第八十五話 拳の女
中野の警察病院。
一般病棟に移った山井那奈はベッドで寝ていたのだが、妙な気配を察知し薄く目を開けた。
暗い部屋の隅に男が立っていた。
それが誰であるかはすぐに分かった。
「何しに来たクソ野郎。今更殺しに来たのか?」
後藤は軽くため息をついた。
「はぁ・・・お前は命を狙われてんだよ、お兄・・・」
「黙れ!それ以上言ったらブッ殺す!!」那奈は剥ぎ捨てるように布団を払い上体を起こした。
はあ・・・。めどくせえな本当に。何でいつもこういうめんどくせえ役目は俺なんだよ。
「ああ悪かったよ、まさかお前がいるとは思わなくてな。でもな、お前が大好きな筋肉馬鹿のハルクちゃんはお休み中だしな」
「黙れ・・・何しに来た!」
那奈は後藤を睨み拳を握る。
「何だよ、黙れ何しに来た?って。まあいいけどよ、お前はここにいたら死にかけのまま殺される。だから匿ってやるよ。来るか?」
「ハハッ!匿う?お前のベッドに連れ込むのか?」
那奈は拳を握り向け後藤を嘲る。
「冗談だろ、俺はベッドは綺麗にしておかないと寝れねえんだ」後藤はうんざりしながら答えた。
「そうだなお前の血より汚ねえもんはそう無いだろうな」
後藤は両手を組んで大きくため息をついた。
無理!この死にかけの相手は俺には無理!
そう言って去って行った。
那奈の前には別の男が立った。
それは、あの炎の男でも氷のようなクソ野郎でもなく、それ以上燃えることも冷えることもない灰のように無機質な男だった。
灰の男は感情も無く告げる。
「ここにいたらお前は殺される。世界一安全な場所に匿ってやる。お前が望むのならな」
「私を殺す?やってみろよ」
「それはドアを開けて入ってきて、声を掛けたりはしない」
那奈もそれは分かっている。だが認めたくはない。自分を殺そうとしているのが誰なのか・・。
「強制はしない、お前が選べ」
「私をどこに連れていくつもりだ」
「MAEVE。一番安全な場所だ。そこで自分で判断しろ」
那奈にはこの灰の男の言葉がつまらない利益の為ではないと理解する。本当に私を助けようとしているのだと理解した。そして知っている、自分を殺そうとしている者が誰なのか。
だから答えた。
「分かった。行く」
拳の女は次の牢獄へと向かう、何も知らないあの子を守るために。




