第二十話 後藤と岸
後藤直樹。
まさか・・・と岸は思った。
後藤直樹。同姓同名だろう。そう思いたかった。
岸はレジャージャケットを羽織り部屋を出てエレベータのボタンを押したがすぐに階段を駆け下り始めた。
そんなはずはない、何かの間違いだろう。だがそれが間違いでないことを岸は自身が走ることで証明していたようなものだ。
間違いならこんなに焦る必要はないんじゃないか?
違う!他のプレイヤーに先を越されないためだ!
そんなに人を殺したいのか?
違う!違う!岸は雑念を追い払おうと頭を振った。レモンイエローのスマホを取り出し一番近いコインパーキングのレンタカーを予約し、コインパーキングに向けて走った。
久しぶりに全力疾走した気がする。高校時代の50メートル走の記録は6.5秒ほどだった。これは野球部の小田よりわずかに遅くサッカー部の林より早い成績だった。陸上部は・・まあ50メートル走などやらない。
岸の足は思う様に動かなかった。自身が想像している身体の動きと実際の身体の動きに乖離があった。まだ30前半なのだが身体能力の衰えと言う物を今初めて感じた。
なぜこんな時に高校時代の事を思い出したのだろうか。
それはもちろんこの忌まわしいスマホに後藤の名を見たからだ。
岸はコインパーキングに到着すると自身が予約したレンタカーにレモンイエローのスマホをかざしアクティベートした。即座に乗り込み車を走らせた。車はまたもやマツダで車種はデミオだった。岸は車に乗り込み発進させると目的地へと急いだ。
岸は信号で止まるたびに今すぐにも壊したくなるスマホを確認した。
後藤直樹。
間違いなくあの後藤だった。高校以来だが間違いない。表示されたのは年齢に顔、そして現在地までもだ。岸は車を走らせた。
今、後藤は誰かに狙われている。だが助けに行くつもりではない、どうやって助ければいいというのだ。後藤を狙っているやつを殺すのか?また人を殺すのか?その後はどうする?後藤は全ての情報をさらされているんだ、その後藤と行動を共にするというのは、岸まで狙われると言う事になるだろう。二人で襲撃者を殺して殺して、また殺していくのか?
だが岸は後藤の下へと車を走らせた。
後藤の現在地は江東区だった。江東区の猿江恩賜公園付近。岸は中野通りを南下し甲州街道を左折し首都高新宿線へと車を乗り入れた。スマホのナビでは猿江公園まで約20分。岸は前をノロノロと走るトラックを追い抜きいかにも首都高に不慣れな動きをする地方ナンバーのプリウスを追い抜いて車を走らせ10分と少しで首都高7号線の錦糸町で首都高を降りていったん車を止めた。
直ぐに後藤の現在地を確認した。猿江恩賜公園の中を北に向かって歩いているようだ。こんな夜中になぜ?とは思ったが今の後藤の事は何一つ知らない。高校を卒業してから一度も会っていないし、今どんな仕事についているのかすら知らない。
岸と後藤、それに橘京子。三人で過ごした高校時代は岸にとってはこれまでの人生で最も満ち足りた時間だった。それは二年に満たなかったがもっとも濃密な時間だった。
後藤。
「岸くんだよね」そう言って差し出された左手に岸が返した右手を両手で握り奇妙な笑顔を見せた男。
ヨタヨタと自転車すらまともに乗れない鈍い男。
河川敷に嬉しそうに走っていく後ろ姿。
髪型に気を留めることもなく爪も汚いチビが見せたいと言う物はゴミみたいな昆虫か何かだろうと思っていた岸に高校生には想像もつかないほど高価なバイクを披露してきた男。
安全装備が何一つ備えられていないジェットコースターのようなバイクを乗りこなす男。
だが学校ではチンケな奴らの使い走りでヘラヘラしているような男。
だが俺より、あの高校の誰かと比べても遥かに大人だった男。
捕食者気取りの藤川の馬鹿を持ち上げた時の後藤の姿はどんな映画のどんでん返しより爽快だった。
それが後藤だった。
俺たちは後藤のバイクに乗って東京に行くようになった。
そして橘京子が加わった。
その言葉を口にしたことはなかったが、後藤と京子と俺は親友だった。
だが岸は高校を卒業してからは後藤を避けるようになった。当然京子の事も。
あの三人で過ごした時間はまさに蜜月の時と言った物だった。だからこそ岸はそれに囚われてしまう事に恐れを抱いた。蜜に囚われ抜け出せなくなった一匹の惨めな虫になることを恐れたのだ。
後藤と京子は常に未来を見据えていた。高校生と言うまだまだ未熟な精神性を持っていたのは三人の中で岸一人だった。
だから岸はそこから離れた。蜜月に囚われ続けるのは自分一人だという事を恐れたのだ。
しかし蜜から逃れ言うほど羽ばたけたか?いや、ただ就職までの猶予を四年延ばしただけの大学生活だった。なりたい物も、成し遂げたい物もなく、進める中で一番条件の良い企業に就職しただけの男、それが岸だ。今やそれも失ったわけだが。
今の後藤はどんな男なのだろうか?それは分からない。
だが一つだけ分かることはある。今の後藤は何もわからず殺されそうになっているという事。
そして俺は既に三人殺しているという事。
岸はスマホで後藤の現在地を確認し、その周辺の監視カメラをハックした。公園という事もありその数は少なかったが全くないというわけでもなかった。
時折カメラの視界から外れることはあったが黒?いや濃紺の革ジャンを着てジーンズを履いている大柄な男である後藤は目立つし姿を容易に確認できた。
後藤を付け狙っているであろう男も直ぐに見つけることが出来た。もはや人を殺そうとする時の正式な服装なのかと思えるほどに暗い色のパーカーを羽織りフードを被り両手はポケットに入っていた。
岸は車を公園の北側に止め走った。スマホで監視カメラをハックするが後藤の姿を見失ってしまった。パーカー男も見失ってしまった。
クソ!岸は舌打ちして走り続けた。しかし二人の服装は確認できたし、二人は公園を北に向かって歩いていることも確認できている。だがどうする?後藤を助けるのか?それとも・・・。
岸は周囲の監視カメラをハックして二人を探した。パーカー男がカメラの視界から外れる瞬間を見た。
行き過ぎた!いつの間にかにすれ違っていた。岸は中央広場の西側、二人は東側にいたようだった。岸は二人を追うように走った。
二人の姿を確認できた。岸から200メートルほど先で後藤は深夜の公園を散策するようにのんびり歩き、パーカー男は徐々に距離を詰めていた。岸は走るのを止め二人を見た。周りには誰もいない、それは監視カメラで確認できた。パーカー男が何も知らない後藤を殺すのなら絶好のシチュエーションだ。パーカー男が歩みを速め後藤への距離を詰めたが後藤は何も気が付いていない。それはそうだ、あいつは狂った殺し合いゲームに巻き込まれているなんて夢にも思っていないだろうから。
だがパーカー男は後藤の数メートルまで近寄っている。こんな深夜の公園で真後ろから聞こえてくる足音を気にも留めないのか?だが岸はここで後藤に加勢するつもりはなかった。パーカー男が銃を持っている可能性があるからだ。銃を出されたら二人がかりでもどうにもならないだろう。後藤が殺されるの仕方がないが俺まで殺されたらそれはただの犬死にだ。
パーカー男が更に後藤に近寄った。
(後ろだ!後藤!)だが後藤は相も変わらず深夜の静かな散歩をのんびりと楽しんでいるようだった。
パーカー男がポケットから手を出した。銃を持った構えではない、おそらく岸と同じくスタンガンだろう。パーカー男が右手を向け後藤に襲い掛かろうとした瞬間に岸は叫んだ。ナイフのはずはない、スタンガンの方が即効性があるし何よりいくら死体の処理は不要とは言え、ナイフを振り回しそこいら中に血をまき散らせるわけにはいかないだろう。
「後藤!!」
岸の呼びかけに反応した後藤はゆっくりと振り向いた。パーカー男も反応はしたがそれは僅かに一瞬動きを止めただけで後ろを振り返ることもなかった。パーカー男の右手が後藤に伸びると後藤の叫び声が聞こえた。おそらくパーカー男のスタンガンで触れられたのだろう。しかし後藤はよろめいたが倒れることはなかった。剥き出しの手かレザージャケットの上から当てられたのか分からなかったが、さらに襲い掛かろうとするパーカー男と後藤の二人はもみ合い倒れ込んだ。岸は物影にかくれつつゆっくりと二人に近寄って行った。
後藤を助ける気は・・ない。今、岸が二人の争いを見ている以上、また別の誰かがそれを見ている可能性があるからだ。参加人数は二人と表示されたが、その二人と言うのが全部で二人なのか岸が見た時点での残りが二人だったのかは分からない。このボーナスゲームとやらにすでに何人も参加しており岸は残り二人の時点で参加した可能性も否定できないのだ。周囲のカメラを見ただけでは他に人はいないようだったがそれでもうかつに姿をさらすことは出来ない。
後藤が勝つ可能性は限りなく低いだろう。パーカー男は武器を持っているが後藤はどうだろうか?少なくとも岸が知る高校時代の後藤は粋がってナイフやアイスピックを持ち歩くような男ではなかったし、普通の日本人男性もそういった物を持ち歩い公園を散歩することも少ないだろう。
二人はまだ地面に転がり争っているようだ。意外と後藤の抵抗が功を奏しているのか?岸は高校時代に最後に見た後藤の体躯を想像し、それもまあありうるだろうと思いもっと近づくことにした。パーカー男の顔をハッキリと確かめておきたかったからだが、争う二人は動きを止めたので岸は咄嗟に木陰に隠れ様子を伺った。起き上がったのは意外にも後藤の方だった。地面に横たわり動きを見せないパーカー男を傍らに座った後藤が押すように蹴った。しかしパーカー男の反応は無いようだ。後藤はパーカー男に呼びかけその体を揺さぶっていた。岸は思い切って二人に近づいた。
パーカー男は死んでいることは一目でわかった。首が伸びてその上にある頭部がありえない方向に向いていたからだ。
後藤はパーカー男の体をゆすり必死に声をかけていたが返事を期待するのは無理というのは岸にも分かった。
「殺したのか?」岸は言った。
後藤はそこで初めて岸の存在に気が付いたようだ「違うんです!襲われたんです!ビリッてやられて、それでもみ合っているうちに・・・」
「後藤、殺したのか?」岸が呼びかけると後藤はやっと殺人の目撃者が旧友の岸であることに気が付いたようだ。
「岸?お前、岸か?」後藤は少し安堵するような表情を見せたがすぐに現実に戻された。人を殺したかもしれないという現実に。
岸はレザーコートのポケットに手を入れたまま三度同じことを聞いた。
「お前が殺したのか」だがそれは質問と言うより感嘆だった。スタンガンを持つ相手の首を素手でへし折ったのか。
人の首の骨を折る。ハリウッド映画の中でなら見たことはあるが本当にそんなことが出来るのかという驚きだった。
後藤は慌てて両手をパーカー男の胸に当て押し始めた。どうやら心臓マッサージのつもりらしい。
「違うんだ!襲われたんだ!こいつがなんかやってきたんだよ!でオレの腕がバチッとして!!すげえ痛くて!」
岸はスマホを取り出し周囲のカメラを確認し周囲に誰もいないことを確認してから言った。
「それって、首の骨が折れているんだよな?」首が伸びたパーカー男は一滴の血を流すことなく絶命しているようだ。これは便利そうだと岸は思ったがこんな簡単に人の首の骨を折れるものだろうか?後藤を見ると高校時代と変わらぬ羨ましくなるほどの体躯であることは革ジャンの上からでもわかった。
「違う!死んでない!今起きるから!」後藤はパーカー男の心臓を押し続けた。
岸はさらに後藤に近寄りその脇に立って言った。
「無駄だろ」
「違うって言ってるだろ!」後藤はそう言って無意味な心臓マッサージもどきを繰り返していたが岸は言った。
「止めろ、死んでる」
「大丈夫だって!!起きろ!起きてくれ!!」後藤はパーカー男の胸を叩き始めた。
「お前が殺したんだよ」岸が寄り添うように近寄ると後藤はようやく両手の動きを止めた。
「岸?お前何でここにいるんだ?」先ほどまでの怯えとは別の怯えを身にまとい後藤が岸に振り返ろうとした瞬間、岸の右手が後藤の首に触れた。
後藤は岸を見つめたままパーカー男の上にあおむけに倒れた。
「キシ・・・」後藤が声を絞り出す。
そう、スタンガンはこうやって使うんだ。
岸は静かに後藤に語り掛けた。
「後藤、久しぶりだな。高校以来だよな。十・・何年ぶりだ?15か?16年か?お前は京ちゃんとは結婚したのか?俺はお前ら二人が恐かったんだ、お前らに置いていかれる事が恐かった。だから大学進学を気にお前らとは関係を断ったんだ。お前は今何をしている?バイクか?バイクはまだ乗っているのか?それともパソコンか?」
「ナカマ、ナノか?」後藤の身体はまだまともに動けずに絞り出すように言った。
「仲間?こいつが?まさか、そんなわけないだろ。こいつはお前を殺しに来ただけだろ」
「オまエは?」そう答える後藤に岸はポケットからドライバーを取り出し、後藤に見せつけるように目の前でゆっくりと振った。
「これな、普通のドライバーだけどこんなものでも人は殺せるんだよ。こめかみなら簡単に刺せるし、それで三回も回せば人は死ぬんだ」
岸はドライバーを後藤のこめかみに寄せた。
後藤は少し頭を動かし麻痺した身体で今できる最大限の抵抗を見せた。
岸の手にしたドライバーが後藤のこめかみに触れた。後藤は一瞬だけ歯を食いしばったがすぐに力を抜いたように笑顔を見せた。それは岸と後藤が初めて声を交わした時のあの妙な笑顔だった。
岸はいたぶるようにドライバーの先端で後藤のこめかみを撫で続けた。後藤は一瞬も目を閉じることなく岸を見つめ続けていた。
後藤は身体の自由が僅かに回復してきたのか腕が少し動かせるようになってきたようだ。だがその腕は今まさに後藤の命を奪おうとしているドライバーではなく、岸の肩に置かれた。そしてもう一度あの笑顔を見せた。諦めたのか、親友だったことを思い出してくれと言う願いだったのか。おそらくどちらでもない。
岸は肩に置かれた後藤の手を振りはらい左手で後藤の胸倉をつかみ起こし耳元で言った。
「諦めろ」
しかし岸はそのまま動かなかった。後藤の身体の痙攣が徐々に回復し、後藤は両手の平を岸に向けた。
「落ち着けよ、岸」
岸はドライバーをポケットにしまい立ち上がり後藤としばし見つめあった。
「もう動けるだろ?その男の死体をそこの茂み隠せ」
「いや、でも」後藤はまだパーカー男を助けられるとでも思っているのか?いや違うな、人を殺したという事を認めたくないんだ。その気持ちは分かる、痛いほどわかる。でも時間が無い。
「諦めろって言ったろ?そいつはお前を殺しに来たんだ、だがもう死んでる。そいつの死体を茂み隠せ、他の誰かに見られたらまずい、早くしろ」
後藤は岸と死体を交互に見つめ覚悟を決めて死体を引きずり公園の茂みに隠した。
「行くぞ」岸は言った。
「どこに?死体はこれでいいのか?」後藤は当然ともいえる疑問をぶつけた。
それもそうだ、どこへ行く?中野のマンションに戻るのか?それは避けたい。
「死体は大丈夫だ、お前は今どこに住んでいる?」
「江東区の、梅川の自宅に一人で住んでいるけど」
江東区の梅川がどこかは知らないが、自宅でしかも一人暮らしか、それは良い。
そうだ!忘れるところだった。
「そいつからスマホを取っておけ、黄色い奴だ」
後藤は不安げに岸を見やったが言わるまま男からスマホを取り上げた。スマホカバーが付いていたがカバーを少しずらし見ると確かに黄色だった。
「これか?」
「よし、じゃあ行くぞ、車か?」
「いや、歩きだ。近くで飲んでいてちょっと酔い覚ましに散歩でもし・・・」
「来い」岸は後藤を連れだって公園の北側に止めた車に向かった。
後藤は聞きたいことが山ほどあっただろうが黙って岸の後ろをついて歩いた。だが一つだけ岸に聞いた。
「岸、お前は助けにきてくれたんだよな?」
「さあな」岸は答えた。それは心の底からの本心だった。俺は後藤を助けに来たのか?それは無い。なら俺は後藤を殺しに来たのか?それもない。ならなぜ俺は今、後藤を連れて歩いているんだ?このイカれたゲームで戦う仲間を作ろうとしているのか?それも違う。俺が欲しいのは・・・。
岸は後藤に車を運転するように言った。
「免許は持っているよな?」
「ああ、うん?でもオートマか」後藤がやや不満そうな言葉を吐いた。
「できないのか?」助手席に乗り込もうとした岸が言うと後藤は慌てて運転席に着いた。
「大丈夫、出来るよ。あれ?鍵は?」後藤が鍵を捻ってスターターを回そうとしたようだがこの車にはそんなものは無い。岸は右手を伸ばしてスターターボタンを押した。
岸の伸ばした手に後藤は一瞬ビクりとした。
「サンキューな、でももうビリビリは勘弁だぜ。でもどこに行けばいい?」後藤はハンドルを握って岸を見た。
「ああ、お前の自宅に行ってくれ」
後藤は当然持つであろう不安を顔に出したが「ビリビリ」を恐れたのかすぐに車を走らせた。
「あいつはあのままで大丈夫なのか?」
「大丈夫って言うのはあいつの生死の問題か?それとも死体が見つかるかもってことか?」
「いや・・・」岸の意地の悪い返答に後藤は黙った。もちろん後藤の懸念はあんな所に死体を放置して見つからないわけは無いという事だろうが、それを口にするという事は自分が人を殺したと認めることになってしまう。
「警察に・・・」という後藤の言葉を岸は直ぐに遮った。
「ダメだ」
「なんでだ?あれは正当防衛だろ?お前も見ていたんだろ?」
「警察に通報なんかしたらお前は警察に捕まる前に殺されるぞ」
「誰にだよ!?あいつは、その、死んでた、だろ?」
「お前を狙っているのはあいつだけじゃないだろうなってことだ。もう黙ってろ。お前の家に行くぞ、飛ばすなよ、警察に目を付けられるような真似はするな」
後藤は少しも納得していないようだったがようやく黙ってくれた。その代わりにカーラジオに手を伸ばしスイッチを押した。
Primitive Radio GodsのStanding Outside A Broken Phone Booth With Money In My Handが流れ始めた。
・・・Can humans do as prophets say?
And if I die before I learn to speak
Can money pay for all the days
I lived awake but half asleep?
Do do do
Do do do
Do do do
A life is time, they teach you growing up
The second sticking killed us all
A million years before the fall・・・・
単調なリズムに意味不明なリリック。不思議な曲だった。
I've been down, I've been down hearted baby
Ever since the day we met, ever since the day we met・・・
俺は落ち込んでいる、出会ったあの日からずーっと・・
曲は波の音と共に静かに遠ざかっていった。
後藤の自宅へ向かったのは、後藤の現在地がまだ誰かに知られている可能性があるからだ。そんな状態で中野のマンションに連れ込むのはまずい。後藤の自宅は猿江恩賜公園から車で10分もかからずに着いた。これだけ近いなら公園で散歩していても不思議ではないか。
それよりも驚いたのは後藤の自宅だった。コンクリート造の二階建ての大きな建物でその建物の前にはもう一棟建てられそうなほどの敷地があった。自宅と言うからてっきり庭もない小さな一戸建てだろうと思っていた。
「これがお前の家?」嘘だろ?岸が驚きの声を出すと後藤は「叔父さんから相続した」とだけ言い、腰から鍵の束の付いたカラビナを外すと建物に向かってリモコンのボタンを押した。
深夜にはそれなりの騒音と立てて建物のシャッターがゆっくりと上がると後藤は車を中に入れた。シャッターの奥にはバントラックが一台とオフロードバイクが一台止まっていた。バントラックの荷台には「エビス屋酒店」とあった。
「一人暮らし?」一人でこんなデカい家に住んでいるのか?岸の驚きは覚めなかった。
「ああ、オレだけだ」後藤が車から降りながら言いシャッターを下ろした。
「叔父から相続したって?」岸も続けて降りる。
「ああ、そうだ。叔父さんの身寄りはオレしかいなかったからな」
「お前だけ?」
「岸、黙ってろって言う割には色々と聞いてくるな」後藤はやり返すようにニヤ付いて岸を見た。ほんの10分前に初めて人を殺したとは思えない顔だった。
「二階に行こう、ここじゃ椅子もないし落ち着かないしな。お茶でも入れるよ」そう言ってドアを開け歩いて行く後藤に岸も続いた。
そこはまた広々としたアイランドタイプの洒落たキッチンだった。後藤がヤカンをくるりと回し水を入れコンロにかけ火を点けた。
「適当に座ってくれ、緑茶でいいか?」後藤が聞いた。
「いや、コーヒーはあるか?」岸の返答に後藤は立ち上がり冷蔵庫を物色し始めた。
「うーんコーヒーはインスタントしかないな、いつのか分からないが。紅茶ならある。冷たいのが良いならメッツコーラかペプシ、炭酸水ってところだな。それか東京の美味しい水ならいくらでも飲んでいいぜ」
「じゃあ同じものを頼む」岸はキッチンを見渡した。壁や床はモザイク模様でここに10人集めてパーティーを開いてもそれぞれが自分のスペースを十分に確保できるだろうと思えるほどに広く、そして10人が訪れても不思議じゃないほどオシャレなキッチンだった。
「ここに一人で住んでいるのか・・」
「ああ、一人だ。今のオレはお前と同じだよ」
「同じ?」
「そう、一人だ。だから叔父さんからオレが相続した」
「その叔父さんは身寄りが無いって、お前のお袋さんはどうしたんだ」岸は後藤の父親がすでにいないことは高校時代に知っていた。
「お袋は10年位前に事故で死んだ。姉貴は姪と行方不明だ」
「そうか・・悪い・・・」
「気にすんなよ、もう10年以上前の事だしな。叔父さんは奥さんに先立たれて子供もいなくて唯一の親族であるオレにこの家を譲ってくれた。相続税のことまで考えてくれてたよ」
「叔父さんは?」
「相続って言ったろ?死んだよ」
「そうか・・・一人って・・」
「ああ、お前と同じ天涯孤独ってやつの仲間入りだ。ほらお茶だ」後藤はそう言って両手に持った湯呑の一つを岸に差し出し岸の向かいの椅子に腰を下ろした。
しばし二人で静かに茶を啜った。
「少し叔父さんの話をしていいか?」
「ああ、聞かせてくれ」
「オレの叔父さんは14~5歳で東京に来たらしい。戦後10年も経っていなかったそうだ」
「叔父さんは材木屋に勤め始めて日本の高度経済成長のふもとに立ちそれを見上げようとしていた。
25~6で独立し死に物狂いで働いた。東京に来た頃は道路に牛や馬のクソが落ちていたもんだし荒川に架かる橋は木造だった。だがそれは直ぐにトラックとコンクリートに変わっていった。まあ独立って言ってもな優しい師匠みたいな材木屋の社長の事務所の端っこに机を借りて電話を置かせてもらっただけだ。おんぼろの三輪バイクでリヤカーを引いて朝から晩まで材木を運んだもんだ。だがすぐにアパートを借りれるようになり、おんぼろの三輪バイクとリヤカーはおんぼろのトラックになり、従業員も雇うようになった。トラックが増えアパートが小さいな自社社屋になると仕事はさらに増えて敷地も広がり大量の在庫を持てるようになり製材工場も立ち上げた。そこにバブルってやつが来た。江東区の多くの木材商は新天地とか言われた新木場に移っていったが、ここいらでもう十分だろうと思った。それで製材所以外の土地を売り払い細々とやっていたが製材所の経営も難しくなった。だから畳むことにした。
叔父さんはその後は家賃収入で悠々自適に暮らしていたが奥さんに先立たれて自分が一人な事に気が付いて唯一の親族のオレを見つけてこの建物をくれたってわけだ。叔父さんは土地を売る時に等価交換でそこに建てられるマンションの一部を所有していたらしく、それを売り払いオレの相続税まで払ってくれた。で、オレはココをリフォームして酒屋を始めた」
「酒屋?」看板もないのか?と岸が訝し気な表情をすると後藤は「ああ、卸しな、居酒屋とかに卸しているんだ、小売はやっていないからな」と答えた。
「なあオレの事はもういいだろ?今度はオレが聞く番じゃないか?」
「いや、だめだ。あいつからスマホを持ってきたよな?それを出せ」
後藤は不満げにジャケットのポケットからスマホを取り出しテーブルに置くと同時に岸のポケットの中のスマホが振動した。サーチされたか?だが今はそれどころではない。
パーカー男のアカウントがどうなっているのか?ヤツが保有していた物はどこに行くのかを確かめておくべきだ。
「何だこれ?東京サヴァイバー?」後藤がスマホを見て言った。
まさか!?
「お前、パスワードを当てたのか?」
「いや、何も触ってないぜ」後藤がスマホを滑らせ岸に示した。
そこには岸が初めて悪夢のスマホを受け取った時と同じ画面が表示されていた。
「本当に触ってないのか?」
「いや、触りはしただろ、出せって言ったろ?でもパスワードとかそんなのは知らないぜ」
「それをタップしてみろ」
「あ、消えちまった、いやダメだロックがかかったみたいだ」後藤はスリープ状態になったスマホのサイドボタンをいじってみたがロックは解除されないようだった。
「背面の指紋認証はどうだ?」岸にそう言われ後藤はセンサーに触れた。
「あ、来た。でも同じだ、東京サヴァイバーってやつだ」
「タップしてみろ」岸は後藤が自分と同じ道を歩むのかと躊躇したが後藤は「何も起こらないぞ」と言った。
どういうことだ?岸がまず気になっていたのはパーカー男のアイテムやクレジットがどこに行くのかという事だ。岸は自分の持つ悪魔のスマホを取り出した。
そこ表示されていたのはサーチされたという通知ではなかった。
「後藤さんは有田さんをカウンターキルしました。後藤さんをゲームに誘いますか?」
どういうことだ?後藤がこのゲーム加わるのか?その許可がなぜ俺に託される?いや推測は出来る。ボーナスステージと言う後藤殺しに参加したのはあのパーカー男と俺だけなのだろう。だがパーカー男は後藤に殺された、その代わりに後藤がこのイカれたゲームへの参加権を得た。そして後藤殺しに参加した俺が後藤を殺すかゲームに参加させるかの決定権を与えられたという事か。岸は「YES」をタップした。
「もう一度タップしてみろ」
「ああ、うん?スタートってでたなこれをタップすればいいのか?」
「そうだ」
後藤は岸に言われるがままにタップした。
後藤のゲームが始まった。




