富士山より美月の声がデカい!?――女王陛下・土屋凜花とヒロ室東海(仮称)、富士宮“てっぺん”ご当地PR大作戦!
富士宮の朝は、空そのものが富士山のために用意された舞台装置のようだった。
青い空の下に、白い雪を頂いた大きな山体がどんと座っている。遠くから眺める富士山とは違う。富士宮まで来ると、「見える」というより「いる」と言った方が近い。
そんな富士山のお膝元で開催されるのが、
『富士宮てっぺん! 富士山まるごとローカルフェスタ2026』。
富士山本宮浅間大社、白糸ノ滝、豊かな湧水、そして全国区のご当地グルメとなった富士宮やきそば。富士宮という街の魅力を、見て、聞いて、食べて、丸ごと楽しんでもらおうというイベントである。
その出演者控室は、開演前から本番以上に騒がしかった。
理由は簡単だった。
赤嶺美月がいる。
山田真央もいる。
それだけでも十分なのだが。
さらに。
「……お前、またおるやん」
美月が部屋の隅を見て、露骨に嫌そうな顔をした。
そこには、タツノオトシゴがいた。
ヒロ室東海(仮称)専属ゆるキャラ。
たつを。
五歳。
男の子。
愛知県三河地方出身。
高浜市だという説と刈谷市だという説があるが、詳細は本人も明らかにしない。
いや、本人は喋らない。
代わりにフリップを出す。
《おはよう》
「挨拶の問題ちゃうねん」
美月が即座に返した。
「今日、お前呼ばれたん?」
たつをは少し考えるような仕草をしてから、新しいフリップを出した。
《よばれた》
「誰に?」
《ふじさん》
控室が一瞬静まり返った。
その直後、美月の声が響いた。
「富士山がお前を指名するか!」
真央が腹を抱えた。
「でも、たつをならありそうだがね!」
「ない!」
たつをは窓の向こうの富士山を指さし、さらに一枚。
《さっき めがあった》
「山に目ぇないわ!」
朝一番から完璧な漫才だった。
土屋凜花は少し離れたところで、その様子を見ながら笑っていた。
戦隊ヒロインになったばかりの大型新人。
元人気アイドル。
現役イベントコンパニオン。
沼津市出身。
御殿場のお披露目では初出演とは思えない安定感を見せ、応援グッズまで即完売した。
だが今日も本人は新人らしく控えめだった。
少なくとも。
ヒロ室では。
「たつを、今日はちゃんとスタッフパス持ってるの?」
凜花が尋ねた。
たつを。
《もってる》
「誰にもらったの?」
《きくな》
「そこは一生秘密なんだ」
凜花が苦笑したところへ、月島小春が入ってきた。
東京仕込みの江戸っ子ギャル。
見た目は華やか。
口調も軽い。
しかし、場の空気を見る能力は抜群だった。
部屋へ入って三秒。
美月と真央。
たつを。
笑っている凜花。
資料を読んでいる伊織。
全体を一瞬で把握すると、
「朝から仕上がってんじゃん。まだ本番始まってないっしょ?」
と笑った。
それだけで妙に空気が落ち着く。
小春は凜花の横へ座った。
「凜花さん、富士宮は初めて?」
「仕事では何度か来てる。でも戦隊ヒロインとしては初めて」
「じゃ今日は静岡勢に案内してもらお。ウチも東京だから観光客側だし」
それを聞いていた金城伊織が資料から顔を上げた。
「富士宮って、富士山が見えるだけの街じゃないんだね」
教員志望の伊織は、すでに配布資料へ細かく付箋を貼っていた。
「浅間大社もあるし、白糸ノ滝もあるし、昔から富士山と人の暮らしや信仰がずっとつながってるんだ」
小春が感心した。
「伊織、もう先生じゃん」
「まだ学生さぁ」
「でも説明は先生より先生っぽいで」
美月が横から口を挟む。
そこへたつを。
《きょうの せんせい》
伊織が笑った。
「じゃあ今日は先生役で頑張るさぁ」
たつをが次のフリップを出す。
《みづきは》
「なんや」
美月が警戒した。
《にぎやかし》
控室が爆笑に包まれた。
「役職みたいに書くな!」
イベント開始前の緊張感など、すっかり消えていた。
ステージ最初のテーマは、もちろん富士山だった。
杉山ひかりが柔らかな声で客席へ語りかける。
「富士宮って、“富士山のお膝元”っていう言葉がほんとによく似合うんだよぉ。街から見上げると、本当にすぐそこに富士山があるみたいで」
続いて凜花。
「私の地元の沼津から見る富士山もすごくきれいなんです。でも富士宮から見ると迫力が全然違うんですよ。山そのものが街の風景に入ってる感じで」
浜松出身の美音も続けた。
「同じ静岡県でも、西部から眺める富士山とは距離感が大きく違います。こうして近くで見ると、同じ県内でも印象が変わりますね」
そこで小春がすっと入った。
「待って。同じ静岡県なのに、そんなに違うの?」
「違うよぉ」
ひかりが笑う。
凜花も頷いた。
「静岡県、横にものすごく長いですから」
小春はそのまま客席へ向いた。
「なるほどね。東京モンの感覚で“静岡県”ってひとまとめにしちゃダメってことじゃん!」
県外から来た観客が頷く。
こういうところが小春の強みだった。
専門家の話を一般客の感覚まで引き寄せる。
伊織も続いた。
「歴史的に見ても伊豆、駿河、遠江って地域ごとに文化が違うんだよね」
「浜松は遠州文化ですね」
美音。
「沼津は今は県東部っていう括りが分かりやすいですけど、歴史的には駿河側です」
凜花。
真央が笑った。
「静岡だけで学校の授業一本できそうだがね!」
そこへ。
たつを。
《しずおか よこに ながすぎ》
美月が珍しく同意した。
「これはその通りや」
たつを。
次。
《みづきの はなしも ながすぎ》
「関係あるか!」
さらに。
《こえも でかい》
「お前今日それ言うために来たんか?」
そして。
たつをが大きなフリップを掲げた。
《ふじさんより みづきのこえが でかい》
客席から大爆笑が起きた。
美月は両手を広げた。
「標高三千七百七十六メートルと声量比べんな!」
小春まで真顔で言う。
「でも最後列まで普通に聞こえてるから、マイクいらない説はあるよ」
「小春まで乗っかるな!」
凜花は横で笑いをこらえていた。
前回は御殿場で派手に転び。
今回は富士山より声が大きい。
美月は確実に、りんか民の新しい玩具になりつつあった。
続いて富士山文化の紹介。
ここでは伊織が本領を発揮した。
子どもたちを前にしても、難しい言葉を並べない。
「富士山って、高くてきれいだから大切なだけじゃないんだよ」
小学生くらいの子どもたちが見上げる。
「昔から、人が祈ったり、登ったり、山から流れてくる水を使ったりしながら、一緒に暮らしてきた山なんだ」
「へえー」
小さな声。
伊織の表情が少し嬉しそうになる。
「だから富士山を知るっていうことは、山だけじゃなくて、ここで暮らしてきた人たちを知ることでもあるんだよ」
ひかりが感心した。
「伊織ちゃん、説明ほんとに上手だねぇ」
小春も頷く。
「教員志望、伊達じゃないじゃん」
伊織は少し照れていた。
「まだまださぁ」
そのあと子どもたちがステージ前へ集められたが、一人だけ緊張して前へ出られない女の子がいた。
小春はすぐ気づいた。
しゃがみ。
目線を合わせる。
「大丈夫だって。間違えても誰も怒んないからさ」
女の子が小春を見る。
「ウチも知らないこといっぱいあるし。一緒にやろ? 楽しんだモン勝ちじゃん」
その言葉で、女の子はようやく一歩前へ出た。
派手な江戸っ子ギャル。
でも。
こういうところは驚くほど柔らかい。
舞台袖の遥室長が笑った。
「小春ちゃん、やっぱああいうの上手だねぇ」
隼人補佐官も頷く。
「場の温度を調整する能力が高いですね」
そして。
富士宮。
最大。
食。
登場。
大きな鉄板。
火。
麺。
ソース。
ジュウウウッという音とともに、香ばしい匂いが会場へ広がった。
美月の鼻が露骨に動いた。
「これアカン。腹減るやつや」
凜花が笑う。
「富士宮に来て、これ食べないのはもったいないですよ」
富士宮やきそば。
独特の弾力を持つ麺。
噛むとしっかりしたコシが返ってくる。
肉かすの旨味。
キャベツ。
ソース。
そして最後に振りかけられる削り粉。
真央が一口。
「うわ! 麺がめっちゃしっかりしとる!」
真白も目を丸くする。
「普通の焼きそばより歯ごたえがありますね」
あかりは肉かすを味わって、
「この旨味が麺によく合いますね」
伊織は鼻をくすぐる香りに、
「削り粉がいい仕事してるさぁ」
小春は箸を止めない。
「これ、お祭りで食べたら絶対テンション上がる味だわ」
美音は冷静に分析した。
「一般的な焼きそばと比べると、かなり麺そのものの存在感がありますね」
そして。
美月。
一口。
「うまっ!」
二口。
「これもう一皿いけるわ!」
たつを。
《3にんまえ》
「五歳が食いすぎや!」
《せいちょうき》
「タツノオトシゴの成長期って何やねん!」
《にくかす ましまし》
凜花が笑った。
「たつを、意外とこってり派なんだね」
《5さい》
美月がすかさず、
「五歳を万能免罪符みたいに使うな!」
会場の笑いは途切れない。
ご当地クイズでは、伊織が司会役になった。
「では問題です。富士宮やきそばの特徴の一つといえば?」
早押し。
ピンポン。
誰より早い。
美月。
「愛情!」
ブー。
「なんでや! 一番大事やろ!」
伊織が笑う。
「いい答えだけど、今日は食文化のクイズさぁ」
たつを。
《そういう ばんぐみじゃない》
「ゆるキャラに番組構成を説教された!」
次は白糸ノ滝。
伊織が富士山麓の水が地下を通り、崖の各所から湧き出して滝を形作っていることを、子どもにも分かるように説明する。
子どもたち。
また。
「へえー」
小春が嬉しそうに言った。
「こういう“へえー”が一番いいよね」
伊織も頷いた。
「そうなんだよ。全部覚えてもらわなくても、“面白い”って思ってもらえたらいいさぁ」
教員志望らしい考え方だった。
その後の「みんなで富士山ポーズ」では、空手で鍛えた伊織の姿勢が異様に美しかった。
両脚。
しっかり。
腰。
安定。
両腕。
富士山。
子どもたちも真似する。
小春は列から外れた子を自然に戻す。
美月。
誰より大きく。
全身。
富士山。
たつを。
《みづきだけ ふんか》
「何が噴火しとんねん!」
次のフリップ。
《こえ》
「やっぱり声かい!」
その頃には凜花もすっかりステージの流れを掴んでいた。
イベントコンパニオンとして何百もの現場に立ってきた経験は伊達ではない。
MCが一瞬止まりそうなら、自然に言葉を入れる。
後方の観客が置いていかれていると気づけば、
「後ろのみんなもちゃんと見えてるよー♡」
と手を振る。
進行が少し押していれば、自分のコメントを短くまとめる。
客の反応が薄い話題なら、すぐ別の出演者へ振る。
美月が感心して言った。
「凜花さん、やっぱ現場めちゃ強いな」
「ありがとうございます」
凜花は涼しい顔で答えた。
でも。
口元。
ちょっと。
緩む。
たつを。
見逃さない。
《いま うれしそう》
「たつを、余計なこと言わなくていいの」
《あたってる》
「こいつ、人の弱点見つけんの早すぎるやろ!」
最後は全員で富士山を背に並んだ。
「富士宮、また来てねぇ!」
ひかり。
「富士山だけじゃなくて、歴史も水も食べ物も楽しんでね!」
伊織。
「せっかく来たら腹いっぱい楽しんで帰ってよ!」
小春。
凜花も笑顔で続く。
「静岡県東部には、まだまだ素敵なところがたくさんあります。ぜひまた遊びに来てください♡」
美月。
「富士宮最高やー!」
そして。
最後。
たつを。
《やきそば たべてから かえって》
美月。
一秒だけ真顔。
「それは正しい!」
イベントは大成功だった。
撤収を終えた一行は車で富士方面へ戻った。
向かう先。
全員。
分かっていた。
凜花が一応尋ねる。
「このあと、どこ行くんですか?」
美月がニヤッとした。
「分かっとるくせに」
凜花も笑う。
「まあ、分かりますけど」
富士川分室の近くにある。
炭火で焼き上げる牛肉の大きなハンバーグ。
静岡県内では圧倒的な知名度を持ち、県外にも熱烈なファンが多い。
この物語の作者まで、静岡へ行けば食べたくなる。
あの店。
駐車場へ着いたところで、美月が周囲を見回した。
「あれ?」
凜花が振り返る。
「どうしました?」
「たつをは?」
隼人補佐官が何でもないことのように答えた。
「身延線で帰りました」
「ふーん」
終わり。
真央が思わず突っ込む。
「聞いといてそれだけ!?」
「帰ったんならええやん」
小春が首を傾げた。
「ていうか、たつを、どうやって駅まで行ったの?」
全員。
止まる。
隼人も一瞬だけ考えた。
「……そこまでは確認していません」
美月はさっさと店へ向かう。
「まあ、たつをやし」
なぜか。
全員。
納得した。
店へ入ると、もう炭火の香りが漂っていた。
この店は富士川分室で研修したヒロインたちにはおなじみだった。
凜花。
ひかり。
美音。
静岡県勢はもちろん。
美月も真央も真白もあかりも、小春も伊織も、すでにこの味を知っている。
席へ着くなり、美月が言った。
「今日は反省会いうより祝勝会でええやろ」
隼人。
「反省会です」
「ハンバーグ食いながら?」
「食事と会議は両立できます」
「真面目やなぁ」
やがて。
名物。
丸々とした大きなハンバーグが運ばれてきた。
店員が目の前で二つに割り、熱い鉄板へ押しつける。
ジュウウウウウウ――!
その瞬間。
ヒロイン十人。
全員。
黙る。
炭火。
焼けた肉。
肉汁。
熱い鉄板。
香り。
たまらない。
小春が目を輝かせた。
「この瞬間、何回来てもテンション上がるわ」
「音が反則だがね!」
真央。
「香りだけでご飯いけそうです」
真白。
あかりも頷く。
「目の前で仕上げてもらえるのがいいんですよね」
伊織は一口食べて、目を丸くした。
「やっぱりうまいさぁ。県外から食べに来る人がいるの分かるよ」
ひかりが嬉しそうに笑う。
「そうだらぁ?」
美音は肉を味わいながら分析する。
「炭火の香ばしさと、肉を食べているという力強さがはっきりしていますね」
凜花も一口。
「……やっぱりこれ」
美月。
一口。
「うまっ!」
真央。
「肉食べとるって感じがすごいがね!」
小春。
「肉汁とソースで白飯止まんないじゃん」
真白。
「静岡へ来たご褒美感がありますね」
あかり。
「わざわざ食べに来たくなるの、分かるに」
ひかり。
「県外の人にも人気なの嬉しいよぉ」
美音。
「静岡県民として誇っていいと思います」
凜花。
「沼津からでも普通に食べに来たくなりますもん」
美月は静岡勢三人を眺めた。
「なんか凜花さん、ひかり、美音の三人だけ、急に県観光大使みたいになっとるで」
三人。
ほぼ。
同時。
「だって美味しいから」
美月。
「そこだけ異様に息ぴったりやん!」
隼人はそんな一同を横目に資料を開いた。
「では本日の反省点ですが」
誰も箸を止めない。
「聞いていますか?」
全員。
「聞いてます」
口。
いっぱい。
説得力。
なし。
それでも反省会そのものは意外と真面目だった。
伊織が言う。
「子ども向けの説明は難しい言葉を減らせたのが良かったと思う。覚えてもらうより、興味を持ってもらう方が大事だから」
小春も、
「客席がちょっと固くなった時は、こっちから話振って崩すのもありっしょ。今日みたいなイベントなら、その方が入りやすいと思う」
隼人は頷いた。
「月島さんの観客との距離の詰め方は非常に効果的でした」
小春が嬉しそうに笑う。
「褒められたじゃん」
美月。
「小春、見た目ギャルやのにこういうとこちゃんとしてるよな」
「見た目関係なくない?」
「せやな」
早い。
凜花は伊織へ向いた。
「伊織さんの説明もすごく分かりやすかったです」
「先生になる練習にもなったさぁ」
「絶対いい先生になるよぉ」
ひかりに言われ、伊織は少し照れた。
そして。
肉。
食べた。
あと。
もちろん。
甘いもの。
三ヶ日みかんの贅沢パフェ。
美月は目の前のパフェを眺めた。
「ハンバーグ食ったあと、これ入るん?」
真央。
「甘いものは別腹だがね」
凜花が笑った。
「美月さん、さっきメニュー開いた瞬間、一番最初にパフェのページ見てましたよね」
「見てたん!?」
「真正面だったので」
小春。
「バレバレじゃん」
三ヶ日。
遠州。
美音の地域。
美音は少し誇らしそうだった。
「三ヶ日みかんは、甘味と酸味のバランスがいいんです」
美月。
「はいはい、遠州代表来たで」
「今日は言わせてください」
一口。
全員。
ほぼ。
同時。
「おいしい」
爽やかな柑橘の香り。
ほどよい酸味。
甘いクリーム。
炭火ハンバーグの後なのに、不思議なほどすっと入る。
美月。
「これは別腹やわ」
真央。
「言ったがね」
やがて隼人が資料を閉じた。
「本日のイベントは成功ということでよいでしょう」
美月。
「最初からそう言うたやん!」
そして夜。
新富士駅。
美月は西へ向かう新幹線の指定席に座っていた。
イヤホン。
装着。
スマートフォン。
起動。
本人。
認めたくない。
でも。
最近。
少し。
楽しみ。
になっている。
RINKA MODE。
画面に凜花。
沼津の自宅。
通称。
らぶりんか王国王宮。
リングライト。
長い黒髪。
いつものあざとい笑顔。
「りんか民のみんなぁ、ごきげんよう♡」
美月は小声で言った。
「始まった始まった」
凜花はイベントで撮った写真を次々に見せた。
富士山。
ステージ。
富士宮やきそば。
ヒロインたち。
「今日は富士宮でイベントしてきましたぁ♡」
《行ったよ》
《陛下かわいかった》
《富士宮行きたくなった》
《伊織先生の話分かりやすかった》
《小春ちゃん客あしらい上手》
凜花が頷く。
「そうなの。伊織さん、ほんとに説明上手だった。小春さんも、空気を柔らかくするのすごく上手で。私も勉強になりました」
美月は少し感心した。
「ちゃんと見とるなぁ」
その時。
一行。
コメント。
《美月今日もうるさかった》
美月。
「……来たな」
《富士山より声デカいは草》
《たつを正論》
《標高3776m級の声量》
「声に標高あるか!」
思わず声が出た。
前の席の客が少し振り返る。
美月。
「すんません」
そして。
コメント欄。
指。
本人見てるで。
入力。
送信。
直前。
止まる。
美月は唇を噛んだ。
「アカン」
消す。
「これは冷戦や。正体明かしたら負けや」
何に負けるのか。
本人。
分からない。
次。
《美月の声、新幹線の中まで聞こえてきそう》
美月。
「今まさに新幹線乗っとるわ!」
入力。
新幹線から本人が見てます。
送信。
直前。
また。
止まる。
削除。
「くっ……」
完全。
自分で。
自分。
縛っている。
画面。
凜花。
コメント。
見て。
少し。
眉。
寄せた。
「ちょっと、りんか民」
美月。
身。
乗り出す。
「おっ。凜花さん、言うたれ」
「美月さん、今日もすごく頑張ってくれたんだから、あんまりいじらないの」
美月。
満足。
「せやせや」
凜花。
「新人の私にも何回も話振ってくれたし、お客さんがちょっと静かになったらすぐ盛り上げてくれたし」
美月。
顔。
緩む。
「凜花さん、分かっとるやん」
凜花。
少し。
間。
そして。
ニヤッ。
「まあ……たつをの“富士山より声が大きい”は、ちょっと分かるけど♡」
美月。
口。
開く。
新幹線。
声。
出せない。
無音。
全力。
お前もかい!
コメント。
《陛下公認》
《美月峰》
《河内山》
《活火山》
美月。
小声。
「勝手に山つくんな……!」
入力。
ここに本人おるで!!
また。
指。
止まる。
削除。
「冷戦や。耐えろ。耐えろ美月」
コメント。
《河内のお母ちゃん》
美月。
目。
見開く。
《面倒見いいオバちゃん》
美月。
拳。
握る。
「……りんか民」
完全。
敵国。
扱い。
である。
しかし。
凜花は楽しそうに言った。
「でも、美月さん本当に頼りになりますよ。私まだ新人だから、ああいうふうに自然にみんなへ話を振ったり、お客さんを笑わせたりするの、すごいなって思ってます」
美月。
また。
機嫌。
直る。
「……凜花さん、エエ子やん」
《オバちゃんだから》
美月。
停止。
《世話焼きお母ちゃん》
美月。
無言。
コメント欄。
睨む。
入力。
表出ろ。
一文字。
二文字。
三文字。
止まる。
「アカンアカンアカン!」
全消去。
自分。
戦隊ヒロイン。
相手。
一般視聴者。
しかも。
凜花のファン。
何を。
している。
新幹線の中で。
一人。
コメント欄と戦争。
している。
そして。
最大。
問題。
りんか民側。
誰一人。
美月と戦争中。
だと。
知らない。
一方的。
冷戦。
である。
凜花はそんな国際情勢ならぬ王国情勢など知らず、笑顔で配信を締める。
「今日は本当に楽しかった♡ また静岡のいろんなところに行きたいな」
「りんか民のみんなも、一緒に静岡を好きになってくれたら嬉しいです♡」
手。
ひらひら。
「じゃあ、またね。ごきげんよう♡」
配信終了。
美月はしばらく暗くなったスマートフォンを見つめた。
窓の外。
夜の静岡県。
流れる。
一拍。
「……凜花さんはエエ人や」
もう一拍。
「りんか民は別や」
宣言。
小さい。
でも。
固い。
こうして。
富士宮でのイベント活動は大成功。
富士山。
歴史。
湧水。
富士宮やきそば。
炭火ハンバーグ。
三ヶ日みかん。
静岡の魅力はたっぷり伝わった。
小春は江戸っ子ギャルらしい軽やかさで場を整え。
伊織は未来の先生らしい知識と優しさを見せ。
凜花はイベントコンパニオン仕込みの現場力を発揮し。
美月は富士山より大きいと言われた声で盛り上げ。
そして。
たつをは。
誰にも理由を説明しないまま。
身延線で帰った。
さらに。
この日もまた。
美月とりんか民の間には。
停戦交渉の予定すらない。
極めて平和で。
極めてくだらない。
お笑い冷戦。
だけが。
着実に。
激化していたのである。




