エピローグ後編・鉄壁兄妹を支える手
思いがけず面倒な話になりました。
どこがエピローグやねんと思いながらも、これにて完結です⭐︎
レティシア視点から最後まさかのアスカローダ視点
関わった人間たちの処罰をひと通り聞いたところで、騎士団長閣下が立ち上がり、私の側まで来て跪く。そして流れるように頭を下げた。
「マルテ嬢。此度は危険な目に合わせてしまって、本当に申し訳ない」
「閣下、顔を上げてください」
丁寧な謝罪に驚き、慌てて立ち上がる。
確かに騎士団の全ての責任を背負う方ではあるけど、陛下のちょっかいがあるなら第一騎士団は例外でいいと思う。
それに、私を危険に晒したというならそれは。
「たまたま現場に出くわしたのをいいことに、私を囮にしたのは兄様なのですから」
そう、悪いのはこのゴリラだ。
「第一騎士団に潜入させていたベリアスたちから、外庭メイドの代わりにレティシアが連れて行かれたと聞いた時は、僥倖だと思ったな」
恨みがましい目を向けるが、兄はむしろ何が悪いのかすら理解していないゴリラ面でむしろ満足げに頷く。
「現行犯でなければ処罰を受けさせられないとは言え、まさか傷付けられるレディを放置するわけにはいかない。
その点レティシアなら、多少泳がせてもあんな下衆共に遅れをとることなど万が一にもない。正に神の采配だ」
「ゴリラの神様はデリカシーがないのですね」
「あの後、レティシアが倉庫内に仕掛けた罠も確認したが、時間もなくありあわせの道具しかない中では上出来。特に一つ目の落とし穴に落ちた者の体重を利用して、三つ目の罠に使う木箱を持ち上げる仕組みには感心した」
デリカシーがないのはゴリラ神ではなく兄様だ。
こんな簡単な皮肉すら通じないこの兄には、性的な悪意を持った男に囲まれ、監禁されることの恐怖などわかるはずもない。
騎士があんなに弱いって知っていたならともかく。
実際には閉じ込められていた倉庫は見張らせていたと言うし、兄の部下が遅れて来たのは、現行犯確保のためだけではなく念のためにと帯剣の刃を潰していたからだそうだ。
作業が雑だったから首に当てられた時に瘤が引っかかって怪我はしたけど、刃のままだったら結構スパッといったかもしれないからそれには助けられた……いやでも、刃を潰した剣だから兄部下は簡単にクズ男に渡したのか。やっぱり許し難い。
見張っていたなら、奴らが来る前に私に状況を説明して協力を頼むことぐらいはできたはずだし、兄の部下である証明は鞘の団証以外でもできるんだから、呑気に剣を潰してる暇があるなら、訓練用の元から刃のない剣を持ち出せばよかったのよ。
兄は私なら大丈夫だと確信していたと言うが、もし私が傷付いたり穢されたとしても、むしろ都合が良いと思ったはずだ。
そうなれば、兄が心配していたように、私が王都で結婚してこちらで暮らす選択は失われて、辺境領に戻って辺境伯を継ぐ道しかなくなるから。
「……ランベルド公爵閣下」
「うん?」
突然、アルフレドが堅苦しい呼び名で兄様を呼ぶ。
兄が片眉を上げて応えるのから視線を外して、真面目な顔をしているアルフレドを見上げた。
「先日の事件の際、私は実兄である閣下とレティシア嬢の間に、信頼関係が成立していると判断しました」
「ふむ」
「だが、それは思い違いだったようです」
「なに?」
思い違い?ええと……兄様に対して思うところは色々あるし、モヤッとすることなんて日常だけど、信頼していないわけではない。なんせ強いし。
どうしてそんなことを言うのだろうと、戸惑って見上げたアルフレドから感じるのは、確かな怒気。抑えようとしているのだろう、微かなそれはもちろん兄様だけでなく、静観している騎士団長閣下や義姉様にも伝わっているはず。
え、なんで怒ってるの?
恋人の兄とは言え相手は公爵家当主。
止めるべきかと迷ったが、王女殿下に視線で制されてしまう。そうなると口を挟むわけにもいかない。
「ランベルド公爵位にあらせられる閣下が、マルテ辺境伯令嬢たるレティシア様を妹だからと軽んじ、許可もなく巻き込むような真似は許されないかと」
「…………それは」
確かに。兄様と二人、思わず目を瞠る。
兄妹だからという前提があったから失念していたけど、確かに黙って囮に使われて謝罪もないなんて、ランベルド侯爵家とマルテ辺境伯家との関係としてはよろしくない。
「確かに、君の言う通りだ。父には俺から」
「辺境伯には既に謝罪の手紙を送っておりますわ」
「……そうか。ありがとうエルメイラ」
慌てた兄様に義姉様が補足し、兄様がほっと息を吐く。
その様子に胸がざわりとするのに、なんだろうと思う間もなく、隣でぶわりと怒気が膨れ上がった。
「順番が違う。それとも本当にわからないのか?」
アルフレドは一度言葉を切り、自分の膝の上で拳を握る。隠しきれない怒りは、そこにもくっきりと現れていて。
その態度に、兄様は寧ろ無邪気ともとれるような仕草で首を傾げた。
「わからんな。謝罪は済ませているのなら、なにをそう怒ることがある?」
「レティシア本人に謝りもしないで、家の体面を保つためだけの謝罪を済ませて解決したなど……!」
ああ、そうか。私のためだ。
アルフレドの怒りが、さっき感じたモヤモヤの原因が、すとんと腑に落ちる。
「レティシアならこれが戦略であったと理解している。血の繋がらない君にはわかるまいが」
「レティの心を傷付けたことにも気付かない人が、どこまで兄貴ぶる!?」
兄と義姉の視線が私に向く。
それは同じような、驚いたと言わんばかりの。
「傷付く?なぜ」
「それほどの怪我をしたとは聞いておりませんが」
「だから……!」
「アルフレド」
私のために作られた拳に手を重ね、険しく歪む頰に手を添えた。
私の顔を見て眉を下げる優しい恋人に、思わず微笑む。
「仕方ないのですよ」
わけがわからないという顔をした兄を無視して、目の前の愛しい人の、強張ったままの頰から口元を指先で撫でた。
「騎士団長閣下の謝罪を受けた際にわかったでしょう?
公爵閣下は私が全てを承知で犯人たちについて行ったとでも思ってらっしゃる。説明してもいない自分の意を汲み、自分の思うままに十分な働きをすると」
こうして口にしてみると、なんて傲慢な考えだろうと苦いものが浮かぶが、慈しむように見つめてくる晴れた空のような美しい瞳に心がほぐれて。
「なにを当たり前のことを。レティシアと俺は」
「兄妹だから、同じように戦闘訓練を重ね、意思疎通を図って育ってきたからーーこの方はそんなことを『信頼』であり『理解』だと、本気で思ってらっしゃるのですよ」
なので、私は曇りのない笑みを浮かべて兄の言葉を一蹴することができる。
「兵士ではない私の部分など、在ることすらもわかっていらっしゃらないくせに」
まるで猫のレートを撫でるように、アルフレドの耳の後ろを撫で、ここ数日のブラッシングの成果を楽しむ。
「味方と知る由もない男性に囲まれ、碌なことをされないと理解しながらついて行くしかなかったことも、人気のない真っ暗な倉庫に監禁されたことも、『心を折った後に皆で楽しむ』と尊厳を踏み躙るようなことを言われた気分も」
ゴロゴロと喉を鳴らしそうな顔で撫でられていたアルフレドの目が瞠られて、あの野郎、と口が動くのを首を横に振って止めて。
「自分の方が強いから、夜目がきくから、兵士の訓練を受けているから。恐怖に、不安に、涙を流すだろうことなんて、考えもしないのですよ」
「っ、泣いたのか!?」
「泣いてはいませんが」
苦笑を浮かべながら、赤く染まる目元を辿って。
手のひらに頰をすり寄せて、安心したように目を細める恋人に癒される。
「アルフレドがわかってくれるから、私はそれでいいみたい」
ああ、そうか。兄の所業に私は傷ついていたのか、と、アルフレドが怒ってくれたことで初めて気付いた。
私も知らない私の傷に、アルフレドは気付いてくれて、怒ってくれて。それで私は癒される。充分だ。
「ちなみに私が外庭に配属されたのも兄の仕業です」
「それは初耳だわ。なぜそんなことを?」
「外庭メイドを嫁にしようとする貴族はいないからですよ、殿下」
まぁそのせいで平民メイドと見做されて、あんな事件に巻き込まれたわけだ。
「私の交際解消の噂を聞いて、部下を使って引越し先を探ったり……どれだけマルテに戻りたくないのか知りませんけど」
公爵家からの求婚を断れなかったのは事実だが、うちが持つ三つの爵位の跡取り……それも一番重要なマルテ辺境伯の継嗣だった兄が王都で義姉に出会ったのは、兄が家出して勝手に王都で騎士をしていた時だ。
「だって、騎士の方が傭兵より響きが格好いいだろう」
「黙れゴリラ」
そう。それだけの理由で。
それだけの理由でマルテを投げ出し、その後始末を残っていた私に押し付け、わたしは血反吐を吐くような後継教育に耐えねばならなかったのだ。
まぁ私に押し付けたのは他の兄弟も同じだし、教育に耐えたのは自分の選んだ人と結婚するためだけど。
そんな兄は、とっくに私が後継者指名を受けている以上、よその家の当主を連れ戻せるわけがないと言うのに、未だにマルテに戻されることに怯えている。
だから私が結婚して王都に残ったり、売れ残ったりすることを危惧してあれこれ脳筋を振り絞ってくる。
兄以上に私を格下の駒としか認識していない義姉に頼めば、もっとスムーズに事が収まるのに。
……まぁでも。
いつまでもマルテに縛られている兄を放っておくのも、痺れを切らした義姉に手を出されるのも不本意なので。
アルフレドから手を離し、姿勢を正す。
隣にいる人の存在に支えられ、だけど一人でちゃんと立てることを示せるように、真っ直ぐと。
「私は、私の意志でマルテ辺境伯を継ぐのです」
貴方が投げ出したからじゃない。
だから、罪悪感なんて感じないでほしい。
そう願って、私は笑う。
「心配しなくても、もうマルテに兄様は要らないの」
✳︎✳︎✳︎
部屋を出て行く妹夫婦と、それを見送りに出た王女殿下と騎士団長。
すらりとした後ろ姿に、幼い少女の残像が重なった気がして。
「アス」
閉まったドアを見つめていると、優しい妻の声が俺を呼んだ。
「エルメイラ……」
我ながら情けない声で呼び返すと、ふふっと楽しげな微笑み。
「頼もしいわね」
妻がそう評したのはもちろん眉を下げた俺ではなく、故郷を二人で率いて行くと宣言した妹のことだろう。
「そうだな……」
心配はしていない。妹の戦う姿はずっと昔から見てきたし、それ以上に鍛えられて強くなったことも確認している。
思いがけず、知らない脆さがあることを突き付けられたが、それは伴侶となる彼が守ってくれると言う。
「寂しいのね」
「……寂しい?」
「ええ、多分」
妻の思いがけない言葉。
目を瞬いて繰り返すと、にこっといつもの笑顔で頷かれて。
「そうか……」
俺自身よりも俺のことを見てくれている賢い妻の言葉を受け入れるように呟くと、それは驚くほどにしっくりとした。
「そうか」
ため息を吐き、天井を見上げる。
「だが、俺に寂しがる資格はないのだろうな」
「あら、どうして?妹に嫌われたのだから寂しくても仕方ないでしょう」
妻の言葉が刺さるが、それも自業自得なのだろう。
「レティシアの言ったことは間違ってない。俺がマルテを捨てたのも、レティシアを理解せず、自分勝手に囮にしたのも」
「間違ってはいないけど、正解でもないでしょう。
マルテを出たのは王国騎士団の弱体を知って、マルテにいるだけでは国を守れないと気付いたからで、レティシアさんを囮にしたのは効率と戦略と……」
柔らかな手が頰に添えられ、強制的に視線を合わせられる。
「なにより、私が貴方を選んだだけ」
王国の花と謳われた、自分には過ぎる美しい妻が無邪気に笑う。
「……だけではない。俺も君を選んだのだから」
騎士らしい気障な言動を好む妻のため、頰の手を取り唇で触れる。ほんのひと時、己の厳つい容貌のことは忘れて。
「欲しいもの全てを手にできるなんて甘いことは望まない。家族だからとずっと手を繋いでは歩けない。俺の手は二本しかないのだから」
手放した懐かしくも愛おしいもの。それらの面影を全て振り払い、目の前の大切な人を見つめると、真っ直ぐに見返してくる強気な瞳に胸が締め付けられる。
「そうね。だから私の手も二本あるのよ」
「ん?」
目を瞬くと、重ねていた手の指と指が絡められ、ぎゅっと強く握られる。それでもその手は、羽のように柔らかだけれど。
「片手は貴方と。もう片方は産まれてくる子供たちと」
「いつかはその手も離すのだろうけど……そうやって、少しずつ繋がっていくのだわ」
伴侶を撫でる妹の姿が脳裏に浮かぶ。
そうか、と音になるかならないかという声で呟いて。
「エルメイラ」
加減しながら握った手で妻を引き起こし、退室するために立ち上がる。
俺の代わりに妹を見送ってくれたこの部屋の主はきっと、扉の向こうで『他所でやれ』と言わんばかりの顔をしながら待ってくれている。
「できれば、娘は産まないでくれないか」
「あら、どうして?」
「もうこんな思いはたくさんだ」
「……馬鹿な人」
口下手で不器用な兄は、寄り添ってくれる最愛の妻の温もりに慰められながら歩き出す。
(あの男なら、レティシアに寄り添いながら生きてくれるだろう。その温もりがどれだけ自分を守ってくれるか、今ならわかる)
心にある風景の中で屈託なく笑う、愛しい小さな妹の幸せを願って。
お読みいただきありがとうございました!
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