ヒロ九クエスト第60話 受け身は命を救う ――江波のどか、畳の街の一本勝ち
黒煙を上げながら熊本市郊外のヒロ九拠点を出発したラッピングバスは、鹿児島港を目指して南へ走っていた。
ただし、いきなり港へ向かうほどヒロ九の旅は素直ではない。
最初の立ち寄り地は、熊本県八代市だった。
車内マイクを握った西里香澄が、いつもの明るい熊本弁で案内を始める。
「皆さーん、まもなく八代ですばい! 八代いうたら、球磨川と八代平野、うまかもん、そして何より、い草と畳の街たい! 畳のよか香りば支えとる、すごか土地なんですよ。今日はい草の香りば胸いっぱい吸って、八代の底力ば感じてくださいね!」
その直後、バスが坂道で唸り、後方から黒煙がふわりと流れた。
南部沙羅が窓の外を見て言う。
「い草の香りを楽しむ前に、ディーゼルの香りで予習してるんだけど」
水無瀬澪は半分寝ながら答えた。
「これはこれで、旅の香り」
「悟ったふりして慣れないで」
首藤凪は冷静に運転席へ言った。
「会場到着後は、速やかにエンジン停止をお願いします。い草文化への敬意として」
「敬意の方向が実務的ですね」
菜々子支配人が苦笑した。
八代では、地元主催の「八代い草・畳ふれあいフェスタ」が開催されていた。
会場には、い草農家の展示、畳職人の実演、ミニ畳作り体験、畳縁の小物販売、八代産い草製品の紹介ブースが並ぶ。
そして中央には、柔道交流用の大きな畳スペース。
ここで一気に主役となったのが、広島市出身の江波のどかだった。
のどかは柔道有段者。戦隊ヒロインの中でも屈指の武闘派である。
普段はどぎつい広島弁で勢いよくしゃべり、やや粗暴に見られることもある。だが畳へ上がると、表情が変わった。
のどかは正座し、畳へ深く礼をする。
「柔道家にとって、畳いうんはただの床じゃないんよ」
会場が静まる。
「投げられた時、倒れた時、受け身を取った時、うちらの身体を受け止めてくれる。畳があるけぇ、思い切って技ができる。じゃけぇ、畳にはいつも感謝しとる」
のどかは、い草農家と畳職人たちへ向き直った。
「その畳の原料になるい草を育ててくださる農家の皆さんには、感謝してもしきれんです。今日は八代の畳の上に立てて、柔道家としてぶち誇りに思います」
会場から、割れんばかりの拍手が起きた。
香澄が小声で言う。
「のどかちゃん、今日は先生感がすごかですばい」
ひなた副支配人は即座にメモを取る。
「江波のどかさん、畳関連イベント適性が極めて高い、と」
柔道教室が始まると、のどかは完全に独擅場だった。
「まず礼じゃ。相手に礼、先生に礼、畳に礼。強い弱いの前に、礼ができん子は柔道家じゃないけぇね」
少年少女たちは背筋を伸ばす。
のどかの広島弁は強い。だが怖いだけではない。子どもたちを本気で大切にしている熱がある。
「今日、うちが一番教えたいんは投げ技じゃない。受け身じゃ」
子どもたちがざわつく。
「転ばん人間なんかおらん。柔道でも、学校でも、人生でも転ぶ時はある。大事なんは、転ばんことじゃない。転んだ時に自分を守れることじゃ」
のどかは後ろ受け身を見せる。
畳を叩く音が、会場に気持ちよく響いた。
すぐに起き上がり、のどかはにやりと笑う。
「やっぱり八代の畳は最高じゃ!」
会場は大爆笑。
畳職人もい草農家も、嬉しそうに拍手する。
菜々子が感心する。
「今の、最高のリップサービスたい」
香澄も頷く。
「八代市の観光コピーに使えますばい」
子どもたちへの指導は好評だった。
怖がる小さな女の子には、のどかが膝をつき、声を柔らかくする。
「大丈夫じゃ。うちが支えとるけぇ、ゆっくり倒れてみんさい」
女の子が初めてきれいに受け身を取ると、のどかは満面の笑顔で褒めた。
「今の、ぶち上手じゃったよ!」
やがて、ヒロインたちにも受け身の再指導が始まる。
まず沙羅。
「受け身くらい、優雅にできるわ」
そう言ったが、倒れる瞬間に髪を気にして顎が上がり、手の位置も危ない。
のどかが容赦なく言う。
「沙羅さん、それ受け身じゃのうて、倒れかけたマネキンじゃ!」
会場は大爆笑。
「マネキンは言い過ぎでしょ!」
「言い過ぎなら、もう一回やってみんさい」
二回目も、だいたいマネキンだった。
次は澪。
やる気なさげに畳へ立つ。
「倒れればいいの?」
「倒れりゃええいうもんじゃ――」
のどかが言い終わる前に、澪はすっと身体を沈め、無駄のない後ろ受け身を取った。
畳を叩く音も美しい。
のどかが目を丸くする。
「澪さん、型ぶちええじゃん」
澪は眠そうに答える。
「転がるの、嫌いじゃない」
沙羅が呆れる。
「才能の理由が低すぎるのよ」
そして迫田ツインズ。
澪香と澄香は、同じ角度で構え、同じタイミングで倒れ、同じ音で畳を叩き、同じ速度で起き上がった。
会場が一瞬静まる。
菜々子が呟く。
「すごか……でも、ちょっと怖か」
香澄も頷く。
「双子の神秘ですばい」
のどかは困った顔をした。
「上手いんじゃけど、不気味なくらい同じなんよ」
澪香と澄香は同時に笑った。
「普通だよね?」
「ねー」
普通ではなかった。
最後に、のどかは子どもたちへもう一度語りかけた。
「今日覚えた受け身は、柔道だけのもんじゃないけぇね。転んだ時、自転車でバランス崩した時、自分を守る力になる。技より先に、礼。勝つことより先に、相手と自分を大事にすること。それが柔道じゃ」
少年少女たちは真剣に頷いた。
どぎつい広島弁で勢いよく喋る武闘派ヒロイン。
だが八代の畳の上では、誰より礼儀を重んじる柔道家だった。
イベント終了後。
ヒロ九の一行がバスへ戻ると、会場の外には柔道着姿の少年少女たちが並んでいた。
「のどか先生、また来てね!」
「受け身、練習する!」
「八代の畳、最高じゃって言ってくれてありがとう!」
のどかは照れくさそうに手を振った。
「礼を忘れんのよ! あと畳に感謝じゃけぇね!」
地元の畳職人からは、小さな記念畳が贈られた。
中央には、こう刺繍されている。
「ヒロ九 旅の安全」
菜々子は胸を熱くする。
「これ、バスに飾ろう」
凪が即座に言う。
「運転席の視界を妨げない位置にしてください」
香澄が笑う。
「黒煙除けのお守りにもなるかもしれんですばい」
ひなたは冷静に返す。
「畳に排気浄化機能はありません」
バスのドアが閉まる。
香澄がマイクを握った。
「それでは皆さーん、八代を出発しますばい!」
少年少女たちが手を振る。
のどかも窓越しに、少しだけ誇らしそうに手を振り返す。
車内には、記念畳から漂うい草の香り。
外には、柔道着姿の子どもたちの笑顔。
バスが動き出す。
そして、マフラーからいつもの黒煙が上がる。
沙羅が窓の外を見て呟いた。
「感動的な見送りに、最後だけ煙幕が入るのね」
澪は記念畳に頬を寄せて、すでに眠りかけていた。
香澄が行程表を確認する。
「次は……海の方へ向かう感じですたいね」
菜々子が静かに頷く。
「また違う意味で、大事な場所になりそうね」
ひなたは資料を閉じた。
「ここでは、まだ言わないでおきましょう」
八代の畳には、江波のどかの礼と技が刻まれた。
そして黒煙バスは、い草の香りを車内に残したまま、次のクエストへ向かって走り出した。




