表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
土を読む男爵令嬢のせいで、公爵令息は完璧でいられなくなる──我が家が国家機密だなんて知りませんでした  作者: 中田かすり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/11

第四話 ハンカチの行方、正体不明の草


「ハンカチ、どうしよう……」


 ロシーナは廊下で立ち止まり、深くため息をついた。


 ここ数日、そのことばかりが気になって仕方がない。けれど、あの高貴な面々が集うテラスに、下位貴族の自分が勝手に入り込むわけにもいかない。


 母が贈ってくれた大切な品だが、もうあきらめてしまおうか。

 母なら、なくしたと言えば「もう、ドジねえ」と笑って許してくれるだろう。


 けれど、胸の奥に刺さった小さなトゲのような違和感は、どうしても消えなかった。


 考え事をしながら中庭を歩いていると、鉢植えの手入れをしていた学園の庭師が、ふと顔を上げた。



「おや、熱心なカッセルのお嬢さんじゃないか。今日もいつもの調査をする予定なら、北の温室裏へ行ってみるといい。少し足元は悪いが、この時期、珍しい草が芽吹いているはずじゃ」



「珍しい草……ですか?」



「ああ。ワシもこの仕事は長いが、こんな街中で見かけることはないはずの草でな。不思議なもんじゃよ」



 数日後。庭師の言った通りの場所に、それは生えていた。


 まだ芽吹いたばかりのその葉は、驚くほど肉厚で、表面を細かい灰白色の産毛がびっしりと覆っている。


 その柔らかな毛の隙間から覗く葉の地色は、根元に向かうほどしっとりとした灰緑色の深みを増していた。



「初めて見るわ。なんという植物なのかしら……」



 ロシーナは膝をつき、夢中で観察を始めた。

 指先でそっと触れれば、多肉質な葉の弾力と、産毛のベルベットのような感触が伝わってくる。


 そのあまりの瑞々しさと、どこか現実離れした色彩に魅了され、時間の経過すら忘れて没頭していた。


 そんな彼女の背後から、軽やかな足音が近づいてきた。



「やあ、ロシーナちゃん」



 相変わらず掴み所のない笑みを浮かべたヴィクターだった。



「先日のテラスではありがとね。……で、今日は何をしているの? ここはご令嬢が入り込むようなところじゃないよ?」



「あ、いえ……あの、ここに珍しい植物があると伺って、見にきたのです」



「珍しい植物……、ん? これは……?」



 ヴィクターが足元を見つめたまま黙り込む。瞬きを忘れたその瞳に、ロシーナの胸がざわめく。



「あの……?」



「あ、ああ。これさ、あんまり深入りしない方がいいかもよ?」



「サヴァラン様、なにかご存知なんですか?」



「んー、知らない」



 ヴィクターは惚けたように微笑んだまま、ふいに身を屈めた。

 視界のすみで、ヴィクターの淡い蜂蜜色の髪がさらりと落ちた。



「でも、物騒な噂はあるよ。カッセルのお嬢さんなら、知ってるかと思ったけど」



「え……」



 突然の家名に思わず体の動きが止まった。

 ヴィクターの顔から冗談めいた気配は消え、底の見えない静かさだけがそこにあった。



「……だから、気をつけて」



「……は、い」



 ロシーナがそう返した瞬間、ヴィクターはもういつもの笑みを浮かべていた。



「ごめーん! 驚かせちゃったね。……そうだ、ロシーナちゃんのハンカチの行方教えるよ」



「え?」



「ユリウスが持ってるよ。自分で返すとか言っておいて、ずいぶん苦戦してるみたいだけど」



 ふふ、と笑いながら去っていくヴィクターの背中を見送り、ロシーナは立ち尽くしていた。



「ランベルト様が、私のハンカチを……?  なぜ?」



 高位貴族の令息にとって、ロシーナのハンカチなど気に留める必要がないものだ。たとえ返すにしても、従者に命じて届けさせれば済む話である。


 公爵家の嫡男が、わざわざ自分の手元に留め、自力で返そうと苦戦する理由など、この学園のどこを探しても見当たらないはずだった。


 学園中の羨望を一身に集めるユリウス・フォン・ランベルトが、よりにもよって、カッセル家の紋章が入った使い古しのハンカチを持っている。


 想像してみようとしても、あまりのミスマッチさに脳が拒絶を起こした。


 彼は今、あの白磁のような指先で、ロシーナのリネンを握っているというのか。……いや、まさか。



(苦戦しているって、どういう意味……?)



 寮の自室に戻ってからも、ロシーナの耳の奥でヴィクターの言葉が反響し続けていた。

 返すのに苦戦する、とはどういうことだ。届け先を忘れたのか。それとも──。


 ここでロシーナは、はたと気がついた。



(……そうだわ。私……そもそも名乗ってないじゃない!)



 あの日、一番低位であるロシーナから口を開くわけにもいかず、名を告げる機会を完全に逸していた。

 その後は土の話に夢中になってしまい、その致命的な欠落をすっかり忘れていたのだ。



「苦戦するはずだわ……そもそもどこの誰のものかさえ、わからないんだもの!」



 ロシーナは、使い込まれた木製の学習机にがばりと突っ伏し、両手で頭を抱えた。


 公爵家ともなれば、他人の持ち物を安易に捨てるわけにもいかず、さりとて持ち主もわからず、高潔な彼は扱いに困り果てているに違いない。



「……なんて、迷惑をかけてしまったのかしら」



 申し訳なさと、いたたまれなさで、顔がカッと熱くなる。

 母が持たせてくれた大切な品が、ユリウスの日常に、処分不能な異物として入り込んでしまったのだとしたら、これ以上の不徳はない。



「──……ナ! ……シーナ!」



 ロシーナにようやく声が届き、ほっとしたようにマリーが微笑んだ。



「もう、シーナったら。どうしたっていうのよ? 部屋に戻ってきてからずっと変よ?」



「マリー……」



「悩みごと? 私でよければ話聞くわよ?」



「マリー! どうしよう、私……とんでもなく失礼なことをしてしまったかもしれない!」



 ロシーナは、自分より少し背の高い親友の腰に、しがみつくようにして抱きついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ