01.カノン
驚いたことに、香坂さゆりの行動は早かった。
私が帰宅した数分後に彼女は我が家のインターホンを鳴らしたのである。おそらく車で来たのだろう。僅かにだが家の外から車の排気音が聞えた。
慌ててドアを開けると制服姿の香坂さゆりの姿があった。
「えへへ、張り切って早く来ちゃった。はい、これ」
ずいっと渡されたのは白い紙袋。
紙袋の中を見てみると段ボール状の箱と分厚い辞書のような本が入っていた。
「何、この本」
本の角で思いっきり頭を殴ったら病院送りに出来そうである。やらないけどね。
「んー。入門書、というかスタートブック? かな。小泉さん初心者だし必要かなって」
ふむ。あまりの分厚さに圧されたが、本を読むこと自体は苦ではない。素直に好意を受け取っておこう。
「ありがとう」
「どういたしましてー。こちらこそ唐突に誘ったからね、これくらいとーぜんよ」
香坂さゆりはふふんと得意げに笑った。
「でも、よく私の家がわかったね。びっくりした」
ああそれはね、と彼女は言う。
「私と小泉さん、実は幼馴染なのよ。幼稚園の時から小学校低学年くらいまで一緒だったの。覚えてない?」
「えっ!?」
まじまじと香坂さゆりを見る。やわらかそうなセミロングの髪。アーモンドのような形をした黒目がちな眸。ぷっくりとしたさくらんぼ色の唇。小柄で、守りたくなるような華奢な体躯。誰が見ても可愛いと思える容姿の美少女である。こんな美少女、知らないんですけど。
「……いたか?」
どうしよう、全然覚えていない。
「あはは。私昔ぽっちゃりしていたから少し雰囲気違うかも。まあ小さい頃だし、覚えてないのも無理はないかなあ」
形の良い眉をハの字にして彼女は頬を掻く。そしてふと腕時計を見ると大きな目をぎょっとさせた。
「いっけなーい! これから約束あるんだった! 小泉さん、連絡先教えてくれない? わからないことじゃんじゃん答えるから、ね」
「あ、ちょっとまって。今メモ帳出すから、書いとく」
「ありがとー!」
私は大急ぎで鞄からメモ帳とボールペンを引っ張り出す。何も書かれていないページにメールアドレスと番号を走り書きで記し、間違えがないかさっと目を通す。うん、大丈夫。
「はい。どうぞ」
そしてばりっとメモ帳を一枚切り離し、香坂さゆりに渡した。
彼女は口元を綻ばせ、
「アンジェリカで会いましょう!」
と言って我が家を後にした。
嵐のような少女だ。
夕飯を食べ終え風呂も入り、ソフトのインストール、機材の設置を終え、なんとかゲームが出来る環境へと事を運んだ。
香坂さゆりに無事にゲームスタートができそうだという旨をメールにて伝える。
すると、数分もしないうちに返事が返ってきた。
『おめでとう! 開始国家がわかったらおしえてね』
そっとスマートフォンを机の脇に置く。ヘッドギアを被り、スイッチをオンにする。瞬く間に視界が満天の星空に彩られ、宙に浮かんでいるような浮遊感を覚えた。実を言うと私の心もふわふわと落ち着きが無い。これからどんなことが待ち受けているのだろう? ドキドキしてきた。
『ようこそ、アンジェリカオンラインへ』
女性の声が流れる。
『ゲームを開始いたします。あなたのアバターを作成してください』
これから長い付き合いになる、いわば私の分身。
種族かぁ。ファンタジー御用達のエルフは個人的に大層魅力的なのだが自分の分身だということを考えると、ちょっとしっくりこない。
やはり人間が無難だろう。能力値はどれも平均的で特徴はないが扱いやすそうだった。
続いては容姿。身長は実際の身長より少し高めに設定させていただいた。髪の色はどんな服にも合わせやすそうな黒。瞳の色は誕生石のアメジスト。顔立ちや、体格を詳細に選択。これが意外と楽しい作業であった。しかし、ある程度妥協しないとアバター作成から抜け出せないと察した私は、ある程度目途を付け初期クラスの選択へと移る。
剣士、魔術師、弓術士、聖職者、戦士、精霊使い、盗賊……さてはて、いったいどれを選ぶべきか。なにぶんこれがはじめてなのだ。特別思い入れがあったりこだわりがあるわけではないので適当に剣士を選ぶ。
『最後に、あなたの名前を入力してください』
ふう、と一息を吐く。もちろんこういう場合、本名はだめなんだよな?
よし、これでいいや。
『カノン=アンデルセン』
『登録が完了しました。これより始まりの国へ転送いたします。あなたに天使の導きがあらんことを……』




