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―レイの過去Ⅱー



 物心ついたとき、大抵の子供は両親の記憶から始まるものだが、俺の場合は違った。俺の隣には、スキラという『狼人族』の魔術師が居た。狼人族とは、エルフやドワーフたちのような亜人種と俺たちが区別してきた種族だ。当の本人たちは自分たちを狼族と言っていて、狼と共に生きてきた種族だ。



―19年前―


「スキラ、ただいま! 見て、ウサギ捕ったよ!」


 幼少の俺は、森で仕留めた獲物を、意気揚々と彼女に向かって掲げる。だが、彼女はため息をつきながら、俺に呆れていた。


「……ウサギじゃないわ。それは狸。ウサギと狸すら見分けがつかないのかしら?」

「えー? 狸たべれる?」

「んー、食べれるけれど臭いわ。……狩ってしまった物は仕方ないわね。命を無駄にしてはいけないもの。レイ、向こうの林でハーブを採ってきなさい。あ、わかってると思うけど」

「『黒い薔薇には触っちゃダメ!』でしょ? 何度も言わなくてもわかってるよ」

「本当に危ない薔薇なのよ? あなたには私の守りのルーンが効いてるから、幻惑の花粉に惑わされたりしないけど、魔力の少ない人間が触ったらあっという間に侵食されて死んでしまうんだから」


 幻惑、侵食。そんな難しい単語を使われても、小さい俺にはさっぱり判らなかったが、触ったら死んでしまう恐ろしい植物、という事だけは理解できた。


「ねぇスキラ。そんなに危ない薔薇なら燃やしちゃえばいいんじゃない?」

「絶対にしちゃダメ。いい? あれは養分にした動物の脂をたっぷりと蓄えてるから、火をつけてしまったらすぐに燃え上がって、この森全てを焼いてしまうわ。そんなことになったら私たちの暮らす場所がなくなってしまうじゃない。はいはい、おしゃべりはここまで。早くハーブを採ってきてちょうだい。晩御飯たべたくないの?」

「はーい、いってきまーす」

「あ、ローズマリーとタイムよ? わかった? レイ」

「うんー」


 いつもそうだった。スキラは俺に採って来いだなんて言うけれど……。


「……行ったかな? はぁ、やれやれ。一昨日は毒草。昨日は雑草。今日は何を持ってくるのかしらね。さ、早く摘んでこなきゃスープが作れないわ」


 俺にハーブの知識と、生き抜く術を学ばせるためにお使いに出すのだが、万が一間違ったものを持って来ても平気なように、自分で採って来ていたのだ。



 村人に森に捨てられて、危うく俺はトロールの餌になるところだったが、偶然にも俺は、スキラに拾ってもらったらしい。俺にとってスキラは、人間とさほど変わらないように思えた。ただ、獣のような耳、そして大きな尻尾が生えていた。銀色の髪の毛を足元まで伸ばし、獣の毛皮で作ったローブをいつも羽織っていた。


 スキラは、本当の母親と同じように、俺に接し、愛し、育ててくれていた。いつも優しく微笑み、色んなことを教えてくれた。俺は、スキラが大好きだった。



「ローズマリーってこの木だっけ。あれ、これげっけーじゅだっけ。んー???」



 スキラは毎日のように、森から色々な薬草や虫を捕まえては何かの研究をしていた。どうやら何かの魔法薬を作っているようだった。興味を持った俺はある日スキラに尋ねた。スキラは一体何を作っているのかと。彼女は優しく微笑みながら「あなたがこの森で暮らしていけるようにするお薬よ」と答えてくれた。


「スキラー、ハーブとってきたー」


 俺は手のひらいっぱいに、ハーブを持って、家へと帰ってきた。そしてスキラは、スープの下ごしらえを中断し、俺の手のひらの中を覗き込む。


「どれどれ?……んー、惜しいわね。これはミント。正解はこれ。これがタイムよ」

「えーむずかしいぃ。やっぱりスキラがとってきたほうが早いじゃん」


 やっぱり自分で採ってきていたスキラに、俺は頬を膨らませて抗議するが、スキラは優しく微笑みながら頭を撫でて来る。


「この森で暮らす術を学びなさいっていつも言ってるでしょう? それに香りが全然違うのよ? まぁいいわ。人間の嗅覚はそんなものかもしれないわね。さ、お風呂沸いてるから入りなさい」

「う。この匂いは……。えー? またお薬のお風呂ー?」

「ええ。新しいのが出来たの。1週間に3回はそのお風呂よ」

「なんでー? 臭いからやだー。アレ、ぜったい綺麗になんてならないよ?」


 前回のは特に酷かったのを思い出す。緑色の草の臭いが立ち込める、粘着質な湯船に俺は入れられたのだ。その後石鹸でゴシゴシと体を洗い、綺麗なお湯で身を清めたというのに、体には謎の薬草の臭いがしっかりとこびり付いたのだ。


「レーイー? 何度も説明したでしょ? この森にはあらゆる動物が殺し合いながら生きてるの。植物から虫、動物、モンスター。多くの生き物が、この森では強力な毒を持ってる。あなたがこの先、この森で暮らすには、その毒に負けない体を作らなきゃいけないの。……でも、もうすぐよ。もうすぐあなたは、すごく強い体になる。この世界で誰も、あなたを、毒で苦しめることができなくなるわ。そうしたら、もう二度と臭いお風呂も、苦いお薬も飲まなくて済むから、もう少しの辛抱よ。ね? だから頑張って。それに、今日は前回のより大分マシよ? ……前回のは、私もやって後悔したわ。掃除が本当に大変だったし……。そうだ♪ レイ、今日は私と一緒に入りましょうか」

「もう一人で入れるよ! 大丈夫だもん!」


 俺を抱き上げ、ギュッと抱きしめるスキラに、俺はテレながら強がる。だが、そんな俺にスキラは呆れながら微笑んだ。


「あらあら。そうね、もう5歳になるんだものね。じゃあそろそろおねしょも卒業かしら?」

「そのうちね!」

「ふふふ、じゃあ、約束しようか。レイがおねしょ卒業できたら、市場で新しい絵本を買って来てあげるわ」

「ほんと!? 約束する!」

「ええ、約束よレイ。じゃあ手のひらを出して」

「うん!」


 狼人族は約束をする時、互いの手のひらを重ねあうのが約束の証なのだと、スキラは教えてくれた。


 スキラは本当に色々な事を、俺に教えてくれた。狩りの仕方、モンスターから身を隠す術、捕った獲物の解体方法や、調理方法なんかも、母が子に教えるように、優しく、時には厳しく、しっかりと大切な事を俺に教え続けた。


 だが、俺にスキラは自分を『母』と呼ぶことを禁じていた。それは自分が未婚のままだったからかもしれないし、俺が人間で、彼女が狼人族だったからかも知れない。しかし、それでも俺は、母親がどんなものかを理解したとき、それは俺にとってスキラの事なのだと理解していた。


 森の外には俺のような人間がいるとは聞いたが、不思議とそのときは別に会ってみたいと思わなかった。スキラが使役する狼や、森の妖精やゴブリンなんかとも仲良くなれたし、友達には困らなかった。



 スキラは月に何度か、異種族が集まる市場へと、自分の作った薬を売りに行き、そして生活必需品を購入して帰ってきた。当時、異種族と人間の関係は非常に悪く、市場に俺を連れて行くのは危険と判断したスキラは、俺を留守番させ、子守を、使役していた狼や木の妖精、ドリアードと、ゴブリンの友人、ゴブに任せていた。


「ケケケ、人間てのは本当にひでぇ生き物だよなぁ? 自分たちの子供をわざわざ森に置いていくなんざ、トロールに食べてくださいってお願いしてるようなもんだぜ?」

「ホントホント。スキラさんが、たまたま薬草を取りに行かなかったら、君はトロールのおやつになってたわよ?」


 その日、俺はスキラの使役している狼達をブラッシングしてやりながら、ゴブとドリアードとで、スキラの帰りを待っていた。


「トロールはそんなに悪い奴なの? 友達になれないの?」

「ああ。あいつらは体の割には頭が悪いから話が通じない。口に入るものなら何でも食うぜ?狼より頭が悪いんだ」


 ゴブの悪態を、狼は理解したらしい。彼をギロリと睨み、低い唸り声を上げた。


「ぐるるるるるる」

「ちょ、べつにお前たち狼が頭悪いって言ってるんじゃないぜ? 落ち着けよ」

「あははは、ゴブはすぐ悪口言うから、ドリアードがいつも言ってる『イイ男』じゃないね!」


 俺の言葉を聞き、美しい容姿をしたドリアードが、艶やかな含み笑いを浮かべながら、ゴブを見つめる。


「身長がレイ君の同じって言うのもマイナスよね。まぁゴブリン族なんだから仕方ないけれどね。ふふふ、レイ君はどんなオトコに育つのかなぁ? 今のうちに唾つけとこうかしら?」

「唾ぁ? いくらドリアードでも、唾なんてつけられたくないよー」


 ドリアードの言っている意味がわからない幼少の俺は、首を傾げてしまう。


「えー? ざんねーん。お姉さん、レイ君の事いっぱいペロペロしてあげようと思ったのにぃ。レイ君、ホントにイヤぁ?」

「ドリアード、それリアルに危険行為だからやめような? スキラに殺されるぞ」


 二人の会話の意味が判らない俺は、狼のブラッシングを終えると、狼は俺の頬を、その大きな舌で舐めまわし、俺に感謝の意を伝えてくれる。


「わぷっ! あはは、くすぐったいよぅ! ぺろぺろしなくていいってばー!」


 狼とじゃれあう俺を、二人は優しい眼差しで見守っていてくれていた。そうしているうちに夕暮れとなり、森に夕刻の風が吹く。狼たちは風に乗ってきた匂いを感じ、それぞれ大きく遠吠えを始めた。

 それが合図なのだと、俺は知っていた。スキラが帰ってきたのだ。森から、沢山荷物を背負ったり、両手にぶら下げて帰ってくるスキラに、俺は思いっきり飛びついた。


「スキラ、おかえり!」

「ふふふ、ただいま、レイ。いい子にしてた?」

「うん! みんなのブラッシング、ちゃんとやったよ!」

「ありがとうレイ。えらいわ♪ でも、次はあなたをしてあげないといけないわね。レイ、あなた毛だらけじゃないの。これは、ご飯の前にお風呂かしらね」


 スキラは俺に微笑みながら、ぱんぱんと、俺の体を軽く叩き、体中にまとわり着いた狼の毛を払い落としてくれた。


「スキラ、今日のごはんなーに?」

「今日は市場でお魚を買ってきたから、お魚料理にしようか。レイ、手伝ってくれる?」

「うん! お手伝いするー!」


 当時の俺には当たり前の日々だった。けれど今思えば、俺にとってその時間は、最も平和で、楽しい時間だった。ずっとそんな毎日が続くと思っていたんだ。あの悪夢のような夜が訪れるまでは。






 ある夜、森に鎧を着込んだ人間たちが、突然大勢押し寄せてきた。

 木々を切り倒し、森を焼き、森を守ろうとした森の住民達を殺しながら、俺達の住む広場までやってきた。

 奴らは聞いた事もない言葉を、険しい表情でスキラにぶつけた。スキラは魔法で彼らの言葉を理解し、会話をしていたようだけれど、話し合いなんかじゃ解決しなかった。そもそも、話し合いに来た雰囲気ですらない。アレはそう、侵略そのものだった。

 俺は怯えながら、家の中で身を隠していたが、ある兵士が一人、あの黒い薔薇に触れたのを見てしまった。


「スキラ! あの人薔薇に触ってるよ!」

「え!? しまった、なんてことを!」


 その光景を今でも忘れない。


 薔薇に触れてしまった男は急に苦しみ出し、体の色が見る見るうちに黒く染まり、体の皮膚を突き破って黒薔薇の蔦が生えてきた。薔薇の蔦は信じられないスピードで成長し、その男を縛り上げるように、体に纏わり付いて行った。そして男は狂ったように暴れ出し、周囲に居た人間を襲い、そしてその襲われた人間もまた、同じように変わり果てていく。そうして連鎖するように、薔薇に支配された男たちは、ミイラのように枯れ、薔薇は真紅の花を咲かせた。そしてその連鎖は止まることなく、次々と被害者を増やしていった。


 瞬く間に周囲は地獄と化した。その混乱に乗じ、スキラは俺を連れ、狼達と共に逃げ出すのだった。


「なんで!? なんであいつらは僕たちの森を焼いたり、皆に酷いことをするの!?」

「いつも言っていたでしょ? 黒い薔薇に絶対触っちゃダメって。アレは血吸いの薔薇といってね、生き物の血を吸うことで急成長するの。血を吸った薔薇は、本来の黒い薔薇ではなく、真っ赤な花を咲かせる。犠牲者の血で染まった、真っ赤な薔薇をね。冗談みたいなその生態を信じられなくて、私の呪いだって決め付けたそうよ、馬鹿な人間たち。今すぐに呪いを解けだなんて訳のわからない要求をしてきたわ」

「そんな! 違うって言えばいいじゃん!」

「言ったわ。けど最悪のタイミングであの馬鹿な兵士が香りに誘われて薔薇に触れた。触れた人間がどうなるか見たでしょ? あの光景を呪いじゃないって言う方が難しいわ」

「そんな……」


 俺たちはただただ、逃げ回るしかなかった。森の奥へ奥へと。だが人間達は俺たちを執拗に追い回した。その追っ手を食い止めようと狼達が戦ってくれたが、相手は訓練され、数も多く、狼達は次々と殺されていった。スキラは俺を守りながら応戦し、目には悔し涙を浮かべながら、俺を連れて逃げていた。そうして逃げ回っている内に、茂みの中から二つの影が飛び出してきて、スキラは身構えた。だが、その影は、敵ではなかった。


「レイ、スキラ! あっちはだめだ! あっちにも人間が来てる!」

「ゴブ! ドリアードも! 無事だったんだね!」

「どうだかな。仲間が大勢殺された。ちきしょう、人間どもめ!」


 ゴブは、手にした斧をぐっと握りながら、奥歯がギリリと音を立てるほど歯を食いしばっていた。


 その時だった。広場の方角で、大きな火柱が上がったのが見えた。真っ赤に燃え上がった炎は、闇夜を真っ赤に照らし出し、炎は瞬く間に、森全体へと広がっていくのがわかった。俺は恐怖で、スキラにしがみつく。


「スキラ、何? 何が起こったの?」


 俺の問いに答えたのは、森の木々の妖精であるドリアードだった。


「大変……! 人間達が血吸いの黒薔薇に火を!」

「くっ。やっぱりやったか」

「ちくしょう馬鹿猿どもめ!!! このままじゃ森がなくなっちまう!!!」


 そして、俺は大切な友人の異変に気がついた。


「ドリアード? どうしたの!? ドリアードの体が透明になってるよ!? ねぇスキラ!」

「これは。……そっか、私の本体の木が燃えてしまうのね。よかった、痛みがあったら嫌だなって怖かったの」

「どういうこと? ねぇドリアード! スキラ、ドリアードを助けて!」


 俺の悲痛な願いを、スキラは悲しそうに、悔しそうに、目を伏せたまま首を左右に振った。


「いいのよ、レイ君。私は木の精霊。本体の木が燃えてしまったり枯れてしまったら、私も消えてしまうの」

「そんな……! 嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! 消えちゃ嫌だよ! なんで!? なんで!? ドリアードが何をしたって言うんだよ! なんで、あいつら! なんでこんな酷いことを!」

「……レイ、スキラ。お前ら今すぐ逃げろ。泣いてる暇は無いみたいだ」

「……本当にしつこいわね。このままじゃあいつ等だって炎に巻かれて焼け死ぬかもしれないというのに」


 ドリアードとゴブが睨むその先から、荒々しい喧騒が聞こえてくる。


「ドリアード、もう少しだけ戦えるか?」

「ええ。あなたはいいの? ゴブ」

「ガキと女の前で逃げられるか。仲間の仇も、取らなきゃいけねーしな!」

「ゴブ! ヤダよ! 一緒に逃げようよ!」


 俺は泣きながらゴブの肩に縋り付くが、ゴブは俺を払いのけた。


「男が簡単に泣くんじゃねぇ! いいかレイ。俺はゴブリン族の戦士として最後まで戦う。二度と会うこともないだろう。お前が来てからの5年間、最高に笑えたぜ。……ありがとな、レイ。おまえはあんな下種な人間どもとは違う。強い男になれ。負けるなよ、レイ。これは俺からの選別だ」


 ゴブは強く俺を抱きしめ、ゴブリン族の成人の証とされた首飾りを、俺に手渡した。


「絶対に生き延びろレイ。それがお前の戦いだ! いいな、約束だぞ! ほら、手を出せ。狼人族流の約束の仕方なんだろ?」

「ひっぐっ。約束する、約束するからゴブ、お願いだから死なないでよ。傍にいてよゴブ。お願いだから」

「……レイ。俺の戦いはな、仲間の仇を討つこと。そして何が何でも、お前達を生きて逃がす事だ。そのためだったら、笑って死んでやれる。だから、もう泣くな」

「来るわよゴブ! さぁ行って、二人とも!」


 炎の中から、武装した兵士達が姿を現し、ゴブとドリアードと対峙した。スキラは俺を抱き抱え、踵を返した。


「……ありがとう」


 スキラはすぐさま走り出し、俺は手の届かない友達二人に手を伸ばし、喉が潰れるくらい叫んだ。


「嫌だよ! ゴブー! ドリアードー!!!」

「……あばよ、ダチ公」

「強くてかっこいいオトコになるのよ、レイ君」


 揺らぐ炎の中、兵士達に剣を刺されながらも、必死に喰らいつき、足止めし、共に炎に巻かれていく二人が見えた。……初めてできた友達を、二人同時に目の前で失った瞬間だった。

 何でこうなってしまったのか。何であいつらはこんな酷いことをするのか。ただただ、人間が憎かった。そして同じ人間に生まれてしまった自分が、とてつもなく許せなくなった。そしてひたすら走った。ドロだらけになり、傷だらけになり、炎に巻かれ、あちこち火傷もした。煤や煙で前が見えないし、吸い込む空気が熱くて息もできない。なんとか森を抜け出たときは、二人とも息も絶え絶えだった。

 森を抜けても、追跡が止む事はなかった。そしてついに、スキラと俺は、俺を捨てた村の住民達によって捕らえられてしまったんだ。



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