掌⑩
忙しい1日がやっと終わった。今日の練習は結構適当になってしまった。嬉しい気持ちでいるはずだったけど、今はあの涙の理由が気になって仕方ない。駐車場に向かって歩きだすと夜空から雨粒が点々と落ちてきた。すぐに大降りになる感じがして小走りで移動した。
車に乗りエンジンをかけてワイパーをオンにした。少しの間シートにぐったりもたれかけて前を見ていた。答えがわからない事をいくら考えも何にもならない。そう踏ん切りをつけて車のギアを倒した。
途中までスムーズに走っていたものの国道に入ると渋滞しだした。雨は予想どおり強くなり、車の流れもついに止まってしまった。
ワイパーと雨の音が聞こえる中ぼんやりとしていた。音楽をかけるのを忘れてる。ラジオでもつけようと手を伸ばしたとき肩についたヘアオイルが香った。
そうだ、夕夏ちゃんが涙を浮かべたのはヘアオイルをつけてからだった。俺、なんか言ったっけ……
その時“キンモクセイ”がどんな花なのか知りたくなった。ちょっとした興味で調べたつもりだった、でも検索した画像を見て緊張が走った。これと似たものをどこかで見たことがあるーーーーー 蓮のスケッチブックだ。
緑とオレンジが所々に塗ってある、あの絵だ。でも、だから何なんだ。なんで俺は焦ってるんだ?
画面を待ち受けに戻して携帯を助手席に置いた。窓の外を眺めた。ここは夕夏ちゃんを送った時に通った道だ。そして寂しげな横顔を思い出した。遠くに打ち上げられた花火、色とりどりの小さな丸が重なったみたいになって…… あれも確か、見た。
蓮は夢で見た内容を描いたと言っていた。本人でさえ何かわかっていないものを俺はどうしてそれだと思い込んでいるのか。キンモクセイと花火が2人にとって特別な何かなのか?
いや、違う。蓮は2年以上眠ってた。出会ってからだって花火に行けるはずはないし、キンモクセイなんかどう関係あるんだよ。
あの日隠れながら聞いた会話が蘇る。どう考えても辻褄は合わないし、想像したことは現実的じゃない。でも……
あのスケッチブックが俺の恐れてることを引き起こす可能性は充分にある。蓮が夕夏ちゃんとの“何か”を思い出す前にどうにかしないと……
翌週、休みの日に蓮の見舞いに行った。病室へ向かうといつも声を掛けてくれる看護師さんに会った。
「あら、なんだか久しぶりですね」
「どうも。この間来たんですけど夜だったから」
「そうでしたか。青谷さんのヘアカット、次はいつの予定ですか?」
「近々しようって話したんですけどまだ決まってなくて」
「手術したばっかりですもんね。そう言えばこの間一緒に搬送されたお友達、青谷さんに顔がそっくりでびっくりしたわ」
「…え」
「ほら、気絶しちゃって運ばれてきた子がいたでしょ?」
「なんですか?それ」
看護師さんは俺の反応を見て目を見開いた。
「あっごめんなさい、その時いなかったのかしら?」
「俺は後で話聞いたんです」
「そうだったのね。失礼しました。それじゃあ」
看護師さんはばつが悪そうに去っていった。




