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性別転館の殺人  作者: 天草一樹
事件パート:トランスフォビック機構の恐怖と狂気

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想定外のエンカウント

「ああ偶然だな。朝から悪いが、少しいいか」

「は、はあ? いいですけど……あの、どちら様ですか?」


 性別転館に滞在してから四日目の朝。

 部屋から出て、食堂へと足を向けていた私の目の前で、急に扉が開き、一人の長身痩躯の男性が姿を現した。

 年は二十代半ばくらいだろうか。少し陰のある感じのイケメンで、切れ長の目から覗く鷹のように鋭い眼光が特徴的だ。梓さんの男性状態に比べると優美さには欠けるが、シャープさというか非常に理知的な雰囲気を纏っていた。

 何はともあれまだこの館で見たことのない人物なのは間違いない。

 私が怪訝そうな視線を向けていると、「俺だ、一柳だ」と男――もとい一柳は、あっさり正体をばらした。


「ああ、言われてみれば雰囲気似てますね……。でも金髪ツインテールだったころに比べるとかなり普通に見えますけど……」

「女は着飾った分だけ評価されるが、男はそうじゃないからな。相手に不快感を与えない程度のスマートなイケメン。社会で生きていくにはこれが最適解だ」

「はあ。相変わらず偏見バリバリで草生えますけど、もう一柳さんにしか見えなくなりました」

「それは僥倖だ。で、正体がわかったところで尋ねてもいいか」

「構いませんけど……取り敢えず食堂行きませんか。お腹空いてるので」


 私は食堂のある右手の方を指さし、それとなく空腹アピールをする。

 一柳としても今すぐにしなければならない密談というわけではなかったらしく、あっさりと首肯した。

 やや予想外の展開に少しばかり肝が冷えたが、特に問題はなさそうで内心安堵の息を漏らす。

 二人で食堂へ向かう道中、毎度のことではあるがアンの前を横切る。朝は比較的おとなしいイメージがあり、今日も前を通るだけだし声はかけられないだろう。そう思ったのも束の間、アンは陽気に(無表情で)手を振りながら、私たちに声をかけてきた。


『一柳様、鬼灯様、おはようございます。朝早くから一緒にお出かけとはデートでしょうか。相手のいないアンドロイドとしては羨ましい限りです』

「またウザいモードに戻ってる……てか、今日は朝から随分元気だね。何かいいことでもあった?」

『アンドロイドである私に良いこと、悪いことという概念はありません。それを言うのなら、鬼灯様は何か悪いことがあったのでしょうか。目の下に薄くクマができておりますよ。ああいえ、もしかして夜通しでお楽しみだったのでしょうか。であれば、ルール違反とみなし罰を与えなくてはならなくなりますが』

「んなわけないでしょうって……あ、ちょっと置いてかないで!」


 アンの軽口に付き合っている私を置いて、一柳はスタスタと食堂へと歩き出してしまう。なんというか、こうして付き合ってしまうのがアンに絡まれる原因となっているのだろうなと、彼の態度を見て少し納得した。

 駆け足で追いかけ、なんとか一緒に食堂に入る。おいていったことに対する文句を言いたいところだったが、ひとまずシェフロボットに朝食を頼むのを優先した。因みに私はフレンチトーストとコーヒー。一柳は白米に焼き鮭、味噌汁と純和風定食を注文した。

 料理ができるのを待っている間、一柳が唐突に「アンドロイド相手によく親しげに話せるな」と言ってきた。


「親しげかどうかはさておき……アンがかなり人間っぽいからですかね」

「どれだけ人間に近かろうがアンドロイドは所詮機械だ。プログラムされた内容に沿って話しているに過ぎないぞ」

「それはそうですけど、極論人間だって似たようなものじゃないですか? 生まれてから今に至るまでの人生経験から、適当だと思う言葉を返してるだけですし」


 話しかけたら返事をしてくれて、そこで齟齬なく普通に会話できるのなら、別に人間と機械を分ける必要もない気がする。というか、一緒にいて楽しいなら近くにいて欲しいし、そうじゃないなら離れて欲しいという点で言えば、相手が何者かなんて関係ないし。

 結論。私にとってメリットがあれば親しくするし、なければしない、だ。

 心の中で一人勝手に答えを出しふんふんする私を、一柳は気味悪そうに見つめてきた。


「……お前を見ていたら、TP機構に入る奴らがいるのにも納得してきたな」

「ちょっと、それは流石にひどすぎない? 私あそこまで狂ってる自覚ないんだけど」

「だが人と機械を同列に見てるんだからな。その価値観がありなら、性転換を自殺と定義づけする連中がいるのも不思議じゃない」

「人と機械を同列に見てるって言われるとヤバい奴な気がするけど……逆に聞くけど、一柳だってアンを見て何も感じないわけ?」


 ややライン越えの発言をされたため、口調がタメ口に変わる。女性だった時よりも今の方が普通で、親しみやすく感じるのもあるかもしれない。


「はっきり言えば何も感じない。だが実際、あれほど高度なアンドロイドであれば、お前みたいな思考に至る奴らが出てもおかしくないとは思う。と、できたか」


 シェフロボットがカウンターに料理を並べていく。

 相変わらず提供までの時間が尋常じゃなく早い。私たちはそれぞれ料理を持って、適当な席に腰を下ろした。

 一柳は律儀にも「いただきます」と手を合わせてから、焼き鮭に箸を伸ばした。


「金や宝石と言った社会的に価値の高いものを人命より優先する人間はある程度いる。だが社会的価値のない、単に思い入れがある道具を人命より優先する奴は少ない。しかしそれも、アンのようなアンドロイドが普及すれば大きく変わり得るだろうな」

「ああ……。まあ自分とめっちゃ仲良くお話ししてくれるアンドロイドと、あんまり好きじゃない上司を天秤にかけたら余裕でアンドロイドを選択するかな」


 アンドロイドに命はないとはいえ、壊れたらこれまでのデータは全部消えてなくなってしまう。全く同じアンドロイドをまた買ったとしても、以前のような関係性にはならないことを考えると、死と同義だとも言える。

 同じ死であるなら当然、より大切な方を選ぶだろう。


「ゲームのメモリもアンドロイドのメモリも同じだと思うんだがな。見た目が変われば見方も変わる、か。性転換による見た目の変化も、TP機構のメンバーからすると同じようなものなんだろうな」

「いやあ、それはまた違うと思うけど……」

「まあこんなくだらない雑談はいい。そろそろ本題に入るぞ」


 一柳はみそ汁を音を立てずにすすり、静かにテーブルに置いた。


「大した話じゃないんだが、身分を証明するものを見せてほしい」

「身分を証明するものって、免許証とか?」

「そうだ。プライバシーの問題もあるから強制はできないがな。あれば事件解決の手掛かりになるんだ」

「身分証が事件解決の手掛かりに?」


 果たしてそれで何が分かるというのか。もしかして以前私が考えたように、TP機構のメンバーであれば性転換はしていないはずという考えだろうか。だけどそれは、TP機構のメンバー相手には通じない理屈だと思うけど。


「もしかして犯人はTP機構のメンバーで、だから性転換していない人がいたらその人が犯人だとか考えてる? それはちょっと短絡的というか、そもそも全員性転換しているのは確定だと思うけど」

「そうなんだがな。あくまで、念のためだ」

「まあ別にみられてもそこまで困らないんでいいんだけど。部屋にあるから後で持ってくるね」

「ああ。悪いな」


 軽く頭を下げてお願いされる。

 女性だった頃に比べて、やはり幾分か丸くなっている気がする。

 一柳理論で言えば女は可愛ければそれだけでいいが、男の場合は社交性とか知識とかいろいろなものが求められるらしい。だから男に戻った今は、女の時にほぼ見られなかった社交性も取り戻しているのかもしれない。

 というか、その点についてすっかり聞くのを忘れていた。


「こっちからも一つ質問なんだけど、どうして一柳は男性に戻って――」


 バンッ!

 勢いよく食堂の扉が開けられる。

 何が起きたのかと慌ててそちらを見ると、真っ青な顔をした梓さんが――こちらもどういうわけか、一柳同様に男に戻っていた――息を切らせて立っていた。

 梓さんは私たちの姿を認めると安堵した様子で一度息を吐く。それから駆け足で寄ってくると、「今すぐ三階まで来てください」と鬼気迫る声で言った。

 彼の態度から何が起きたのかそれとなく察した私と一柳は、小さく頷いた後、「それで、今度は誰が」と問い返した。


「馬酔さんです。それもまた、首なしです」


 予想通りの答えに、私は体の震えを隠そうと、深く息を吸い込んだ。

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