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第八十二話 魔都

平山三尉以下、五名が乗る民間徴用のフェリーは北海道は苫小牧港を出港し本州の東沿岸を南下し続け千葉県の房総半島を撫でるように進み外房から内房へと進み、東京湾へと入り東京湾岸の15号地、若洲へと着岸した。


若洲埠頭。

ここは沖縄や九州へと向かう民間フェリー船やロシアや北米からの木材、精製された化石燃料やセメント類などの輸送船が着岸する埠頭で、1キロ以上あるそこには自衛隊の実質的な小型空母である護衛艦いづもが接岸したこともある。

花藤達が乗る輸送船は若洲埠頭の最北にある民間フェリー会社に着岸した。

五人は16式機動戦闘車と軽装甲機動車に乗り込み東京湾岸地帯から朝霞駐屯地へと向かう。


川本の操縦する軽装甲機動車は花藤が思っていた方向とは逆に向かい花藤が訝しんでいるとその理由はすぐに分かった。

フロントガラスを二つに分ける装甲のある視界の悪い軽装甲機動車からでもトラス構造の巨大な建造物が見て取れたからだ。


川本二曹が運転する軽装甲機動車を先にして16式機動装甲車が続く。

どちらも時速100キロは出すことは出来るし、東名道や常磐道などの主要高速道路を走ることはあるが首都高速道路を走ることはしない。

間違っても事故など起こすわけにはいかないからだ。

仮に有事であったとしても自衛隊の車両が首都高速を走ることは無いだろう。その多くが高架構造の首都高速は強固な耐震構造が施されているとはいえ通行破壊程度ならばそれは容易であり、そうと成ればそこから出る事は難しくなるであろうからだ。

川本が運転する軽装甲機動車は東京環状八号を目指し東京ゲートブリッジを進む。


その存在を知ってはいたが初めて目にした花藤はさすがに驚き感嘆の声を漏らした。

「トラス構造でこんな・・すごいですね」

「羽田が空港が近いこともありま・・・あって・・・吊り橋構造では高さ制限が・・・」

川本が言いよどむ様に答える。

川本二曹は船の中での事を気にしているようだ。

面倒だな。花藤はそう思いそれ以上は口を開かない。


川本二曹の運転する軽装甲機動車は東京ゲートブリッジを渡り東京湾中央防波堤を走り抜き東京港臨海道路の海底トンネルを進み城南島へと出る。

あとは湾岸道路を西へと進み東京環状八号線へと入ったらひたすら北上するだけだ。

渋滞を考慮しても3時間はかからないだろう。

その僅かな沈黙にすら耐えられない川本二曹は環状八号線に入る前にたまらずに口を開いた。

「ああ・・・そのぅ・・えーと・・・」

花藤は川本二曹の顔を見て答える。

「私は陸士長です、川本二曹。ただ、名前で呼ばれるのは好きではないです。分かりますか?士長と言って下されば何の問題もありません」

分かっている。そりゃあそうだ、肩を外されて船の中ではその後、一言も話すことすらなく二日の船旅を終え、あとは3時間ほどこの軽装甲機動車に乗っていれば終わりだ。

五年以上、ほとんど会話をすることなく過ごしてきた花藤には3時間など一瞬だ。

だが川本二曹にはそうもいかないのだろう。

「あっと・・・そのぅ士長・・・」

「なんですか、川本二曹」

「あのう・・・士長はレンジャーの、教官だったので・・・?」

ハンドルを握り真正面を向いたままの川本二曹をみて花藤は軽く答える。

「ええ、そうです」

川本二曹は続く言葉を待つが花藤の言葉がそれで終わりだと分かると更に聞いた。

「私もレンジャーに挑戦したことがあるんです。鉄仮面と呼ばれる凄腕の教官がいると聞いたんですが、士長はご存じですか?」

「ええ、鉄仮面ね。聞いたことはあります。会った事はありませんが」

「そうですか、私はその鉄仮面に憧れてレンジャーに挑戦してみたんですが、まあそう上手くはいかなくて・・・」

「そうですか、ダメでしたか」

上手くはいかなかったと濁しては見た川本二曹の言葉を、花藤は無碍にへし折った。

黙ってくれればとの思いだったが川本二曹には通じなかったようだ。

「私も鉄仮面の下でならと思ったんですけど・・・」

「そうですか。レンジャーなんて努力次第ですよ」

花藤はそうは言ってみたが努力だけでは叶わずに身体の故障で諦めざるを得なかったバディを想う。

だが今はそれ以上その口を開かないで欲しい。その一心で答えた。もちろん川本二曹には通じない。

「レンジャー課程を修了した者達の中でも上位に立つのは鉄仮面と呼ばれる教官の下で鍛え抜かれた者ばかりだったそうなんです!私も彼の下でなら・・」

興奮気味に話す川本二曹の言葉を花藤は遮り言った。

「彼は部下を鍛えるのが上手かったわけではないです。ただ、見込みの無いものを切り捨てるのが上手かっただけですよ」

そう、平山三尉を切り捨てたように。


川本二曹は花藤の顔を見てすぐに前に向き直し聞いた。

「鉄仮面を知っているんですか?」

「知ってはいます。川本二曹は彼の名前を知らないんですか?」

「いえ、名前は知りません。噂だけです」

「そうですか、それは良かった」

川本二曹の運転する軽装甲機動車は湾岸道路を西に走り環状八号に入りその外回りを北上し始める。

「あの・・・士長・・」

花藤は窓を開け冷たい外気を車内に入れる代わりに外に向かって溜息をつく。

「ラジオでもあればいいですね」

「まさか!ラヴにラジオなんてないですよ」

そんなことは見れば分かる。民生車両がベースの高機動車などにはラジオやCDプレイヤーなどを装備した特注車両もあるにはあるが、この軽装甲機動車のような戦闘車両にはラジオどころかエアコンすらついていない。


花藤はかなりわかり易く、黙っていてくれと言ったつもりだったのだが、川本二曹にはやはり通じなかった。

「あの、士長の呪いって・・・まさか、そのぅ・・平山三尉の肩も・・?」

そうだな、我々は自衛隊だ、指示は分かり易くハッキリとせねばならない。万が一にも誤解されてはその行動が取り返しのつかないほどの失策と成る事もあるだろう。回りくどい言い方をする方が悪かったか。

「平山三尉の肩は外したりしていませんよ・・・」花藤の返答に川本二曹が言葉をかぶせてくる。

「ですよね!私はてっきり・・・」それに花藤は被せ返し、軽装甲機動車を操縦する川本二曹の横顔を見つめながら言う。

「私が肩を外したのは、川本二曹。あなたの肘を折ったらこれを静かに運転してくれる人がいなくなってしまうからですよ」

川本二曹は呆けたように口を開け花藤を見つめ返す。そして怖気を振るい前方を凝視した。

花藤はそれを見て窓を閉めてやる。

車内に再び暖気が満ちていった。


だがラジオくらい付けても良いだろうに。

そうだな、アレックスガウディーノのディスティネーションカラブリアがいいか。アレが聞きたい。

分かっている。自衛隊員にラジオなど必要ない。

それはラジオでは敵を殺せないからではない。自衛隊にそんな贅沢は必要ないという事だ。

そしてこういった戦闘車両のエアコンも敵は殺せないというわけだ。

もし日本が攻められるとしたらそれは真夏だろう、敵と戦う前に熱さにやられる。

だが川本二曹は黙ってくれるようになった。


花藤は窓から流れ行く東京の街並みを見ていた。

18年ぶりの東京だがあまり懐かしさは感じない。馴染みのない東京23区の西端、環状八号外回りを北上していたせいもあるだろう。

浅草に完成したというスカイツリーなる物を見てみたかったがまるで見えない。それほど高いものでは無いのか?

まあいい、明日には行くことになるのだ。それに今、あまり右を見る事は避けた方が良いだろう。川本二曹がまた何かを期待して話し始めるとも限らない。

花藤は窓から外を見続けた。

赤信号で止まると歩行者達が物珍しそうに視線を向けてくる。

軽装甲機動車の上部銃座の5.56ミリ機関銃や、16式機動戦闘車の同じく上部銃座にあるはずのM2重機関銃などは取り外されているが当然ながら16式機動戦闘車の52口径105mmライフル砲はそのままだ。目立つことだろう。

スマホを掲げてくる者も多い。

中には唾棄するような視線を向けてくる者もいるにはいるが、ほんのわずかだった。

子連れの男性がよく見えるようにと息子を抱え上げてやるとその男児は嬉しそうに手を振ってきた。

信号が青になり軽装甲機動車は発進するが花藤は微笑みを浮かべ男児に手を振り返してやる。

だが花藤はそこで異様な物を見て笑みは凍り付き手を止めた。

「川本二曹!止めろ!!」

「バカ言わないでください!路駐でもしろって言うんですか!?」

川本二曹は止まらずに加速を続ける。

花藤が見た異様な物は窓から流れ去り見えなくなった。


なんだ!?あれ、は・・・?

「川本二曹あれを見た・・見ましたか?」

「子供ですか?そういう士長は結婚は?」

「あ?ああ、いや・・・大丈夫です」

見間違いか?いや、確かにいた・・・。

・・・まさか、ここは日本なんだ。18年ぶりの東京に自分でも気が付かないうちに興奮していたのだろう。5年も一人だったのだ・・。

それか俺は自分でも気が付かないうちに、あの小屋ですでに死んでいて別の世界に転生でもしたのかもしれないな。

花藤は自虐的に自分を納得させようとしたが無駄だった。

人見街道との交差点で再び赤信号で止まるとそれはまた、いた。

人々が珍しい自衛隊の軽装甲機動車と16式機動戦闘車に目を向けながらゆっくりと環八通りを横断していく中でソレは足早に、それでいて人々からは距離を取るように歩き去って行った。

見た目はスーツを着てコートを羽織る普通のサラリーマンと言った風で、思わず川本二曹を見るが彼には特に気を留める様子はない。

花藤はスマートフォンを取り出しすぐにメールを送った。

【調査、先行求ム】

そして電話を掛ける。

「この電話は現在電源が・・・」

やはり繋がらない。

メールを確認するが既読マークも付いていない。


田中、なんだあれは?

なぜ誰も気が付かない!?

あれは人じゃない。

花藤は確かに見た。

東京には、鬼がいる。



花藤は陸上自衛隊朝霞駐屯地東部方面総監部で幕僚長兼朝霞駐屯地司令平田陸将補を前に任務を果たし終えた。

「遠い所、ご苦労だった。下がって良し」

「は!」

花藤は敬礼をし、平田陸将補の答礼を受け司令室から退室すると、すぐにスマートフォンを取り出しメールを打つ。

【完了】

すぐに返信が来る。

【電話してください】

花藤はスマートフォンをしまい足早に陸上自衛隊東部方面総監の建物を出ると直ぐに電話をかける。

呼び出し音が鳴る前に相手はすぐに電話に出た。


「りっくんランドの前で待っています」

「りっくんランド?」

「陸自の広報センターです。北側の朝霞門の前にあります」

「分かった」

花藤は電話を切りスマートフォンをポケットにしまうと走りだした。

1分どころか1秒でも惜しい。

花藤は走り営門で警衛隊員に身分証と立入証を提示し「りっくんランドと言うのは?」と聞くと警衛隊員は軽く鼻で笑って親指を立てそのまま後方を指した。


そこには車内から手を上げる川口三等陸尉がいた。花藤陸士長はその眼前まで走ると直立し空気を切るような敬礼をした。川口三尉が答礼すると花藤は「失礼します!」と助手席に乗り込んだ。

川口三尉の運転する車は陸上自衛隊朝霞駐屯地を出ると川越街道を南下し、花藤は再び東京へと向かい始めた。


「対象を最後に見た警察官を見つけました。1800、浅草を予定しています」

「個室か?」

「そう頼んではおきました」

川口三尉は普通に答えはしたが花藤陸士長の異変を鋭く感じ取っていた。

電話嫌いでメールは数文字。そして言葉も少ない。

笑みも嘲りも憐れみも無く同情の欠片もない冷たい表情で、ただ「去れ」と言うだけの鉄仮面。


そう、川口三尉はかつてレンジャー教官だった頃の花藤の下に置かれたレンジャー候補生だった。

ほんの腕試しと言った感じの軽い気持ちでレンジャー訓練に志願した川口だったがそれは想像以上のきつさだった。だが体力には自信があったし周りの候補生と比べても自分はそれほど劣っているとは思ってはいなかった。見たところ中の上くらいに入るだろう、まあ今回は無理でも2度か3度か挑戦すれば通れる。そう言った軽い気持ちだった。

だがある日、川口は花藤に言われた。

「去れ」と。

無表情だった。いや、それは冷たく冷酷な表情だった。

ここまで感情無く他人の努力を否定することが出来る人間がいるとは思っても見なかった。

目立つようなミスはしていないし、成績だってそれほど悪くはないはずだ。

花藤の言葉はそれなりに頑張り、そこそこのところで諦めればいいと思っていた川口の反骨精神に火を点けた。

やってやる!川口の心に火が灯った。


だが花藤はそんな風に降って湧いた川口の根性が気に入らなかったのか特に厳しくあたってきた。

川口がどれほど上位の成績を取ったとしても褒められたことも無ければ認められたこともない。それどころかいつも僅かなミスを指摘されたし、そう言った時は明らかに他の者より過度な叱責を受け過剰な懲罰を受けた。

去れと告げた相手がまだ生き残っているのが気に入らないのだろう、懲罰の腕立て一つとっても花藤は角度が甘い!遅い!声が小さい!などとあからさまな言いがかりで何度もやり直しを命じた。

だが川口はレンジャー訓練をやり遂げた。


それどころかレンジャー課程最終の長距離踏破訓練で誰よりも先に花藤の前に立ちその顔を見た。

川口は、どうだ!!!とばかりに鼻息を荒くし花藤の顔を睨みつけた。

それを迎えた花藤は川口の眼前に握りしめた右手をかざした。

殴るのか?やってみろ!!そう思ったが花藤は川口の右手を握った。

「俺に去れと言われ逃げなかった奴はお前が初めてだ。そして、トップだ」

川口はそう言われたが周りを見回すまでもない、誰もいない。言われるまでもない。

「俺が教えた中でだ」

花藤はそう言って初めて笑みを浮かべ川口の手をさらに強く握った。


川口はレンジャー課程の最終訓練である長距離踏破訓練の最短記録保持者だ。

もちろんこれは全てが同じ条件で行われるような競技ではないしそういった記録がどこかに保存されるわけでもない。

花藤の笑みを初めて見た川口は、あの冷酷な一言の真意を理解した。

そして花藤は鉄仮面とあだ名される事となったのだ。

その冷たい仮面の下にどんな表情が隠されているのかを見れる者は少ない。


「まだ3時間以上あるな」

「3時間しかないですよ・・」

川口は呆れた顔で答えた。

「隊長は着替えた方が良いでしょう?実家、辰巳でしたっけ?」

「そうだ。だがそこらへんで買う。実家に俺の服は20年以上前の物しかないからな」

花藤と川口の二人の関係性は、確かな実力を持つ候補生を見抜いた凄腕のレンジャー教官と、恨み嫌い憎しみ抜いた男にレンジャー徽章を付けられたことで全幅の信頼を持つことになったレンジャー隊員のそれだ。

だが傍から見れば川口3等陸尉の階級章は肩にあるが、花藤陸士長の階級章は襟にある。

その立場の差は一目瞭然だ。

部下が上官に相談に乗ってもらっていると取り繕うことも出来るだろうが、歳と階級差のギャップを考えると花藤の素性を隠しておいた方が面倒が無いだろう。

これから会う事になるのは警察官なのだ、なるべく余計な詮索はされたくない。

「スーツですか?」

「いや、デニムのカーゴパンツが良い。あとは革ジャンだな」

「靴は?」

「これで良い」

そう答える花藤が履いているのは自衛隊支給の半長靴3型。牛革製の編み上げブーツだ。


二人はデニムショップに立ち寄り、花藤はリーバイスのノンウォッシュインディゴブルーの507カーゴパンツに緩めの長袖Tシャツに3Lサイズのレザージャケットで身を包んだ。

「相変わらずですね」川口三尉が花藤のコーディネートを見て言った。

「何がだ」

「10万近い買い物を10分もかけずにするとは・・」

「即断即決だ」

その言葉を聞いて川口三尉は思い出す。


即断即決。確かにそうだ。

隊長はいつもそうだった。


迷うくらいなら進め。


それがレンジャー教官花藤のモットーだった。

止まるな。前進し考えろ。

始めは理解できなかった。川口は無表情で去れと言う冷酷な男に強い嫌悪感を持った。川口は理不尽な懲罰を振るう花藤を深く憎んだ。

花藤に去れと言われた者達は皆、諦めた。

だが何を言われても何をされても諦めなかった川口だけがその真意を知れた。

花藤に去れと言われた他の者達は確かに実力不足だった。


「お前だけだ」花藤にそう言われ右手を握られその顔に笑みを見た時に自分は認められていたのだと知った。同時に中途半端な覚悟をも見抜かれていたのだ。

花藤に去れと言われず、理不尽な懲罰も受けず適当なところで諦めていても川口は二度か三度の挑戦でレンジャー訓練をやり遂げることは出来ただろう。

だが花藤隊長は自分の実力を認めてくれ、その上で中途半端な覚悟に懲罰を加えてくれていたのだ。


「しかし試着もせずにジーンズを買う人は見たことないですよ」

「サイズは分かっているしな」

「でも、ほら裾詰めとかするでしょう?」

花藤は眉をひそめて答える。

「ブーツカットだぞ」

「え?ブーツカットって裾詰めしないんですか?」

「当たり前だ」

「そうなんですねぇ・・でも洗わないのは」

川口は花藤のジーンズを姿を一瞥した。確かに花藤の身長と足の長さなら裾詰めをする必要もないのだろう。

軽い笑みを浮かべて含みのある物言いをする川口に花藤は聞き返す。

「なんだ?洗う?」

「普通の人は試着くらいするもんですよ」

川口はフフッと笑って言った。

花藤は口角を歪ませている川口の横顔を見て、そして自分の足を、そのジーンズを見た。

「イヤな事を言うな・・」


川口三尉の運転する車は川越街道の理化学研究所西門交差点を左折し和光ICから東京外郭環状道路、通称外環、C3に入った。

「C1は混んでいるので川口経由で行きます」

車は戸田の美女木ジャンクションを通過し、川口ジャンクションで首都高川口線S1に入りまずは新井宿のパーキングエリアに入った。


「私もトイレで着替えてきます」

川口は着替えを入れたリュックを手に公衆トイレへと入ると自衛官らしく二分で着替えを済ませ制服をリュックへと押し込みすぐに車へと戻る。

「軽く飯でもどうです?」

「あと二時間半もあるしな」花藤がニヤついて答える。

「隊長が早すぎるんですよ。まさか10万の買い物を10分で済ませるとは思いませんよ」川口はリュックを車に放り込みながら言った。

「お前も良い買い物をしたようじゃないか」花藤は車を降りると川口の私用車のドアを両手で静かに閉めてやった。


この車は自衛隊の物ではなく川口三尉自前のBMW X2 M35i xDrive、カラーはフローズン・ポルティマオ・ブルー。

総額で一千万円近い買い物で少しばかり無理した。

だが少しばかりだ、五年ローンではあるが。

川口三尉は家族の為に家も買った。埼玉県にだが。

自衛官ならば家でも車でもローンはフリーパスと言っていい。一千万円近い車のローンであっても、数千万円の注文住宅のローンであっても銀行側にとって自衛官は上客だ。


川口は家族と自宅を持てば頭の固い自衛隊という組織も少しは融通を利かしてくれるのではないかと思っていたがそんなことは全くなかった。

川口が数年ごとに日本全国を移動すると言う事は変わらなかった。

だがレンジャー隊員の中でも最強クラスの一人と目されてきた男が尉官へと昇るとさすがに多少の憂慮はされるようにはなった。

ここ数年の任地は自宅に近い朝霞駐屯地だ。

これは全て隊長のおかげだ。

レンジャー訓練で隊長に「去れ」と言われなければダラダラとした自衛官となっていただろう。

尉官どころか二曹かせいぜい一曹が関の山だ。

だが「去れ」と言う隊長の一言と、その後の度重なるシゴキのおかげでを目を見張る成績を残しレンジャー訓練を終えた川口の階級は今や三尉まで上がり自慢できる家族とマイホームを得ているし、この車は中古のプリウスではなくBMWだ。

隊長には本当に感謝している。


だが隊長はどうだ。

かつては鉄仮面と恐れられたレンジャー教官、花藤二等陸尉。

それが降格に次ぐ降格で今や陸士長だ。

それはあの大震災の日から始まった。一等陸尉を約束され佐官にまで手が届きそうだった花藤隊長。

あの年寄りの遺体をその手に抱き笑みを浮かべた日から隊長は全国をたらい回しにされ、その度にその階級章の星と線は減っていった。

川口を筆頭に、隊長に対する冷遇に怒りをぶつけようとする者は少なくなかった。それは皆、隊長に厳しく鍛え上げられ、あの地獄を共にしたレンジャー隊員達だった。

だが隊長は言った。

「何も言うな」と。

皆、その一言で隊長の真意を知った。

「しかし!!」と反意を示したのは川口ただ一人。

ただそれも花藤が頷きそこに示された深い謝意を感じ取ると黙らざるを得なかった。

隊長がなぜあの大震災の場で、震災の犠牲者ではなく自ら命を絶った一人の老人の遺体を抱き笑みを浮かべたのか皆が理解していた。

あの地獄で隊長が、あの老人を救ったことを知れるのはあの場にいた隊員達だけだ。

長靴を泥で汚した事のない幹部連中には到底理解できないだろう。

だから川口も口を閉ざした。

だが今になって思う。それはやはり間違いだったのではないかと。

今や冷酷な鉄仮面はその下の素顔さえも凍り付いているのではないか?

もう鉄仮面の下には、あの厳しさも苦労も、どれほどの艱難苦難であっても吹き飛ばしてくれる笑みは消え去ってしまったのではないかと。


二人がフードコートのテーブルに向かい合って座ると早速花藤が聞いた。

「進捗は?」

「はい!私の大学の後輩に隅田川署の捜査一課に勤務する井口と言う男がいます。井口が言うには、同期で仲の良い木下と言う刑事課の友人から聞いたというのですが、木下の刑事課同僚の関本と言う刑事が・・・その、田中さんが失踪する・・というか無断欠勤を始める前日の夜にその姿を見たと聞いたそうです」

それを聞いた花藤は少しばかり思案し聞き返した。

「田中を最後に見たというのがその関本と言う男でそれを聞いたのが木下という関本の同僚、それを聞き取ったのが井口と言うお前の後輩で、それを聞いたお前は今ここで俺に報告しているわけか・・・」

花藤の言葉は珍しく長く、それは重い叱責のようであり深い確認のようでもあった。

「すいません!時間が限られていたもので、今はそんなところです」

「そうか・・・」

情報が足りないと花藤が唇をかんだところでテーブルに置かれた呼び出しブザーが鳴った。

「貰ってきます」

川口が二つのブザーを手に席を立ち、すぐに二杯のカレーとサラダを二つ乗せたトレーを手に戻ってくる。

カレーはチキンカレー。おそらくは業務用の缶詰だろうがほろほろのチキンがたっぷり入っていた。サラダも茹でた鶏肉と玉子が添えられており高速道路のパーキングエリアのフードコートで出てくる物とは思えないほどしっかりしたものだった。

もちろん二人はそれらを五分もかけずに平らげる。

早飯早糞早支度が自衛隊員がまず最初の覚えなければならない事だ。

「来るのは?」

花藤が箸を置き早速聞く。

「井口は来ません。木下と言う刑事が関本と言う刑事を連れてくる手はずになっています」

「面識は?」

「いえ、ありません。電話で二度ほど話しました。彼はとても協力的で関本とのセッティングを申し出てくれました」

花藤は微かに頷き続きを促す。

「木下という刑事はかつて、その・・田中さんに指導を受けていたそうでとても尊敬していると・・・」

「それで?」

「えぇ・・田中さんはその、隅田川署管内の警察官の一部で名の知られたというか、尊敬されていたようで、その・・・」

「自ら失踪するような人間ではないと?」

「は、はい。その・・・木下は・・・田中さんが何か・・事件に巻き込まれたのではないかと・・・」

「捜査は?」

「いえ、行われてはいないようです」

川口は小さく首を振って答える。


それもそうだろう。何か重大な事件を追っていたというのならまだしも田中は一介の交番勤務の警察官だ。

それが無断欠勤をしている、ただそれだけという事なのだろう。

稚内駐屯地で伊木司令に東京への任務の日程を告げられ自室へ戻った花藤はすぐに、田中に連絡を入れた。ただ予定された日付をメールで送っただけだったが。

だが明朝にスマートフォンを確認しても田中からの連絡は無く、既読済みの二重チェックマークどころか受信を示すチェックマークすら付いていなかった。

電源を入れ忘れているのか。そう思っていた。

田中の奴がそんなマヌケなヤツだとは思えなかったが46年も生きていれば一度くらいそんなこともあるだろう。そう思っていた。

だがまた陽が落ちても、そして次の日も花藤の送ったメールにもチェックマークが付くことは無く電話も一切繋がらない。


花藤はすぐにかつての部下であり墨田区出身の川口三尉を頼った。

幼馴染みと連絡が取れない。

かつての部下とはいえ大の大人が他人に頼むことではないだろうが川口は即座に動いてくれた。

どれほどの電話をかけ、何度その頭を下げたのか。

花藤が東京に着くまでのたった三日で田中を最後に見たと思われる人物を特定してくれた上、その男とのセッティングまで整っている。


「行こう」

花藤は立ち上がりトレーに手を伸ばすが川口はサッとトレーを手に伸ばし首を振った。

「ダメですよ」

そう言って川口はトレーを返却口に戻した。

「コーヒーを買ってきますよ、ブラックですか?」

「頼む。トイレに行ってくる」


花藤はトイレを済ませ車へと戻ると川口はコーヒーを啜りながら助手席のドアを開けて待っていた。

「まあ早めに行きましょうか。まだ二時間もありますけどね」

「ああ」

花藤は短く答えBMWへと乗り込んだ。

「店は西浅草の個室居酒屋です、一時間もかからないでしょう」

BMWはパーキングエリアを出て首都高川口線を南下していく。

川口がカーオーディオのスイッチを入れるとスピーカーからはヴァレンティノカーンのディープダウンロウが流れ始めた。

いつまでも、何度も何度もDeep down lowという言葉を繰り返しているダンステクノだった。


今、花藤は東京は西浅草に向かっている。

down down down down.....

花藤が目指すのはかつての東京ではないのだろう。

人の目には映らない闇、暗部、地の底。

花藤が向かうのは、人ではない鬼がうろつく魔都なのだ。



川口と花藤の二人は雷門通りと伝法院通りを繋ぐオレンジ通りのコインパーキングに車を止め木下刑事を待っていた。

時刻は1730。

まだ30分はある。

川口は車の脇に立ち煙草を取り出し花藤に向けた。アメリカンスピリットのオーガニックリーフゴールドだった。

「お前も止めていないか」

そう言って花藤は一本抜いた。

「そりゃあ、まあ・・」

川口も一本咥えるとライターを取り出し花藤に向け火を点けると自身の煙草にも火を点けた。

スポーツ選手以上に身体を酷使する自衛官だが意外とその喫煙率は低くはない。

スポーツ選手がその身体を鍛え上げるのは記録の為だし、それは自身の為だろう。

だが自衛官は違う。日々の過酷な訓練は記録の為でも自身の為でもなく他人の為だ。一応、有事と成れば敵を殺し自身が生き延びる為でもあるわけだが、さすがに今の日本でそこまでの覚悟を持っている自衛官は多くは無いだろう。

だが川口と花藤の二人は違う。レンジャー隊員は災害派遣と成れば真っ先に投入されるのだ。

そしてその報酬を要求する事も、栄誉を受ける事も、間違っても何人助けたなどと言う記録すら残される事を許されず日々その肉体が悲鳴を上げるほどに鍛えぬいているのだ。

そう言ったストレスの前では煙草など可愛いものだし、自衛官の肉体は数本の煙草程度で衰える物ではない。


「缶コーヒーでも買ってきましょうか?」

「いや、もう来るだろう」

二人は時折、通行人から眉をひそめられながらも特に気にすることも無く煙草を吹かし続ける。

やはり制服でなくてよかったな・・・。

花藤がそう思ったところで一人の男性が近寄ってきた。

「川口さんですか?」

「あ、貴方は」

「はい木下です、お待たせしてしまったようですね。申し訳ないです。で、そちらは?」

「あ・・っと・・・」

言い淀む川口に代わり花藤が咄嗟に右手を差し出しながら答えた。

「カトーです。初めまして」

「加藤さんですか、木下と言います。初めまして」

二人は硬い握手を交わした。

「で、関本さんと言うのは?」

「いや彼はあとから合流します、ちょっと面倒な奴でしてね。まずは店に入りましょう。すぐ近くです」

そう言って歩き始める木下に二人は黙ってついて行った。


木下刑事が予約しておいた店というのはコインパーキングから少し離れた所にあり、中規模と言ったほどの居酒屋だった。浅草と行く場所柄か3割から4割くらいは外国人客の様だ。それが結構騒がしいからか日本人と思しき客も若い者ばかりだ。そして居酒屋にしては大きめのボリュームでロイオービンソンのオープリティウーマンが流れていた。

全てが最適だった。


木下刑事が店員に予約を告げ三人は個室へと案内された。靴を脱ぎ個室の障子戸を開けるとそこは6人かけサイズの掘り炬燵がある。

三人が席に着くと案内をした店員が早速とりあえずの飲み物のオーダーを聞こうと伝票を取り出した。

「中生でいいですか?」木下刑事が聞き、花藤は頷くが川口はもちろん首を横に振る。

「いえ、私は車なんで、えーと・・・」

川口がメニューに手を伸ばそうとするが木下刑事が先にメニューに手を置いた。

「一杯くらい大丈夫でしょう」そう川口に言い、店員に中生を三つといくつか手間のかかりそうな焼き物を注文した。

店員が注文を繰り返してから部屋を出て行くと木下刑事が早速口を開いた。

「関本には18時30分と伝えてあります。看護婦との合コンと伝えてありますんで少しゴネるかもしれませんが、あとはそっちで上手くやってください」

「木下・・刑事?こういった場所では木下さんの方が良いですか?」

「木下でいいですよ、どう見ても私の方が年下ですからね。井口さんからは田中さんを探している人がいるとしか聞いていないんですけど。えーと川口さん、こちらは?」

「ああ、彼は・・・」と川口が言葉を詰まらせかけるが花藤が即座に対応した。

「カトーです。田中の幼馴染みなんです」

木下は花藤を見定めるように見つめた。

「加藤さん・・・ね」

そこで個室の戸がノックされビールとお通しを手にした店員がそれらをテーブルに並べ始めた。

店員が退室すると花藤は木下を見つめ返した。


どうやら木下という男は年齢の割には頭が切れるようだ。

早速、花藤はこの木下が用意した30分という時間を有効に使い始める。

「失礼だとは思うのですが、なぜここまで協力してくれるのですか?事件化したわけでもないんですよね?」

木下はビールジョッキを手にし、乾杯をする素振りなど一切見せずに自分だけビールでのどを潤した。

そして話し始める。

「田中さんは、私が警察官になった時の最初の上司でした。隅田川署では結構有名な人なんですよ。まあ、ハコヅメ・・・ああその、交番勤務の警察官の中ではね。知る人ぞ知ると言いますか」

花藤が続きを促すように頷く。

「ある日、居酒屋で酔っ払いが暴れているって通報があって行ってみたら、もう本当にクマみたいにデカい黒人が暴れていましてね・・。集まった警察官は五人か六人位?みんなビビって近寄ろうともしませんでしたよ。拳銃を抜くわけにもいきませんし、まあ拳銃でどうにかなりそうな気もしませんでしたよ。でも田中さんだけが普通に近寄ってまるでサラリーマンの酔っ払いを相手にするみたいに肩を叩いたんですよ。たったそれだけでもクマみたいな黒人は・・ああこの黒人、あとで分かったんですけど米兵だったんですよ。で、そのクマみたいな米兵が田中さんに向かって腕を振り回したんですよ。殴るって感じじゃなかったんですよ、それこそクマみたいでしたよ。でも、一瞬で。本当に一瞬でした。クマは田中さんの足元にペタンと座ってて、クマ自身もポカンとしていたところをサッと締め落としたんですよ。でもそれを知る警官は少ないんです、署長が箝口令を出しましてね。まあ、相手が米兵ですしね・・・」

花藤は楽し気に語る木下の顔を見つめたまま川口に指を立てた右手を向けた。

川口は即座に煙草を取り出し花藤の指に挟んでやりライターで火を点けてやる。

花藤は木下から目を逸らさずに煙草を一吸いしてから軽く灰皿を叩いた。

「それが?」

木下は思わず謝罪するかのように顔を下げた。

「いえ、その・・すいません。田中さんを心配する人は私だけではないと言いたかったんです」

花藤は小さな謝意を示すように微かに頷いた。川口が話を続ける。

「田中さんが勤める浅草寺交番に行ってみました。田中さんそこのハコ長・・・ええと、そう、その交番の所長と言うか指導的立場にいたんですが外されていました」

「それは失踪後ですか?」

「いえ、それより前でした。理由はハッキリとは分かりませんが、捜査一課との確執と何か関係があると思います」

「確執と言うのは?」

花藤は言葉短く質問していく。

「ある女性の失踪事件です。五人殺しと呼ばれた事件。ニュースは見ましたか?」

ハッキリとは反応を示さない花藤に代わって川口が口を開いた。

「ああ、あれですか。女性が救助されたがそこで五人の男が殺されていたとか」

「そうです、その女性を発見したのが田中さんです」

「手柄争い?」

「いえ、その前に田中さんが・・・」

木下が言いかけたところでテーブルに置かれたスマートフォンが振動した。

「あっと、関本が来たようです。少し待たせておきますか?」

「なぜです?」

木下は、無表情で言葉少ない花藤に怯え「すいません!すぐに呼んできます」と言って逃げるように部屋から出て行った。

「隊長、私が聞き出しましょうか?」

川口から見ると花藤の態度は質問どころか尋問ですらなく脅迫に近い。

「大丈夫だ」

川口は口をすぼめ、軽く下唇を噛んでから諦めたように自分も煙草を咥え火を点けた。

「東京は禁煙だと思っていたんだが」

「まあ灰皿がある以上、吸っても良いんでしょうね」

川口はそう言って紫煙と共に溜息を吐いた。


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