黒歴史もかけがえのない愛しい日々
滑り込み7月!
あの夜の出来事を冷静に振り返って、プロポーズが不発でよかったなと思うのは。
あの時の俺が、獣化を解いた後で、薄手の黒インナー上下だけ下はパンツじゃなくてタイツだったのが不幸中の幸いという姿だったからです。
(全身タイツでプロポーズとかないわ、俺)
気付いた時と数日は思い出す度に羞恥でもんどりうって転げていたが、今は既に遠い目と乾いた笑いで受け流せるところまで消化している俺は、前足を畳んで座り、真ん中をとうに過ぎた位置で輝く太陽を避け、青空を見上げる。
そう、今の俺は猫の姿をしている。
婚活令嬢たちにはレティの恋人と見做され、追い回されることもなくなった。
レティを貶めた罰を受け、クズ男たちは王都直轄地で三年間の強制労働。それに加担したヘンレイは平騎士に降格し、登城禁止になった。
平民メイド相手ならお咎めはなかっただろうし、あいつらもそれがあったからやらかしたんだろうけど。声高に貴族を名乗るなら、レティの身上くらいは把握しておくべきだと隊長……義兄上は鼻を鳴らしていた。貴族の権利と義務は表裏一体、ということなのだろう。
それはさておき、誰に見つかっても困ることはないのに、なぜこうして猫の姿でいるのかという話に戻ると。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……レート……半月ぶりの天使、尊……ぐふっ」
あれ以来ずっと人間姿の俺を避け続けているレティが、木の影から鼻息荒く俺に熱い視線で見つめていることで察していただけるかと思う。
(猫で待ち伏せしたら初日に引っかかるとか!)
嗅覚や聴覚を駆使して、二週間近くあちこちを探し回っても見つからなかったのに。
僅かな苛立ちと共に、たしんたしんと地面を打ち付けるように鉤尻尾を左右に揺らすと、レティの青灰色の瞳も追いかけて揺れる。俺が立ち上がると『ああっ、行っちゃうの!?』というように身を乗り出し、伸びをして座り直すと胸を撫で下ろしてまた俺を見つめる。
(いい加減……諦めろ)
おもむろに首を回し、見て見ぬ振りをしていたレティに顔を向ける。一瞬目と目が合って、体にぴりりっと電気が走った気がした。
素早く木の影に身を隠すレティ。それでも視線は外れない。
(もう逃がさない)
ごろん、と腹の白いモフ毛を晒して寝転びつつも、紳士の嗜みとして、尻尾をくるんと巻いてお尻や諸々を隠す。それから両の手首をくたんと内に曲げ、胸の前に。
レティが炯々とした眼差しで釘付けになっているのを感じながら、ゆっくりと両腕を頭の上に掲げていく。
「ひっ」
思わずと言ったように声を漏らしたレティを焦らすように、ゆっくりと。
(レティ……見たいだろう?)
「うっ……」
レティの手がうろうろと所在なげに彷徨いだす。
それに思わず目を細め、びたっと腕の動きを止めた。
(ーー俺の、この、ほんの少し手を伸ばすだけで露わになる、ピンクの肉球を!)
「あああああああっ!!見えそうで見えない!!焦らすなんてひどい!!」
涙目で叫びながら駆け寄ってくるレティが、その勢いを殺した優しい力で、俺の手を掴んで肉球をぷにぷにする。ぱぁ、と開いてしまう指先と飛び出る爪まで愛でるように、細い指先がくにくにと肉球と肉球の境目のパヤ毛まで撫で回して恍惚とした表情を浮かべるーー
「捕まえた」
「ひぃ」
のを、すかさず戻った人の姿で抱きしめた。
「レティ、避けるなんてひどい」
「ひぇぇぇぇ……あざとかわいいのずるい」
「俺、レティにプロポーズしてる途中だったのに」
「うわぁぁん嬉し恥ずかしい」
「えっ混乱して素直」
両手で顔を覆ったレティの赤くなった耳を見下ろしながら、レティを抱え込むようにして芝生の上に尻をつけて座る。
求婚も求愛も嫌がられてはいないらしい。わかってはいたがホッとする。嫌がられてもやめないけど。なんせレティは押せどもびくともしない鉄壁だから、俺が押した時だけ揺らぐとか、もうほんとたまらない。
「なんで俺のこと避けてるの」
「うっ」
「寂しいんだけど」
わざと拗ねた口調で言うと、レティがぎくりと身を強ばらせる。うん、かわいこぶった猫かぶりがこの上なく効いている。
「……私はいずれ、マルテ辺境伯領に戻ります」
「ああ、うん。だろうと思った。義兄上が婿に来いと言ってたから」
それがどうかしたのかと首を傾げると、レティの瞳に傷付いたような表情が浮かんでギョッとした。
「レティ、俺なんかマズイこと言った?わからなくてごめん!」
慌てて謝ると、少し迷うように唇を震わせて、ひとつ息を吐いたレティが俺を真っ直ぐに見上げて。
「……アルフレド様は、騎士男爵になられるでしょう」
「え?あ、うん。半年後だったかな」
「叙爵された騎士は、王に剣を捧げ、王都に居を構えるのが決まりです。ですが、辺境伯に剣を捧げられない騎士は、辺境伯領の民にはなれない」
淡々としたレティの言葉に、どうしようもない悲しみが溶けているのがわかる。完全に混ざり、言葉と同化したそれは、これまでレティの中で何度も繰り返され、やるせなさはあっても既に飲み込んでしまったことが。
ほんの少し乱れてこぼれた一筋の髪に、指先で触れる。
「俺が叙爵すれば、俺たちは一緒にいられない?」
「抜け道はあります。アルフレド様がヒースガルドかシュタイン領に住んで、決められた日数を王都に通う。長期休暇を客人としてマルテに滞在して」
「そうして、どのくらい一緒に過ごせる?」
最後まで聞いていられず、思わず遮って尋ねた。
いつもより潤んだ瞳に映る自分の顔は、見たこともないような情けない顔。レティの言ういわゆる『通い婚』は、貴族の政略結婚であれば偶に聞くこともあるが、俺にとってはどこか遠い国の風習のようで毛の先ほども現実味がない。
「……一年のうち、ひと月ほどでしょうか」
「却下だ」
そんなの耐えられるわけがない。
レティの体を抱き締めると、震える吐息。
ほら、レティもそう思っているくせに。
ーーこのままレティをどこかに攫ってしまえば?
抱きしめる腕にこもった力のせいか、ふと掠めた不穏な考えに気付いたのか。レティが困ったように眉尻を下げた。
「……私、次期マルテ辺境伯なのです」
「え」
「ヒースガルド侯爵家は弟が継ぎますが、父から次期マルテ辺境伯に指名されたのは私です。長兄は家を出てランベルド侯爵家を継いでいますし、次兄はシュタイン侯爵なので」
「レティが、辺境伯」
「私が継ぐか……父の認めた相手と結婚して夫が継ぐか、まだわかりませんが」
「っ、待ってレティ、それって」
「辺境伯領に戻り、統治するのは決定事項てす」
つまりもう、決まった相手がいる?
その問いは、返ってくる肯定が怖くて強張る喉に声にならなくて。その間に、レティを拐う思惑は霧散する。
「ごめんなさい、アルフレド様」
「……っ」
目を伏せるレティの謝罪に、目の前が暗くなる。
レティと両思いだと確信を得ていた俺は、傲慢にも一緒に過ごせる未来を疑っていなかった。
だけどレティは貴族だから、好きなだけでは結婚できないのだと、そんな当たり前のことに気付かなかったほど。
ぐっと喉が締め付けられるように、痛い。
「一度はあなたを囲い込もうと思いました。うまくレートを引き取ることができれば、王都と辺境領で離れて暮らして必要な時だけ会えればいいかと」
「……レティ。それ猫目当て」
「猫目当てです」
「…………なんかもう、それでもいい」
清々しいほどハッキリ言い切るレティの肩口に顔を埋める。猫の姿でもレティの側にいられるなら……ああでも、他の男のものになるレティを指咥えて見てるなんて無理だ。それなら、いっそ
「ですがあなたは私をちゃんと想ってくださって、望んでくださった。……それなら私はもう、レートだけでは満足できません」
昏い思考を遮るように細い腕が俺の背中に回って、そこに込められた力とは裏腹に、力なくレティが呟く。
「レティ、それは」
「あなたの言った通りです。その気になればぺちゃんこにしてしまえる相手でも、万が一、望まぬのに触れられたらと考えただけで、すごく怖かった」
小さな両の手のひらに頬を挟まれ、ひたりと視線が交わる。相も変わらず眉を下げた俺に、レティがふわりと微笑んだ。
「こうしてずっと抱きしめられたままでいたいと思うのは、アルフレド様だけ」
「っ、」
「あなたの、今までの研鑽を、騎士としての生き方を、台無しにすることを望んでごめんなさい。それでも私は」
唇は微笑みの形で、ぽろりと涙が白い頬を滑り落ちた。
「結婚しても、ずっとアルフレドの側にいたい」
騎士としての敬称が外れたことに、喜びなのか、欲なのか、よくわからないけれど熱い塊が胸から込み上げて、ぐっと喉を鳴らしておしとどめる。
「レティ。最後にひとつ、確認しておくけど……俺は猫に変身するような獣人だよ?」
誉れ高い辺境伯家に獣人の血を混ぜることを。歓迎されるとは思えない。直系となるなら尚更だ。
「……正直、思うところはあります」
レティが顔を曇らせる。
それに関しては謝るしかなくて、だけどレティはそれを含めて受け入れてくれることはわかっていて。だからこそ、率直な思いをぶつけて欲しくて、レティの言葉を待つ。
「だって、アルフレドにもれなく可愛いレートが付いてくると思ったのに!一度にどちらか一方の姿しか愛でられないと言うことじゃないですか?かっこいいアルフレドが天使のレートと戯れているという至福の光景は見られないということではないですか!!」
「…………レティ、そうじゃなくて」
「由々しき事態です!」
「うん、ほんと困った人だな。愛してる。結婚しよう」
「脈絡はどこに!?」
なんか全部どうでも良くなって、レティを抱えて立ち上がる。お姫様抱っこではなく、腕にお尻を乗せる子供抱っこで。
「あの、アルフレド!?」
「それ、解決策が一個だけあるよ」
「え、どんな!?」
顔を赤くして目を瞠る、いい反応ににやりと笑い、レティの赤い耳元に口を寄せる。
「俺にそっくりな子供が産まれるまで、頑張ろ?」
「まさかの既成事実!?」
翌日、鉄壁メイドの破廉恥な叫びは、叙爵間近な騎士の辞職の話と共にすっかり広まって、なによりの既成事実となったのは言うまでもなく。
結局、全身タイツ姿でプロポーズすることになったのは、一生の不覚。
お読みいただきありがとうございました!
なんとかバタバタと完結。
数日後に後日談投稿予定です♪




