―ニューイヤー・ニューデイズⅠー
ハッピーニューイヤー。
年が明け、家族や隣人に対して述べる新年の挨拶も、今や皮肉としか言えないだろう。何故なら国内は非常に荒れていた。もちろん悪い事ばかりではない。マスターの懐妊のニュースはやはり大々的に良いニュースとして報じられる事となったが、同時に元老院ペテルギースが企てた暗殺計画と、その顛末について報じられた。
そしてやはり、王族に異種族の女性を加える事。そしてその子供が誕生する事を快く思わない連中が、城壁に落書きをしたり、ヘイトスピーチを行う連中までもが現れ、警備隊と小競り合いになったとニュースで報じられたのだ。やれやれ、新年早々全くもってご苦労なことだ。
さらに悪いニュースはレオニード国外にも及ぶ。
無政府地帯となってしまっているオーディアの難民が、一斉にレオニードへと向かっていると言うのだ。あまりの数に、レオニードで受け入れられるキャパを圧倒的に上回り、このままでは混乱を避けられない事態になりつつあるのだ。王政府は、現在起こって居る問題、その全ての対応を速やかに行わなくてはならない。先ほどから、ロキも関係各所へと引っ切り無しに電話で指示を出している。流石のロキの顔にも、疲れた表情が浮かび始めていた。
それだけじゃない。オーディア関係のニュースが流れるたびに、エリシアの表情の曇りっぷりときたらもう……。
「……ごめんなさい。ごめんなさい」
この有様である。泣き出しそう表情……いや、訂正しよう。今まさに泣き始めた。涙でをぽろぽろと零しながら、エリシアはロキやマスターに深く何度も何度も頭を下げるばかりだ。
「ああ、エリシアさんどうかお顔をお上げください! 大丈夫です! 大丈夫ですから! ああもう、レイ、セイラぁ! 助けてくれよぅ!」
「も、もうエリシアちゃん泣かないの! 大丈夫、大丈夫だから! 私たちが何とかしてあげるから! ね! レイちゃん!(ちょっと! 彼女が泣いてるんだからマッハでフォローしなさいよ! 彼氏でしょう!?)」
以心伝心とはこの事だろう。マスターが俺をキッと睨み付けただけで、俺はマスターが今、心の中で何を思っているのかが手に取るように分かってしまう。
はいはい。わかってますよ。 もう今日だけで何度目か分からないけど、フォローすればいいんだろ? あーもー、ほんとにしょうがねぇなぁ。
「くぉらエリシア! お前もうテレビ見るな! ラジオも聞くな! ごめんなさいと口にするな! お前はもう皇女辞めたんだろ? お前はもうレオニードの国民で、俺の彼女だろ? なら、この馬鹿殿を信じろよ。あと、俺の言う事だけ聞いとけ。ほかのノイズは無視しろ。彼氏命令だ」
「おい、馬鹿殿って何だコラ。ディスっておいて信じろとか意味わかんねーんだけど」
「……レイちゃん? それ一応モラハラ案件引っかかるから、言動には注意しようね? そんな意図は無いと重々承知してるけど、ダメよ?」
あんたにハラスメント案件で注意されたくないよマスター……。
「あの、ごめんねレイ。わかってはいるの。こうやって私が落ち込む事で、みんなにも心配をかけてしまうって、ちゃんと理解もしてるの。けど……」
……ああもう、どうしょうもないなコイツは。こうなったら、テレビも新聞もない場所へ連れて行って、気分を紛らわせてやるしかなさそうだな。……本当なら明日行くつもりだったけど、予定を繰り上げる事にしよう。
「エリシア、ちょっと付き合ってくれ。出かけよう」
「え? あ、うん。でもどこへ?」
「……ま、野暮用かな」
俺とエリシアは、屋敷の自家用車を借り、この屋敷から一番近い村へと向かう。ニブル村と違って、ちゃんと舗装された道なので、この間のように馬を使わなくてすむ。そして暖房も効けば音楽だって聴ける。エリシアはオーディオにCDを入れ、スピーカーからメロディアさんの美しい歌声が流れ始める。
「……やっぱいい声だな」
「ふふふ。レイもすっかりメロディアのファンだね。……ファンならいいけど、女性として好きになったりしたらダメだからね?」
「なるわけないだろ。……お前がいるんだから」
「……ふふ、どうだか。男性はいくつも愛を持っているって、メロディアも歌ってるわよ? ほら」
エリシアがCDのトラックを4番にセットすると、オーディオからは新しい曲が流れ始める。
『あなたは本当に酷い人 どうしてあなたはそんなに私を困らせるの? あなたには愛が多すぎるわ あなたを独り占めしたい あなたに独占されたい 他の女の子に触れた手で私に触れないで 他の女の子に愛を囁いた口でキスをしないで 私は孤独な女王蜂 浮気男は 後ろからぐさりと刺しちゃうの』
「こわっ!……なぁ、この曲あんまり人気無いんじゃないのか?」
「あはははは、男性には耳が痛いらしいけど、女の子には割りと人気なのよ?」
「あー、少なくともカトレアの共感は間違いなく得られるだろうよ……」
「──本当にカトレアさんだけだといいわね?」
「勘弁してくれよ」
15分ほど走ったところで、車は近隣の村、リオール村へと到着した。この村もやはり異種族、他種族の住民と人間により構成され、平和に生活している村だ。
車を駐車場に停め、俺たちは村の中を歩く。そしてそんな俺たちの脇を、小さな異種族の子供たちが駆け回っていく。
「あはは、こっちこっちー」
「あ、まってよー!」
あるウサギの耳をした獣人族の女の子は元気良く駆け回り、腕が翼の鳥人族の男の子が俺たちの頭の上を越えて飛び、それをアルマジロの獣人族の男の子がトテトテと追いかけ、ぽてっと転んでしまった。
「あ、大丈夫?」
エリシアは子供を助け起こし、服についた雪を払ってやる。
「怪我は無い? どこか痛い所はあるかしら?」
「ううん、大丈夫。お姉ちゃんありがとう!」
「ええ、気をつけるのよ」
「はーい! ねぇ待ってよぉー」
エリシアは笑顔で彼らを見送り、優しく微笑んでいた。
「やっぱりいいよね、こういうの。世界中がこんな風に、差別も無く、争い事も無く、平和に毎日を過ごせたら、それがどんなに尊い事か……」
「……その事に気づける人間は結構少なかったりするもんだぜ? 人間に限らず、その世界に生きる人々は、その平和に慣れちまうもんさ。当たり前になっちまうんだよ。だからそれがどんなに尊いものなのか忘れちまう。一度失わないと、その尊さにも気づけないんだ。当たり前がどんなに、幸せな事かなんて」
だから、忘れちゃいけない。俺は忘れちゃいけないんだ。勝手にずっと続く幸せなんて無い。守り抜かなきゃいけない。そして、思い出さなくてはいけない。かつて失ったものを……。だからこそ、この村に来た。
「……エリシア、野暮用って言ったけど、詳しく聞かないのか?」
「んー。聞かないって言うより、判っちゃったからかな。レイはいつもそうだもの。懐かしさと、寂しさ。あなたの心の在り様がそんな姿をする時は、スキラさんの事を思っている時。きっと、この村にあるんでしょう? スキラさんのお墓が」
「参ったな……。お前に隠し事はできないな」
「彼女に隠し事なんてしないのが当たり前なんだけど?」
しかしこれは参った。ほとんど読心術だ。エリシアに対し、何か後ろめたい事があった時点で、エリシアは追求にかかるだろう。普通に恐ろしいな、エリシアの能力は。
「ちなみにぃ、レイがえっちな事を考えてる時もわかっちゃうかもよ?♡」
「なっ!?」
「ふふふ、私にキスしてくれた時、レイってばすごくえっちな事考えてたでしょ? もぅ、レイのケダモノー♡」
「あ、あのなぁ!……男だったら、考えないはず無いだろ。わ、悪いかよ。そ、そもそも、お前だって! お、お前だってその……結構積極的に……」
「わーわーわー! もういい! 降参! からかってごめんね! だからもうこの話はおしまい!」
俺の言葉をわーわーと掻き消し、俺たちは互いに沈黙し、顔を逸らし合ってしまう。
そしてやはり俺は愚かにも、廊下で交わしたあの口付けを、生々しく強烈に思い出してしまうのだ。
エリシアの甘い髪の香り。触れ合う肌の温もり。彼女の小さくも柔らかい身体。重ねた唇の艶やかで柔らかい感触。時折漏れるくぐもった甘い声。熱に絆され、絡め合ってしまったエリシアの小さな……。
「……レイ、今すごくエッチな事考えてない?」
「うぐっ。お、お前が思い出させたんだろうが。っていうか、その読心スキルどうにかなんないのかよ? 俺の心にだってプライバシーくらいあるだろうに……」
「そ、そうだよね。えと、うーん。……シェリル、出てきて?」
エリシアが一言口にすると、手のひらサイズのシェリルがぽふんと、俺の頭の上に現れ、そのまま乗っかり、ぐてーっと寝そべる。
いや、おかしいだろ。出てくる場所と、くつろぐ場所が!
「ねぇシェリル、どうにかならない? 私だって、レイが無表情のまま、裏ではとんでもなくエッチな事を考えてるなんて、正直見たくないし聞きたくないよ。これ以上無いってくらいストレートに『エッチしようぜ』って言われてるみたいですごく不愉快なの」
「───お前、他に言い方あるだろうよ」
シェリルは俺の頭の上でくぁっと小さくあくびをすると、光の玉に変化して、エリシアと融合した。
「───まったくもう、世話が焼ける二人だ事。レイ? あなたも、思春期の子供じゃないんだから、性欲くらいちゃんと自分で制御しなさいよね。さってと、レイ。背中を見せなさい」
「ん? こうか?」
俺はシェリルと融合したエリシアに背を向けると、彼女はおもむろに俺の上着と下着のシャツをめくり上げた。
「さぶっ!?」
気温は現在マイナス3度。こんな所でいきなり背中を露出させられ、俺の体はぶるりと震え上がった。そして次の瞬間、周りに響き渡るほどの勢いで、背中をバチンと叩かれた。
「うぎゃっ!?」
「はい、これでよしっと。まったく、歴代の巫女の中でも、当代の巫女は覚醒が遅いくせに才能だけはピカイチだから困り物よね。そして欲張りだわ。
普通、好きな人の心を知りたい。心を見透かせたら良いのにって思っても、理性が「そんなのダメよね」ってブレーキをかけるのに、それができなかった。もちろん、その原因もあなたにあるわ。
あなたは私に対して、自分の過去の事や気持ちを殆ど開示しないまま、私に触れ、心を射抜いてしまった。男性に対して免疫が一切無かった私は混乱を極め、あなたの全てを知りたいと思ってしまったのね。
結果、私は無意識のうちに、あなたに呪いを施してしまったようね。言う成れば、一方通行の以心伝心。
魔法として完全な形を成していないからこそ、喜怒哀楽などの感情の揺らぎだけが伝わっていたけれど、これが完璧な形を成していたら、あなたが心に浮かべた言葉だけでなく、思い浮かべた風景までもが見透かされていたでしょうね。
まぁもちろん? そのためにはあなたの背中に大掛かりな魔法陣を刻み込まなきゃいけないのだけれどね。
安心しなさい? その呪いは今解除してあげたわ。せいぜい私に疑われない事ね。
もし、『今、レイはいったい何を考えてるの? レイがわからない。レイの心の中を見れたら良いのに!』って強く思わせたら、また同じ事の繰り返しよ。
呪いが再び発動し、あなたの感情が強く揺らいだ時。私が少しでも覗き見しようと思った時。あなたの心の在り様は否応無しに見透かされる事になるわ。気をつけなさい?」
それだけ言い残して、シェリルは再び手のひらサイズの省エネモードとなり、俺の頭の上に落ち着き、くぁっとあくびをしてみせる。そして、エリシアはと言うと……。
「あわわわわわわわわ……」
冷や汗をだらだらとかき、さーっと青ざめていた。
「───おい」
「ひぃっ!? だ、だってまさかそんな事になるなんて思って無かったって言うか、魔法にそこまでできる力があるだなんて知らなかったんだもん! それに、思ったり願ったりしただけで、そんな事になるだなんて思わないじゃない!」
まぁ言われて見ればそうなのかもしれない。それに、俺に落ち度もあったのだろう。今のシェリルの話を聞く限り、心操系幻術魔法に近いものであり、術にかかる前ならば、強く意識するか、防御魔法やマジックアイテムを見に漬ける事で未然に防げる物なのだ。
言う成れば、俺はエリシアに対し、それほど無防備を晒していたという事になる。
良く言えば、心を許しているという事だ。
「まったく、勘弁してくれよ。マインドプロテクト系のマジックアイテムは買うと結構高いんだからな? お前のそのビックリチートスキルがその程度の物で防げる代物なのかも怪しいところだしな……」
「び、ビックリチートって! 心外だわ。私に言わせれば、あなただって十分常人離れしてるじゃない。精霊剣二本なんてそれこそチート。他の冒険者が聞いたらありえないと声を上げるどころか、『そんなのはエアリアルウィングのレイ=ブレイズくらいしか居ない』って言うらしいじゃない!」
言えない。剣ならまだしも、『精霊の武具』であれば、装備できない地下室に封印されたままの武器や鎧が存在するなんて……。
村の中ほどまで歩みを進めたところで、俺たちは村唯一の宿に差し掛かり、俺はシルフィードマントのフードを被ろうと、フードに手をかけた。
「レイ? なんでフードを?」
「あー、いやその……」
「おや? あんたブレイズさんじゃないかい?」
「げっ」
声のほうを恐る恐る振り返ると、狸の耳と尻尾を生やした獣人族の小太りのおばさんが、俺を見て目を丸くしていた。
「やっぱりブレイズさんじゃないか! 今年は予約が無かったから、来れないんだなとは思ってたけれど、大変だったねぇ。リーゼリット邸で大暴れしたそうじゃないか。言う成れば、国の一大事からセイラちゃんとお腹の子を守りきったって事だろう? がんばったね! ウチもご贔屓にしてもらってる身として鼻が高いよ!」
「お、女将さん……。あけましておめでとうございます……」
彼女はこの村唯一の宿、茶釜亭の女将さんだ。狸人族特有のその大きな腹太鼓の底から沸きあがるその声量と来たら……。遠くの山からヤマビコが帰ってきやがるレベルだ。
「……ご贔屓? 今年は? ふぅん?」
ああ、エリシアが面倒な事に気がついちまった……。
「ん? んんん??? もしかして隣の美人さんはブレイズさんの恋人かい!? やるじゃないかブレイズさん! 今年のお母さんの墓参りは彼女さんの紹介だね! えらい! えらいよブレイズさん! きっとお母さんも喜ぶわ! ああそうだ! お赤飯炊こうか!? あ、お赤飯っていうのはね、私の祖国のごはんなの! お祝い事には、必ずお赤飯を炊くのが慣わしなのよ! おいしいわよぉ? あっはっはっはっは!」
『バシンバシン』と大きな音を立てて俺の背中を叩く女将さん。いや、痛い。すごく痛い。さっきもシェリルにやられたけど、その数倍は痛い。痛すぎて声も出せない。
「い、いや女将さん。お赤飯は遠慮しておくよ。気持ちだけで十分だよ。今年は宿も取ってなかったし、そこまでして貰うわけにはいかないよ」
「そうかい? ……でもまぁ、やっと帰ったんだねぇ。リーゼリットさんと仲直りしたんだね。おばさんとしてはずっと複雑だったんだ。うちに泊まってくれるのは嬉しいんだけどね、車でちょっとのところに、ちゃんと帰る場所があるんだ。あんた達二人の仲直りの邪魔をしてるんじゃないかって毎年毎年、どれだけ良心の呵責に苛まれて来た事か!」
「お、女将さん人が良すぎやしないか?」
「なんだいなんだい! そもそも何時までも意地を張ってたのはあんたじゃないか! リーゼリットさんには内緒にしてくれって言ってたけどね、リーゼリットさんはとっくにお見通しだったんだよ!? 毎年毎年、あんたが帰った後になってから、『レイがお世話になりました』ってお礼の品が届いちゃって、もうおばさんリーゼリットさんに申し訳なくて申し訳なくて!」
「うぅ。あの妖怪ババア余計な事を……」
「……余計? レイ。今の発言はどうかと思うわ。あなたにはフローラ様の愛情が余計だっていうの? 血の繋がって居ないあなたを、本当の孫のように愛情を注いでくださってるのよ? ありがたい事じゃないの」
「そーだそーだー! いいよ彼女ちゃん! もっと言っておやり!」
「───勘弁してくれよ」
あっという間に意気投合したエリシアと女将さんの執拗な責め苦に、俺は完全にノックアウトされ、げんなりしながら再び墓地へと向かうと、やはりエリシアは一番辛い所をしつこく突っ込んでくる。
「……呆れた。毎年、ちゃんとお墓参りには来ていたのね。リーゼリット邸からそう離れて居ないのに、わざわざ宿まで予約して」
「……いやまぁ、そう突っ込むなよ」
「レイの意地っ張り」
「仕方ないだろ。本当に顔向け出来ないって思ってたんだから」
「そんな事だったら、最初からアサシンになんて……。何て言うのは野暮って物よね。実際私は、あなたがアサシンだったからこそ、あなたに助けられ、今こうしてあなたの隣を歩けるのよね。きっとマスターやロキウス様も、そうやってあなたに助けられて来たのでしょうね」
「うわー。めっちゃ不服そう」
エリシアの顔はむすっと膨れ、そっぽを向いてしまっている。
「レイ、私やっぱりゼクス隊長は嫌いだわ。あの会見だって、またレイに恨みの矛先が向いてしまうじゃない。ああやってレイの敵を絶えず増やして、レイの居場所を奪いつつ、いつか人殺しの道を再び歩ませようとしてる魂胆が丸見えよ! ああヤダヤダ。あの陰険なやり方、流石レイとカトレアさんの師匠だわ!」
「しれっと俺までディスってんじゃんか」
歩きながらそんな話をしているうちに、俺たちは目的地である村はずれの墓地へと到着するのだった。




