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第1話

隙間風が容赦なく吹き込む薄暗いあばら家。それが俺、ルカに与えられた唯一の居場所だった。


屋根の穴からは鉛色の曇り空が覗き、床に敷かれた藁は湿って冷たい。朝露に濡れた草を踏みしめながら、村の広場へと向かう。


すれ違う村人たちの視線は、冬の風よりも冷たかった。


「おい、見ろよ。またあの薄汚いガキがうろついてるぞ」


「親の顔も知らないくせに、いっちょ前に村の道を歩きおって。目障りな」


「関わるんじゃないよ。あんな呪われた孤児、何に取り憑かれているか分かったもんじゃない」


ひそひそとした囁き声が、わざと俺の耳に届くように投げつけられる。俺は何も言い返さず、ただ俯いて足早に通り過ぎるしかなかった。


向かった先は、村外れにある薬草屋だ。


軒先に吊るされた乾燥した薬草の青臭い匂いが漂ってくる。


「あら、ルカくん。おはよう」


店先の椅子に腰掛けていたのは、腰の曲がった小柄な老婆、エルナさんだった。彼女はこの村で唯一、俺に普通の態度で接してくれる人だ。


「おはようございます、エルナさん」


「今日も薪拾い? その前に、長老様から預かっているお薬を飲んでいきなさいな」


エルナさんが皺だらけの手で差し出したのは、木彫りの小さな杯だった。中には泥のように濁った液体が入っている。


長老が「呪い除け」と称して、俺に定期的に飲ませている薬だ。


杯を受け取ると、鼻を突くような異臭がした。息を止め、一気に喉の奥へ流し込む。


舌の根が痺れ、胃の奥が焼け付くようなひどい苦味。思わず顔をしかめると、エルナさんが苦笑いしながら水を手渡してくれた。


「えらいわね。あなたを守るためのものだから、我慢してね」


穏やかなお姉さん口調で言う彼女に悪気はないのだろう。だが、この薬を飲むといつも体が鉛のように重くなり、手足に泥が詰まったような感覚に陥る。


これが本当に俺を守るものなのか、それとも俺をこの村の底辺に縛り付けておくための鎖なのか。考えるだけ無駄だった。孤児である俺には、長老の命令に逆らう権利などないのだから。


◆ーーーー◆


村外れの森に着き、足元に落ちていた手頃な枯れ枝を拾い上げる。


薪を拾い集めながら、鬱蒼と茂る木々の間を奥へ奥へと進んでいく。


鳥の鳴き声すら聞こえない静寂の中、やがて苔むした巨大な石柱がいくつも転がる場所に出た。古代の遺跡の跡地だ。


かつては壮麗な神殿だったのだろうか。今はただ、風化した彫刻が施された石の残骸が散乱しているだけだ。村の大人たちは気味悪がって近づかない場所だが、俺にとっては誰の目も気にしなくていい、数少ない安らぎの場所だった。


落ち葉を掻き分けようとしたとき、ふと足元に違和感を覚えた。


巨大な丸い石が、土に半ば埋もれるようにして転がっていたのだ。


いや、石ではない。


表面は滑らかで、微かに青みを帯びた乳白色をしている。大人が両腕で抱えきれないほどの大きさの、巨大な卵だった。


そっと手を伸ばして表面に触れてみる。


まるで冬の湖の底から引き揚げられた石のように、芯まで冷え切っていた。生命の気配も、魔力の波動も感じられない。魔力が尽きて石化してしまったかのような、ただの抜け殻に思えた。


その時だった。


胸元に下げていたペンダントが、微かに熱を持ったのだ。


物心ついた時から首にかかっていた、親の顔も知らない俺に残された唯一の形見。くすんだ石がはめ込まれただけのガラクタだと思っていたそれが、今は淡い光を放ち、微かに振動している。


ペンダントの熱に呼応するように、冷え切っていた卵の奥底から、ドクン、と微かな鼓動のようなものが伝わってきた。


気のせいかもしれない。だが、俺にはこの卵が、助けを求めているように思えてならなかった。


「お前も、捨てられたのか……?」


親に見捨てられ、こんな森の奥深くで冷たくなっていく卵。


それは、村の片隅で誰からも必要とされず、ただ息を潜めて生きている俺自身の姿と重なった。


このまま放っておけば、間違いなく死んでしまうだろう。


俺は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、その巨大な卵に両腕を回した。


ずしりと重い卵を抱え、誰にも見つからないように裏道を通ってあばら家へと戻る。


誰かに見つかれば、間違いなく奪われるか、壊される。村の連中は、得体の知れないものを極端に嫌うからだ。


腕の筋肉が悲鳴を上げ、息が切れる。冷や汗と泥にまみれながら、なんとか部屋の隅に卵を運び込んだ。


隙間風を防ぐために窓に板を打ち付け、卵を部屋の中央に置く。


夜になると、あばら家の中は外と変わらないほど冷え込んだ。


俺は自分が使っている古い毛布を引っ張り出し、卵を何重にも包み込んだ。それでも足りない気がして、俺自身も毛布の中に潜り込み、卵に抱きつくようにして丸くなる。


氷のように冷たい表面から、俺の体温がどんどん奪われていく。歯の根が合わず、体が小刻みに震えた。


それでも、俺は卵から離れなかった。


「大丈夫だ。俺が温めてやるからな」


誰にも聞かれない小さな声で呟く。


誰からも必要とされず、ただ蔑まれるだけの毎日。そんな俺の人生において、何かを守ろうとしたのはこれが初めてだった。


俺の体温を分けるようにして抱きしめ続けていると、やがて卵の表面がほんの少しだけ温かさを帯びてきた。


微かな、本当に微かな反応。


俺はさらに強く卵を抱きしめ直した。


俺の熱を受け取り、応えてくれている。その事実だけで、凍えそうだった心が不思議と温かくなっていくのを感じた。


それから数日間、俺は暇さえあれば卵を抱きしめ、自分の体温で温め続けた。


薪拾いの時間を減らしたせいで村人からの風当たりはさらに強くなった。エルナさんからも心配されたが、俺は曖昧に笑って誤魔化した。


俺には、この卵がある。俺を必要としてくれる存在が、ここにあるのだ。


だが、その夜、異変は起きた。


いつものように毛布の中で卵を抱きしめていると、突然、卵の表面が微かに脈動を始めたのだ。


驚いて身を引こうとしたが、なぜか体が動かない。


卵の乳白色の表面に、赤黒い不気味な紋様が浮かび上がっていた。


それは古代の呪術文字のようにも、血管のようにも見えた。紋様はまるで生き物のように這い回り、卵全体を覆い尽くしていく。


同時に、俺の体から何かが急速に吸い取られていくような感覚に襲われた。


血管の中を冷たいものが逆流するような感覚。指先から力が抜け、視界がぐにゃりと歪む。息が苦しい。


長老の薬を飲んだ時とは比べ物にならないほどの、圧倒的な喪失感。魂の根幹から何かが引き剥がされるような激痛とともに、俺の中にある魔力のようなものが、紋様を通して卵へと流れ込んでいるのだ。


「な、なんだ……これ……」


卵から放たれる赤黒い光は次第に強くなり、薄暗いあばら家の壁に不気味な影を踊らせる。


脈打つ紋様は、まるで俺の命そのものを喰らおうとしているかのようだった。


果たして、この卵から何が生まれようとしているのか。


俺が温め続けていたものは、本当にただの捨てられた命だったのか。


恐怖と混乱が渦巻く中、俺の意識は明滅する光に飲み込まれ、深い闇の中へと沈んでいった。

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