27.科学者は完成された世界の夢を見る(2)
突然聞き慣れない言葉が耳に入ってきたので、私は伏せていた顔をぱっと上げてフィオさんの顔色を窺った。
感情の起伏を感じさせない凪いだような目。すっと通った鼻梁。緩やかに弧を描く唇。いつもの見慣れたフィオさんだ。しかし、私はそれを表面的なものでしかないと瞬時に察した。何故ならば、彼の穏やかな笑顔の下に隠された烈々たる気概を垣間見たからである。
「うっは、アンタいったい何をしでかしたのよ。あの<お仕置き部屋>に入れられるのってよっぽどだろ」
「ご期待に添えなくて申し訳ないんだけど、やましいことは一切してません。遺憾の意ですよ」
フィオさんは不満げにため息をつき、肩を竦めてみせた。それに対し、ソランは憎らしいくらい生き生きしている。他人の不幸は蜜の味とはこのことか。
「そもそもGM部屋って何ですか? 初めて聞きましたけど」
「普通にプレイしている人にとっては、まず縁のないところだからね。カノンくんが知らなくて当然さ」
コツンコツン、カシャンカシャン。冷たい廊下に複数の足音が響く。敵の気配はない。先頭にいるソランの陰に身を隠しながら、細心の注意を払ってひたすら前へ前へと進む。
「GM部屋とは、ゲームマスターが違反行為をしているプレイヤーを呼び出して注意するための部屋のことで、別名<お仕置き部屋>ともいう。軽い違反ならお説教で済むけど、重いのだとアカウント停止――この世界から永久追放されるんだ」
「現時点でここにいるってことはお説教で済んだってことじゃん。よかったネ、追放されなくて」
「ありがとう。他人事みたいに言ってるけど、君こそ通報されないよう気をつけなよ。最近行く先々変質者に遭遇するってリリィから相談受けたんだけど、まさか君じゃあないよね」
フィオさんの静かな反撃に、今度はソランが苦い顔をした。
「エンカウントする度に、無言で舌打ちされるんだが……ははっ、まさかな」
「涙拭けよ」
「泣いてねーよ、クソが」
図らずしも変質者と一緒くたにされてしまい、ソランは相当ショックを受けたようだった。ちょっとばかし不憫に思えたが、こればっかりはしょうがない。自業自得ってやつだ。
「で、理由は何だったんだ? 呼び出しされた以上、何かしら因縁をつけられたんだろ」
ジーンが踏み込んだ質問をした。フィオさんは「因縁もいいところだよ」とぶつくさ文句を言ったあと、神妙な面持ちで語り始めた。
「都市伝説の話、覚えてるかな。個人的に思うところがあってさ。ネットの噂話をまとめたり、そのテのコミュニティに入ったりして情報を集めてたんだけど……ある日ログインすると、あらびっくり! GM部屋に強制転送されているじゃあありませんか」
「へぇ、それで?」
ジーンは短く相槌を打って続きを促す。
「根拠のない噂話を口にするのは控えてほしいってGMから直々にお叱りを受けまして。次に他のプレイヤーの不安を煽るような真似をしたら今度はアカウント停止だってさ。こんな子供騙しみたいな話、鵜呑みにする人がいるとは到底思えないし、おかしいよ。ますます怪しいじゃないか。<最果て>は本当にあったんだ!」
「フィオさんもなかなか懲りないっすね。心配して損したわ」
通常運転に戻ったフィオさんを見て、私は安堵した。こういう時ジーンがいると非常に心強い。場の空気を良くも悪くも壊してくれるからだ。
「しっかしよォ。噂話をするやつなんてごまんといるのに、わざわざフィオさんをご指名するたぁどういう了見だ。親父ギャグが寒すぎて苦情でも入ったか?」
「ジーンは僕のこといったいなんだと思っているの? 自分で自分がわからなくなってきたよ。僕っていったい何者なのかな」
「考えるのはもうよしましょう。だんだん哲学めいてきましたし」
話に区切りをつけると、ソランがタイミングを見計らったかのように「はい、注目ー」と言って私たちに一瞥を投げた。
「この扉の先には敵がいる。俺が先手を取ったら一気に畳み掛けろ」
「あいあいさー」
ソランが乱暴に扉を開けると、目の前には獅子の頭と山羊の胴体、毒蛇の尾を持つ異形が佇んでいた。キメラだ。
ソランは電光石火のような速さでキメラの懐へ潜り込み、重い一撃を叩き込んだ。耳をつんざくような、怒号ともとれる悲鳴があたりに響き渡る。それが戦闘開始の合図だった。
「野郎ども俺に続け! 遅れを取るなよ」
「あったりめぇだっ! てめえこそくたばんじゃねぇぞっ」
好戦的にハッパをかけるソランに対し、ジーンが吠えた。
鮮やかに剣と槍が舞い、矢が風を切る。
私も応戦するが、ソランのHPが気になってしょうがない。
「まな板ァッ! 俺のHPばっか見てないでちったぁ攻撃に集中しろっ。回復のタイミングはHPが半分になった時で構わん。攻撃は最大の防御だということを知らんのかっ」
「そうは言っても、こちとら不慣れなんだよっ。あんたにもしもの事があったらどうすんだ。絶対根に持つだろ!」
ソランの罵声に、私も負けじと大きな声で叫んだ。
変にプライドが高く、自意識過剰で、他人にすこぶる厳しい。そんな男が他人の失敗を許せるわけがない。くそみそに言われるのがオチだ。
しかし、返ってきた言葉はあまりに予想外なものだった。
「この俺が口汚くオマエを責めるとでも? いいか、俺はカッコ悪いことが大嫌いなんだ。無駄な努力。うわべだけの友情。底辺同士の傷の舐め合い。中でも群を抜いて嫌いなのが、弱者であることに甘んじる腑抜けどもだ。反吐がでるぜ」
「な、何だよ藪から棒に」
私は目を剥いてソランを見据えた。いつもに増して饒舌なので圧倒されてしまう。
「そいつらを見下し、嘲笑うことが俺の生き甲斐であり生き様だ。そのためには最善を尽すし、労力を惜しまない。見くびってもらっては困るね」
ソランのHPはじわりじわりと減りつつあるが、被ダメージは三分の一程度。回復するにはまだ早い。多少の不安はあったが、私はソランを信じることにした。余裕の表情を崩さない彼に、これ以上の心配は無用だと悟ったのだ。
敵のHPは残り僅か。ソランがスキルを発動する。
「平伏せアタッカーども! これが力の差だ。せいぜい足掻けよ!」
その太刀筋、疾風迅雷の如く。
断末魔の叫びが空気を揺すり、キメラは跡形もなく消えていった。くすんだ銀色の鍵が地面に落ちる。
私はその一部始終を、瞬きもせずじっと見ていた。
「やれやれ。要は全面的にフォローしてくれるってことでしょう? 素直じゃないな、君は」
フィオさんは肩を竦めた。まさにその通りで、ソランはふてぶてしく顔を顰めたあと、背を向けて「ふん。暴露話は終いだ。鍵拾ったし次行くぞ、次」と吐き捨てた。照れ隠しのつもりだろうが、本当に素直じゃない。
「ある意味暴露話ではあるけどよォ。めんどくせーやつだな」
そういうジーンもかなりめんどくさい。しかし、本人に面と向かって言えるほど私は向こう見ずではなかった。口は災いの元なのだ。
「ちょっと待って。この部屋調べなくてもいいの?」
「うん。鍵拾ったし、この部屋にはもう用はないかな。あっ、でも初見の人はアレを読んでおくといいかも」
「アレ?」
「ああ。アレね。ほら、向こうに本棚があるだろ。そこ調べてみ。一冊だけ違うものが混ざってるから」
「ふうん。じゃあジーン、探してみよっか」
「しゃーねえなぁ。手伝ってやんよ」
フィオさんとソランに促され、私はジーンとともに本棚を調べた。
「これじゃね? タイトル書かれてねぇし、怪しいにおいがプンプンするぜ」
どれどれ、と私も一緒になって中身を覗き込む。
そこに書かれていたのはとある青年の輝きし日々と、喪失。愛と狂気のなれの果てだった。




