛めばしゃりしゃりとした心地よい食感と、甘さと酸味が果汁と共に口の中を満たす。
「……ごめんね」
果物を飲み込み、そんな言葉が自然と口をついた。
アリスは何も言わず、もう一切れを口の前に運んで来る。だが私はそれに目もくれず、アリスを見ていた。
「ごめん、折角色々してくれたのに」
マウロ対策に、アリスはかなりの時間を割いてくれていた。それはひとえに、私が彼に勝つためだ。
応援してくれていたレミィたちにも、不甲斐ない結果を見せることになってしまった。
「ごめ、ん……な、さぃ……」
唇が震え、俯きながら吐き出したものは、尻すぼみの言葉となってしまった。
堪えていたものが、溢れ出す。
気付けば大粒の涙が、止めどなく私の目から流れ落ち、白い布団を灰色に染める。
負けた。
決闘に私は、負けたのだ。
「フィリア」
アリスが、私を呼んでいる。
心なしかいつもよりも、優しげな声で呼んでいるような気がして、余計に涙が溢れる。
私は嗚咽によって、その呼び掛けに答えることができない。
「フィリア、何か勘違いしてる」
「……えっ……?」
勘違い、という言葉に私は両手でで涙を拭いながら顔を上げると、アリスの方を見る。
アリスはいつもの無表情で、私を見ながら首を傾げていた。
「かんちがい……?」
「そう」
アリスは頷くと、私に差し出していた果物を口に放り込む。何度か咀嚼する音が聞こえ、彼女は飲み込むと私に告げた。
「フィリアは負けてない。勝ってもいないけど」
その言葉に思考が追いつかない。
何を言っているんだろう、と思いながらアリスを見る。
「つまり、引き分け。だから、負けてない」
アリスが告げた結果を聞き、私は自分が早とちりしたことに気がつく。
同時に、泣いている姿を見せたことによる恥ずかしさで、私は再び俯いた。




