魔都2
花藤は陸上自衛隊朝霞駐屯地東部方面総監部で幕僚長兼朝霞駐屯地司令平田陸将補を前に任務を果たし終えた。
「遠い所、ご苦労だった。下がって良し」
「は!」
花藤は敬礼をし、平田陸将補の答礼を受け司令室から退室すると、すぐにスマートフォンを取り出しメールを打つ。
【完了】
すぐに返信が来る。
【電話してください】
花藤はスマートフォンをしまい足早に陸上自衛隊東部方面総監の建物を出ると直ぐに電話をかける。
呼び出し音が鳴る前に相手はすぐに電話に出た。
「りっくんランドの前で待っています」
「りっくんランド?」
「陸自の広報センターです。北側の朝霞門の前にあります」
「分かった」
花藤は電話を切りスマートフォンをポケットにしまうと走りだした。
1分どころか1秒でも惜しい。
花藤は走り営門で警衛隊員に身分証と立入証を提示し「りっくんランドと言うのは?」と聞くと警衛隊員は軽く鼻で笑って親指を立てそのまま後方を指した。
そこには車内から手を上げる川口三等陸尉がいた。花藤陸士長はその眼前まで走ると直立し空気を切るような敬礼をした。川口三尉が答礼すると花藤は「失礼します!」と助手席に乗り込んだ。
川口三尉の運転する車は陸上自衛隊朝霞駐屯地を出ると川越街道を南下し、花藤は再び東京へと向かい始めた。
「対象を最後に見た警察官を見つけました。1800時、浅草を予定しています」
「個室か?」
「もちろんですよ」
川口三尉は普通に答えはしたが花藤陸士長の異変を鋭く感じ取っていた。
電話嫌いでメールは数文字。そして言葉も少ない。
笑みも嘲りも憐れみも無く同情の欠片もない冷たい表情で、ただ「去れ」と言うだけの鉄仮面。
そう、川口三尉はかつてレンジャー教官だった頃の花藤の下に置かれたレンジャー候補生だった。
ほんの腕試しと言った感じの軽い気持ちでレンジャー訓練に志願した川口だったがそれは想像以上のきつさだった。だが体力には自信があったし周りの候補生と比べても自分はそれほど劣っているとは思ってはいなかった。見たところ中の上くらいに入るだろう、まあ今回は無理でも2度か3度か挑戦すれば通れる。そう言った軽い気持ちだった。
だがある日、川口は花藤に言われた。
「去れ」と。
無表情だった。それは冷たく冷酷な表情だった。
ここまで感情無く他人の努力を否定することが出来る人間がいるとは思っても見なかった。
目立つようなミスはしていないし、成績だってそれほど悪くはないはずだ。
花藤の言葉はそれなりに頑張り、そこそこのところで諦めればいいと思っていた川口の反骨精神に火を点けた。
やってやる!と。
だが花藤はそんな風に降って湧いた川口の根性が気に入らなかったのか特に厳しくあたってきた。
川口がどれほど上位の成績を取ったとしても褒められたことも無ければ認められたこともない。それどころかいつも僅かなミスを指摘されたし、そう言った時は明らかに他の者より過度な叱責を受け過剰な懲罰を受けた。
去れと告げた相手がまだ生き残っているのが気に入らないのだろう、懲罰の腕立て一つとっても花藤は角度が甘い!遅い!声が小さい!などとあからさまな言いがかりで何度もやり直しを命じた。
だが川口はレンジャー訓練をやり遂げた。
それどころか最終の長距離踏破訓練で誰よりも先に花藤の前に立ちその顔を見た。
川口は、どうだ!!!とばかりに鼻息を荒くし花藤の顔を睨みつけた。
それを迎えた花藤は川口の眼前に握りしめた右手をかざした。
殴るのか?やってみろ!!そう思ったが花藤は川口の右手を握った。
「俺に去れと言われ逃げなかった奴はお前が初めてだ。そして、トップだ」
川口はそう言われたが周りを見回すまでもない、誰もいない。言われるまでもない。
「俺が教えた中でだ」
花藤はそう言って初めて笑みを浮かべ川口の手をさらに強く握った。
川口はレンジャー課程の最終訓練である長距離踏破訓練の最短記録保持者だ。
もちろんこれは全てが同じ条件で行われるような競技ではないしそう言った記録がどこかに保存されるわけでもない。
花藤の笑みを初めて見た川口は、あの冷酷な一言の真意を理解した。
そして花藤は鉄仮面とあだ名される事となったのだ。
その冷たい仮面の下にどんな表情が隠されているのかを見れる者は少ない。
「まだ3時間以上あるな」
「3時間しかないですよ・・」
川口は呆れた顔で答えた。
「隊長は着替えた方が良いでしょう?実家、辰巳でしたっけ?」
「そうだな。だがそこらへんで買う。実家に俺の服は20年以上前の物しかないからな」
花藤と川口の二人の関係性は、確かな実力を持つ候補生を見抜いた凄腕のレンジャー教官と、恨み嫌い憎しみ抜いた男にレンジャー徽章を付けられたことで全幅の信頼を持つことになったレンジャー隊員のそれだ。
だが傍から見れば川口3等陸尉の階級章は肩にあるが、花藤陸士長の階級章は襟にある。
その立場の差は一目瞭然だ。
部下が上官に相談に乗ってもらっていると取り繕うことも出来るだろうが、歳と階級差のギャップを考えると花藤の素性を隠しておいた方が面倒が無いだろう。
これから会う事になるのは警察官なのだ、なるべく余計な詮索はされたくない。
「スーツですか?」
「いや、デニムのカーゴパンツが良い。あとは革ジャンだな」
「靴は?」
「これで良い」
そう答える花藤が履いているのは自衛隊支給の半長靴3型。牛革製の編み上げブーツだ。
二人はデニムショップに立ち寄り、花藤はリーバイスのノンウォッシュインディゴブルーの507カーゴパンツに緩めの長袖Tシャツに3Lサイズのレザージャケットで身を包んだ。
「相変わらずですね」川口三尉が花藤のコーディネートを見て言った。
「何がだ」
「10万近い買い物を10分もかけずにするとは・・」
「即断即決だ」
その言葉を聞いて川口三尉は思い出す。
即断即決。確かにそうだ。
隊長はいつもそうだった。
迷うくらいなら進め。
それがレンジャー教官花藤のモットーだった。
止まるな。前進し考えろ。
始めは理解できなかった。川口は無表情で去れと言う冷酷な男に深い嫌悪感を持った。川口は理不尽な懲罰を振るう花藤を強く憎んだ。
花藤に去れと言われた者達は皆、諦めた。
だが何を言われても何をされても諦めなかった川口だけがその真意を知れた。
花藤に去れと言われた他の者達は確かに実力不足だった。
「お前だけだ」花藤にそう言われ右手を握られその顔に笑みを見た時に自分は認められていたのだと知った。同時に中途半端な覚悟をも見抜かれていたのだ。
花藤に去れと言われず、理不尽な懲罰も受けず適当なところで諦めていても二度か三度の挑戦でレンジャー訓練をやり遂げることは出来ただろう。
だが花藤隊長は自分の実力を認めてくれ、その上で中途半端な覚悟に懲罰を加えてくれていたのだ。
「しかし試着もせずにジーンズを買う人は見たことないですよ」
「サイズは分かっているしな」
「でも、ほら裾詰めとかするでしょう?」
花藤は眉をひそめて答える。
「ブーツカットだぞ」
「え?ブーツカットって裾詰めしないんですか?」
「当たり前だ」
「そうなんですねぇ・・でも洗わないのは」
川口は花藤のジーンズを姿を一瞥した。確かに花藤の身長と足の長さなら裾詰めをする必要もないのだろう。
軽い笑みを浮かべて含みのある物言いをする川口に花藤は聞き返す。
「なんだ?洗う?」
「普通の人は試着くらいするもんですよ」
川口はフフッと笑って言った。
花藤は口角を歪ませている川口の横顔を見て、そして自分の足を、そのジーンズを見た。
「イヤな事を言うな・・」
川口三尉の運転する車は川越街道の理化学研究所西門交差点を左折し和光ICから東京外郭環状道路、通称外環、C3に入った。
「C1は混んでいるので川口経由で行きます」
車は戸田の美女木ジャンクションを通過する。
川口ジャンクションで首都高川口線S1に移りそこから中央環状線C2へ、そして6号線を進み向かう。
浅草へと。




