―レイの過去Ⅰ―
俺とエリシア、そしてメロディアさんとそのボディーガードのお兄さんは、ホテルのタクシー乗り場まで来ていた。
「わざわざ見送りなんてしなくたっていいのに。明日も公演があるんでしょう?」
「ううん、一番大切な親友にこんな形で再会できたんだもの。少しでも長く一緒に居たいじゃない」
皇女とスター歌手の二大有名人がホテルの前で立ち話か。物凄い絵面だななんて思ってしまう。
「本当にビックリしちゃった。メロディアが活躍してるのはテレビとか新聞で知っていたけど、私からは何も連絡できなくて……本当にゴメンね?」
「いいのよ。仕方ないもの。エリシアが生きていた。そして今日再会できた。しかも素敵な彼氏まで出来てたみたいだしね! これこそ神様の思し召しだわ」
「えっえとその! レイは恋人とかじゃなくてその……!」
エリシアは俺の顔をチラチラと見ながら、小さく答える。まぁ確かに、俺たちはまだ正式に恋人同士になった訳ではないのだろうが……。
「うっそだぁ~。さっき借りたギルドカードがなかったらエリシアだってわからなかったけど、レイさんに抱きしめられながら私の歌を聞いてくれてたじゃない?♪」
「あ……あ~。やったな、そんなこと。ははは……」
他人に指摘されてしまうとは、これはまたなんとも恥ずかしいものがある。よくもまぁステージから俺の顔なんて覚えていたなこの人……。
「~~~~~っ!」
「まったく、羨ましいわ。私のボディーガードは口うるさいパパみたいなものよ?」
「ゴッホン!!!……自分には妻も子も居る身。そしてそれがプロというものでありますゆえ」
「ふふふ、メロディアに彼氏が出来たら、大勢のファンが失恋しちゃうね」
エリシアとメロディアさんの間に、再びガールズトークの花が咲こうとしたその時、俺たちの前に一台のタクシーが到着する。
「お、タクシー来たみたいだな。時間も時間だし、そろそろ行こうエリシア」
「もう、なんて空気の読めないタクシーなのかしら!」
久しぶりの親友との再会だ。名残惜しいのもよーく判るのだが……。
「正直、寒いからもう帰りたい」
「そうよエリシア。まだまだ甘~い夜をレイさんと過ごすんでしょ? もう蕩けちゃうくらい熱くて甘い、チョコレートフォンデュのような夜を。あ、次の曲のイメージ浮かんだわ! 題して『聖夜のチョコレートフォンデュ』! あーでも、リリースは来年になっちゃうかな♪」
「ちょ……チョコ。キュゥ……」
メロディアさんは茹で上がったように真っ赤になっているエリシアを見て、クスクスと楽しそうに笑っていた。本当に仲がいいんだな。エリシアをからかうコツを完全に把握してる。……のはいいけど俺まで巻き込まないで欲しい。
「おい、エリシア。そんなとこでノボセてないで帰るぞ。じゃあ、メロディアさん今日はどうもありがとう。春のコンサートはエアリアルウィング全員で見に行くよ」
「はい、お待ちしてます! あ、それとその、今度こっそりエリシアに会いに行っていいですか?」
「ああ、もちろん。皆ビックリするし喜ぶと思う。あ、でもとんでもない奴と鉢合わせになるかも。時々君みたいなビッグネームな奴がいきなりお忍びで現れるから、その時は勿論、絶対に口外にしないでくれると助かる。ほら、早く乗ろうぜエリシア」
「チョコ……。トロトロあまあま……うぅん」
「わけわかんねー事言ってないで乗る!」
俺はエリシアをぐいっとタクシーに押し込んだ。
「レイさん、きっとエリシアは今後すごく大変だと思うんです。正直、エリシアのメンタルで乗り切れるか私不安です。彼女を、どうか支えてあげてください!」
メロディアさんは深く頭を下げた。世界的有名人に頭を下げられるなんて、俺も少し戸惑うところがあった。
「止してくれよ。エリシアを守るのはもちろん俺の仕事だし、そのつもりだよ。ただ、君が思ってるほどエリシアは弱くないさ。泣き虫でどうしょうもないとこもあるけどさ、本気のコイツは、結構頼りになるぜ? ほら、エリシア。ちゃんと挨拶しなくていいのか?」
俺の声掛けに、エリシアは反応せずに、向こう側のドアにもたれ掛かり、静かに寝息を立てている。
「なんだ? 今更酒が回ったのか? おい、エリシア?」
「あ、良いんです! きっと疲れてるんですよ、寝かせてあげてください。……レイさん。あなたがエリシアを助けてくれた人でよかった。エリシアのこと、よろしくお願いします」
「了解。よき聖夜祭を」
俺は運転手に行き先を告げ、窓をしめた。
「……で? なんで酔っ払って眠ったフリなんてしたんだ?」
エリシアは、車が動き出すとゆっくりと体を起したのだ。
「だってー。メロディアにこれ以上からかわれたら、恥ずかしくて泣いちゃいそうなんだもん。それに、いい加減にしないと、メロディア風邪引いちゃうから。歌手にとって、喉は命そのものだからね」
「それもそーだな」
俺は窓枠に頬杖をつきながら、窓ガラス越しに流れる風景を眺めた。夜も更けてきて来たが、夜の街には幸せそうなカップルが、手を繋ぎながら歩いている。俺たちも、傍から見ればあんな感じに見えていたのだろうか。
「……あ! ねぇレイ! 雪が降ってきたよ! きれい……」
「寒いわけだな。さっさと暖炉にでも当たって熱いチャイティーでも啜りたいよ。もしくはさっさとベッドに入りたい」
「ふふふ、レイらしいね。……本当に、素敵な一日だったね、レイ」
「ああ、そうだな」
タクシーの中で、俺とエリシアは今日あった事を一つ一つ確認するように振り替える。
楽しかったことをもう一度リピートするように、写真や動画、土産物なんかをもう一度確認したり、本当にエリシアを楽しませることが出来たようだ。そうやって、二人で今日一日の思い出に耽っているうちに、タクシーはエアリアルウィング前へと到着した。
―エアリアルウィング―
「流石に誰も帰ってきてないみたいだな。まぁあいつらの事だ。今頃、城で飲んだくれてるだろ」
「そうだね、部屋の明かりが一つもついてないね」
俺とエリシアはギルドに入り、俺は暖炉に火を点した。
「レイ、何か飲む?」
「あったかいものなら何でも。……いや、俺が入れてやるよ」
相手はエリシアだ。ホットミルクすら劇物に変えかねない。
「エリシア何飲む?」
「じゃあねぇ、ホットココア! マシュマロ入りで!」
「マシュマロ? そんなのあるか?」
「この間備品として導入しました。一番左の棚の2段目に専用のケースがありますので、少なくなったら発注申請をしてください」
俺はエリシアに言われたとおり、一番左の棚、二段目を見てみると、プラスティックのケースに入ったマシュマロを発見する。
「……うわ。ほんとにあるよ。最近ココアの減りが早い理由はこれか」
「エアリアルウィングガールズの最近の流行なんだー♪」
「カフェでも開店するのか? このギルドは」
二人で暖炉の前のソファーに座り、ホットココア(俺はマシュマロ抜き)を飲みながら、他愛のない年末の予定を相談し、時刻が0時を指した瞬間だった。
「あっ」
「……どーした? 深夜零時までの期間限定魔法でも解けたのか? プリンセス」
エリシアが自分にかけていた暗示魔法が、日付変更と同時に解除されたようだ。
「……うん」
そしてエリシアは申し訳なさそうに俯いた。
「私ったらバカだよね。折角レイが楽しい一日を過ごそうとしてくれてたのに、あんなこと言い出して……」
「確かに、その空気の読めないド天然加減はお前の数少ない欠点だろうな。まぁ気にするな。完璧な人間なんて居やしないし、それもお前らしさの一つだろ。……それに、空気を悪くしちまったのは、俺のミスだしな。お前は悪くないんだ。で、どーする? 本当につまらない話だ。楽しい思い出の締めくくりとしては、かなり重い話になる。それでも聞きたいか?」
「……やっぱり、聞いておきたい」
エリシアの真っ直ぐな視線。その視線を、俺はすこし目を逸らしてしまう。正直戸惑っている。
本当に話していいのだろうか。これは俺にとっては罪の告白にもなる。この話を聞いて、エリシアの俺を見る目が、話す前と変わらないで居てくれるのだろうか。
「……エリシア。やっぱやめないか? 俺の宗教嫌いは日常に差し支えるほどじゃないしさ。ほら、折角今日は楽しい思い出も出来たんだし、それをわざわざ暗い話で締めくくることもないだろ? そんな話よりさ、メロディアさんとお前の話を聞かせてくれよ。あんな有名人とどこで友人関係になったのさ」
途端に不安になった。誰にどう見られようと構わないと思っていたはずなのに、エリシアが俺を見る視線が、俺を恐れる人間や、恨む人間などの視線に変わることが、耐えられないと思ってしまった。
しかし、無理に話を逸らし、無理に下手な作り笑いをしたせいだろうか、少し心配そうに、エリシアの手のひらが俺の頬を優しく包んだ。
「大丈夫よ、レイ。怖がらないで。……私ね、マスターとの修行の中で、巫女の力が強くなったみたい。今、この人は何を思っているんだろうって気になっちゃうと、何となくだけど、わかっちゃうの。
何を考えてるとか、心が読めるとまでは行かないけど、その人の喜怒哀楽っていうのかな。感情を感じ取れるようになったの。だから宗教の話になる度、レイの心がね、どんどん冷たくなって、怒りと悲しみに囚われていくのがわかる……。
私にどうにか出来る話じゃないかもしれない。けど、苦しんでるあなたを放っておけない。見て見ぬふりなんて出来ないよ。
話す事で、レイが楽になれる事もあるかもしれないでしょう? お願い。話して、レイ……。レイが今まで恐ろしいお仕事に従事してきた事は、ちゃんとわかってる。
それでも私は、あなたを恐れたりはしない。だって、貴方は私にとっての勇者様だってことは変わりないんから……」
エリシアの手のひらから伝わってくる体温は、優しく、温かく、どこか懐かしかった。
そう、まるで『彼女』のような……。
「お前は、本当に優しい奴だよな。世界の男達がお前に憧れるのも納得だ。わかった、話すよ。これは、まだルキフィスがこの大陸を支配しようと各地で暴れまわった結果がもたらした悲しい事件と、俺の犯した最初にして最悪の罪の話だ。……聞いてくれるか?」
「うん。どんな話でも構わないよ、だってレイの事だもん」
「わかった……。ちょっと待っててくれ」
俺は資料室に行き、この国で起こった過去の数ある事件ファイルから、一つの事件ファイルを取り出した。
その資料は、黒いファイルに収められ、重大案件として保管されていた。だが、そのファイルに記されている内容も、俺の過去のほんの一部に過ぎない。
だが、この事件さえ起きなければきっと、俺は全く別の人生を歩んでいただろう。
「エリシア、お前はこの国の北東部にあった『黒の森』で起こった事件を知っているか?」
「黒の森? ううん、知らない」
「だろうな。今じゃ地名も変わっちまってるしな……。これが事件の概要だ」
俺はエリシアにファイルを渡した。
「『黒薔薇の魔女の呪い事件?』日付は、24年前から始まってるね。この年って、レイの生まれた年と同じ年だよね」
「……この事件の始まりは、ある男が禁じられた森に入ってしまったことから始まったんだ」
『黒の森』、そこは太古の昔から魔物の巣窟とされ、人間が立ち入ることが出来ないほどに厳しい環境だった。凶暴な魔物が住み、入り組んだ地形と鬱蒼と茂る木々は、降り注ぐ日光を遮った。そして邪霊や妖魔が人を迷わせ冥府へと誘うと言う。
そんな黒の森には、太古の昔から魔女が居るとされた。
遥か昔、人だった頃の面影は薄れ、半身が狼と化してしまった魔女が森に君臨し、彼女の森を侵そうとする人間たちを拒み続けていると、黒の森の周辺の村々に住む人々は信じていた。
事実、黒の森には、一人の女性が住んでいた。
彼女を、人は『黒薔薇の魔女』と呼び、恐れていた。
何故なら、彼女の守る庭園には、どんな暗闇よりも黒く美しい花弁と、剣のように鋭く尖った棘を持つ薔薇が咲き誇っていたからだ。
彼女が守るその薔薇は、夜の帳を花弁にしたような漆黒の花を咲かせ、その妖艶な香りを嗅いだ人間は、それだけで幸福に満たされ、まるで天にも昇ったような感覚に陥るほど、強烈な幻覚作用をもたらすのだ。
過去、薔薇を求め何人もの人間が森に足を運んだが、多くは森から帰らず、命辛々帰ってきた人間は廃人と化し、やがて憑り付かれたように森へと戻り、森の木々と同化してしまうのだという。
人々は、魔女が自分の庭を荒らした賊を決して許さず、呪いをかけたのだと確信した。故に、黒の森は、決して人が入ってはならない禁断の森となり、誰一人近づくことはなかった。
「でもさ、不思議なことに、俺の幼少の記憶はその森の中で始まるんだ。……俺はその無慈悲だと言われていた黒薔薇の魔女に拾われ、育てられたんだ」
「……え?」
遡る事24年前。事件が起きた村は、黒の森のすぐ近くにあり、レオニードの支配下に置かれたばかりだった。
支配下に置かれた村には、一気に人が流れ込んだ。植民地支配のための、レオニードからの移民団。彼らの殆どは、思想統一の為の道具となったアギトル教の信者たち。
彼らは周辺の開拓と、現地住民の宗教改革に躍起になっていた。
もともと寂れた農村だったその村は、あっという間に発展し、レオニード帝国の重要な拠点として機能し始めていた。
しかし、問題もあった。もともと痩せた土地だったため、十分な作物が中々育たず、住民達の生活はちっとも豊かにならなかったのだ。
ある日、腕の立つ狩人が禁じられた森に入った。
禁じられた森の野生動物や魔物を狩り、生計を立てようとしたんだ。
彼は若干の魔法知識も持っていて、帰り道を見失ったり、妖魔などの幻惑に負けることもなかった。その男は、狩人としては一流の腕前だったのだろう。
だが、その慢心が仇となった。彼はもっと住民から情報を集めるべきだった。
自分の腕を過信した狩人は、森の奥へ奥へと進んでいった。やがて狩人は、森の中心部へとたどり着いた。
そこで狩人が目にしたものは、開けた広場に一本の大木がそびえ立ち、その木をくりぬいた様に作られた人の住居だった。
狩人はこんなところに人間が住めるものなのだろうかと首を傾げるが、そんな疑問もすぐに忘れてしまった。
広場の片隅から漂ってくる、この世のものとは思えないほどの香しい香りに、心を奪われたんだ。
狩人は香りに誘われ、広場の片隅に咲き誇る、黒薔薇を見つけてしまった。
この薔薇を、先日男の子を出産したばかりの妻に持って帰ろう。彼はそう思い、手をその鋭い棘で傷つけながらも、薔薇を一輪だけ持ち帰った。
「きれいな薔薇が森で咲いてたから、妻に持って帰ってやろう。傍から聞けば誰もが微笑ましいと思う光景だろう。だがそれが、後の大事件を引き起こすきっかけになった」
次の日、狩人の家から赤ん坊の声が泣き止まないことを心配した村人が民家を訪ねたところ、恐ろしい光景を目にした。
それは、体中を薔薇の蔦に巻かれ、真っ黒なミイラのような姿に変わり果てた、狩人夫婦の姿だった。
そして驚いたことに、その薔薇はすべて、夫婦の体から生え、彼らの血を吸い、この世のものとは思えないほど美しく、そして不気味な真っ赤な花を咲かせていた。
「……そんな」
エリシアは、資料の中に混ざっていた現場写真を(見ないほうがいいと忠告したのに)見て、口元を押さえ絶句していた。
「ゾッとする光景だろ? 恐ろしい迷信を信じている村の人間は、床に落ちていた黒薔薇を見て、簡単に想像がついた。黒の森の禁忌を、狩人が侵したのだと」
悲劇はそれだけでは終らなかった。第一発見者の村人、そしてその家族も同じように死んだ。そしてその死体を調べた者たちも、また……。
死の呪いの拡散。そんな事例は今までになく、レオニードの魔道士たちは頭を抱えた。
そして、レオニードからの人間が引き起こした事件に、元からその村に住んでいた人間が巻き込まれるのはおかしいと考えた村人たちは、村に昔から居た占い師を頼った。占い師は言った。
『魔女に償いの生贄を捧げよ。狩人夫婦が残した子供を、生贄に捧げるのだ』
こうして、村人たちは赤ん坊を同じ呪いで命を落としたことにして、森の中心部近くに捨てたのだった。
「そんな馬鹿な! 生贄なんて、なんて愚かなことをするの!?」
「今の人間が聞いたらビックリすることでも、閉鎖された空間で過ごしてきた昔の人間にはそれが当たり前の行為なんだろうさ。これがなんと24年前に起こった事件だって事が何よりも驚きだよな。100年以上前の話しかと思うだろ?」
「ありえない! あれ、まさかその子って……」
「……そう、俺の事だよ」
ここまで読んで頂きありがとうございます。今回は非常に長く、幸せな時間からの急展開という話になっています。この後も鬱な展開が続いてしまいますが、この物語には欠かせない要素となっています。お付き合いいただければ幸いです。




