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6-1:「呻きの再会」

 その部屋からは、鼻歌が聞こえてきた。

 それは本当に機嫌の良さそうな、年端もいかぬ少女が花畑でするような、そんな鼻歌だった。

 ただし音程は低く、少女では無く大人の男性のものだと言うことがわかった。



「ふん、ふんふん、ふふん♪」



 機嫌の良さそうと言う点は間違いないのか、男は非常に上機嫌だった。

 男は光沢のある素材で出来た黒衣を着ていた、肌の露出は少ない構造だ。

 頭や口を布のような物で覆い、その間からは眼鏡が見えて、さらには手にもぴっちりとした薄いグローブを身に着けている。



 彼の傍らにはいくつものカートや台が置かれており、その上には小さな刃物や器具、注射器や薬品等が置かれていた。

 さらには手には今まさに手術刀メスが握られており、薄暗く広い部屋には何かを切り開いているような鈍く、それでいて水分を含んだ何かの音が響いていた。



「ふん? ふふん、やはり双子は良いなぁ……ヒヒッ」



 彼が手を動かす度に、何かが弾けるような音が響く。

 それは液体が弾けるような音も含み、彼が纏っている衣服は液体を吸ってじっとりと重くなっていた。

 規則的な音も聞こえる、それはどうやら彼の傍らに置かれている四角い箱のような物から聞こえているようなのだが――――……。



「ヒヒッ、今度は三つ子を生ませてみるかな……ヒヒヒッ」

「――ドクター――」

「ふふん、ふん……ふん? 何だね、何か用かね? 術式中には入ってくるなと、言い聞かせておいただろう」

「――申し訳ありません、ドクター――」



 今度は女の声だった、しかしこちらはドクターと呼ばれた男と違い、感情が抜け落ちてしまったかのように抑揚の無い声だった。

 不満そうなドクターに対しても、やはり抑揚無く応じた。

 まるで、人形か何かのように。



「それで、何か用かね」

「――はい、公都より新しい素材が届きました――」

「ふん、何だ。そんなことか、そんなことは私の耳に入れるまでも無いだろう」

「――公都のヴァリアス・シプトン様より発送の素材で、付属のお荷物が届いております――」

「ふん、付属? ヴァリアスめ、また何か……」



 鬱陶しそうに振り向いたその時、ドクターは手を止めた。

 切り開いた穴の中から、何かを丁寧に引き摺り出そうとしている所だった。

 ために「それ」はビクビクと痙攣しており、びしゃびしゃと激しい水音を立てていた。

 しかし、彼はそんなことを気にしなかった。



「……ヒヒッ、ヒヒヒッ」

「――ドクター?――」

「ヒヒッ、そうか、そうか……ヴァリアスの奴め、そう言うことか。ヒヒッ、ヒヒヒッ」



 むしろそれをその場に投げ捨て――実に嫌な鈍い音が室内に響いた――女の手からそれを奪い取った。

 それは内側に紫の絹を敷き詰めた黒塗りの箱で、蓋が取り去れたそこには赤い石が入れられていた。

 細い金鎖を通されたそれは首飾りのようで、それを見つめるドクターの目は血走り、濁ってさえいた。

 彼は手に首飾り入りの箱を持ったまま両腕を広げ、絶叫するように叫んだ。



「ヒヒッ、ヒヒヒッ。ヒハッ、ヒィハハハハハハハハハハハハハハッ!!」



 叫びの後に続くのは哄笑、まるで欲しかった玩具を与えられた子供のような笑い声だった。

 あるいは、100年の恋が叶った悪魔のような。

 そんな、濁った笑い声。



「――…………――」



 そんな濁った笑い声を上げる男の姿を、女はじっと見つめていた。

 何をするでもなく、ただ、じっと――――。



  ◆  ◆  ◆



 ガタンッ、と地面が強く揺れる感触で、リデルは目を覚ました。

 次いで強い日光に視界を焼かれ、小さく呻きながら目を閉じた。

 光に目が慣れるまでに、何度かまばたきを繰り返さなければならなかった。



「え、何……?」



 視界が戻る前から聞こえていたが、戻ってからはより明確に認識することが出来た。

 乾いた風の音と、地面――いや、床がゴトゴトと揺れる音。

 そして目の前に広がったのは、赤茶けた岩と、地獄の底まで続いているのでは無いかと思える程の深さを持つ「穴」だ。



 その時、風で舞い上げられた土埃にむせてしまった。

 目尻に涙を浮かべつつ周囲を見れば、愕然とした。

 形としては、漏斗上と言えば良いのだろうか。

 逆円錐の形に削られた穴、その外径の部分に平たい道が削り出されており、リデルはその半ばにいることを知った。



「な、何よここ」



 島を出てからこんなことばかりだ、そんな皮肉を考えている暇も無い。

 手を伸ばせば、鉄格子に届いた。

 すぐ上を見上げれば赤く輝く鈍い石があり、先程から聞こえるゴトゴトと言う音は自分のすぐ下から感じることが出来た。



 鳥籠とは、こう言う場所のことを言うのだろうか。



 黒い光沢を持ったそれは鉄だろうか、少し違う気もするが、冷たく固い。

 四方は格子、天井と床は隙間一つ無く繋げられている。

 ゴトゴトと言う音と揺れは移動しているからだ、そう、この「鳥籠」はまさにあの漏斗上に続く道を底へ底へと下っている最中なのだ。



「地面に穴を開けて、作った……?」



 右を見れば底へ続く断崖があり、左には岩壁がある。

 しかし岩壁には等間隔で細長い入り口のような穴が設けられており、その穴には「鳥籠」と同じと思われる素材の大扉が備えられていた。

 道の幅はおよそ5メートル、「鳥籠」は縦横2メートル弱で高さは3メートル強と言った所か。

 なお、岩壁に見える大扉は「鳥籠」3台が一度に入れそうな幅と高さで造られていた。



「他にも、いる……わね」



 前後を見ると、おおよそ500メートル程か、声が届かない距離に同じような「鳥籠」があった。

 どうやら等間隔で進んでいるらしい、そしておかげで気付いたことだが、「鳥籠」の下には4つの小さな車輪がついていた。

 鉄馬車と同じだ、天井の<アリウスの石>を動力源として移動しているのだ。

 前後の「鳥籠」の中には当然人が乗っている、微かに見える髪色は茶色だろうか。



「うっ、けほっ、こほっ」



 それにしても、風で巻き上げられる土や砂が酷い。

 口の中がじゃりじゃりと音を立てている気がするし、乾燥した空気と日差しのせいか肌が痛い。

 そこで、自分の身に手を当ててまさぐった。



「……無い」



 麻だろうか、絹よりは好ましいが着慣れぬ衣服であるには違いない。

 頭からすっぽり被るタイプの衣服で色合いは灰色、いわゆる貫頭衣と呼ばれる衣装だ。

 左胸には金色の逆三角形の模様が描かれており、帯は黒字で金のラインが3つ入っていた。

 しかし問題は衣装では無く、その内側にあった。



「いない……」



 蛇の姿が無い。

 そして蛇に預けていた父の宝石も、無い。

 元々持っていた衣服までも失われていることも考え合わせれば、まさに全てを失った。

 頭の中に備わった知以外は、何も。

 そして――――……。



  ◆  ◆  ◆



 移動は、不意に終わった。

 大きく鈍い音を立てて「鳥籠」が止まったのは、大扉の前だ。

 大扉のデザインは同じなので、他と比べて何がどうと言う特徴が無い。

 何かが引っ掛いているかのような音を立てて扉が開くと、一瞬、中が見えなかった。



「ひゃあっ」



 半ば予想していたことではあったが、やはり急に動かれると驚く。

 膝立ちになって床に打ち付けたお尻を撫でている間に、「鳥籠」は大扉の枠を潜っていた。

 直後、リデルは背中で大扉の閉まる音を聞いた。

 空気を揺らし鼓膜を打つ大きな音に身を竦ませるが、最大の懸念はそこでは無かった。



 闇。

 中には照明が無かった、視界の全てが闇に覆われて何も見えなかった。

 おそらく洞穴のようになっていると思うのだが、見えないために確信は持てない。

 自分の手元すら見えない闇の中、肌に触れる空気だけがひんやりと冷たく、それでいてじっとりと強い湿気を含んでいた。



「何か、聞こえる……」



 外にいた時よりも早く、それでいて揺れが減った「鳥籠」の中で、リデルは耳をそばたてた。

 気のせいか、何か聞こえる。

 いや気のせいでは無く、風の音のような――いや、違う、これは声だ。

 目を凝らせば光も見える、あれは出口だろうか。



「……え? ひぁっ、ちょっ!?」



 その時、「鳥籠」が大きく揺れた。

 それは地面の段差で揺れたと言うのとは訳が違った、一瞬ではあるが、浮遊感を感じたのだ。

 天井側から金属製の何かが繋ぎ合わされるような音がした直後のこの浮遊感、結論は一つだ。

 この「鳥籠」は吊り上げられるような形で移動しているのだ、明らかに加速して。



 あああああぁぁぁ……。



 加速したためか、声が徐々に大きくなってきた。

 床に手をつかなければバランスを保てない程に「鳥籠」が斜めに傾く中、それは不意にやってきた。

 光と共に視界が開け、声と共に聴覚が震えた。

 光と、声。



「こ、ここは……?」



 そこは、巨大な空間だった。

 そして予想に反して剥き出しの岩壁は存在せず、明らかに人工的な黒い壁が四方を囲んでいた。

 四方と言っても、全貌を見渡せる程に狭くは無い。

 下手を打てば都市一つ分はあるだろうか、非常に広い空間だ。



「フィリア人?」



 そしてそこにいたのは、フィリア人だった。

 リデルと同じような衣装に身を包んでいるが、左胸の模様は色や形が微妙に違った。

 何よりも、身体つきが違う。



 顔は痩せこけ骸骨のようで、手足は骨と皮だけ、それでいて腹はぷっくりと膨らんでいる。

 かと思えば、逆に異常な程に肥満している者もいる。

 筋骨隆々な身体を持つ者、老人のような容貌でありながら子供程の小ささの者、頭髪の無い頭の裏側に縦に切り裂いた痕がある者、ひたすらに身体を揺らし続けている者。

 共通していることと言えば、髪の色や瞳の色にフィリア人らしさが見えることぐらいか。



「…………」



 一言で言うのであれば、そこは地獄だった。

 次の瞬間、リデルはそう強く認識することになる。



  ◆  ◆  ◆



 自分の心音が聞こえる。

 それは痛みを覚える程に強く鼓動しており、自分が緊張していることを嫌が応にも教えてくれた。



「と、止まったのは良いけど……」



 やけに喉が渇く。

 はたして自分はどうしてこんな場所にいるのか、そもそもここはどこなのか、最後の記憶である公都のカーニバルからどれくらいの時間が経っているのか。

 考えるべきことは多々あるが、今はそれ所では無い。



「げええぇっ! げえぇぇっ!」

「ブツ……ブツブツ……ブツブツブツブツ……」

「いひひひっ、いひひひひひひひひひっ」



 悲鳴。

 リデルの周囲は悲鳴で、あるいは呻きや呟き、笑い声が満ち溢れていた。

 そのどれもが正常では無いことは明らかだった、そんな中で冷静に思考を保つことは難しい。

 全ての方向から聞こえてくるそれらは、確実にリデルの精神を蝕んでいた。



 移動はしばらくして止まった、と言うのも、先程見た「鳥籠」の群れと同様に、リデルの「鳥籠」もその中の一部として停止したからだ。

 左右には1メートルから2メートル間隔で「鳥籠」があり、中には必ず1人誰かがいた、ちょうど今のリデルのようにだ。



「がっ、ががっ、がががっ!」

「ひっ、な、何よ!」



 停止して以後はピクリとも揺れなかった「鳥籠」が、不意に大きく揺れた。

 揺れたというよりは衝撃を受けたと言った方が正しいか、原因は隣の「鳥籠」にあった。

 中に入っている男が器用に「鳥籠」を揺らし、振り子の要領でリデルの「鳥籠」にぶつかってきたのだ。

 尋常で無い大きな音と共に、不快な振動が体内を駆け抜けていく。



「な、何よアンタ!」

「がががっ、ががっ、ががががっ」

「や、やめ……やめなさいよ!」



 叫んでみるものの、男の行動は止まらなかった。

 一度などはリデル側が下がったせいで空振りのような形になり、あまつさえ天井近くに当たる時もあった。

 反対側の鉄格子に捕まって堪え、睨んで見ても状況は変わらなかった。



(何? 何なのよ、もう……!)



 数分程もして気が変わったのか飽きたのか、男の行動は止んだ。

 それでも男の「鳥籠」側には寄らずに、改めて周囲を見渡す。

 よくよく見ると、騒いでいるのはごく一部であることに気付いた。

 ほとんどの者はじっとしているか、じっとしていなければならない状態にあるようだった。

 大半の者は、膝を抱えているような姿で座り込んでいる。



(フィリア人、だけじゃあ、無い?)



 さらに驚くべきことに、一部にはソフィア人らしき者の姿もあった。

 だがその姿は他のフィリア人と同じで、いずれにせよ正常な状態では無かった。

 わかっていることは、ここには「鳥籠」が何十何百、いや下手をすれば何千もあると言うことだ。



(……落ち着け。落ち着いて、冷静になるのよ……)



 気付かぬ内に乱れていた息を整えようと試みる、浅くなっていた息を意識的に深くするのだ。

 知らず、胸元を掴むのは無意識に蛇の冷たさを求めたからか。

 滲んでいた汗と僅かな涙を拭えば、少しは落ち着いてきた。



 落ち着いて考えてみた結果、今がかなり絶望的だと言うことに気付いた。

 身も蓋も無いようだが、これを認識することは割と重要だ。

 少なくとも楽観的にはならない、悲観への忌避より楽観することへの戒めの方が今は大事だ。

 今はともかく、周囲を探って何かを見つけるしか――――。



「……うん……?」



 そして、見つけた。

 視線の先には、やはり「鳥籠」があった。

 男側とは反対側、リデルから見て斜め下あたりにあるそれは、男のぶつかりから逃れた今の位置だからこそ見つけられたものだった。



「え、いやそんなはず……だって」



 茶色の髪やソフィア人に比べてやや濃い肌色は、フィリア人共通の特徴ではある。

 と言って個々人に差が無いわけでは無く、顔立ちや身体つきで見分けることは当然可能だ。

 リデルが見つけたその人間は膝を抱えて座っていて、身を屈めるようにして注意深く覗き込む必要があったが。

 やはり、間違いなかった。



「ルイナ……?」

「…………え…………」



 名前を呟くと、聞こえたのだろうか、その女性が顔を上げた。

 そしてその顔に、やはりリデルは見覚えがあった。

 彼女は数ヶ月前、リデルがフィリア人の地で、あの飢餓の農村で別れた人物だった。



「……リデ、ル?」



 その女性――ルイナは、痩せこけた顔で、生気の薄れた瞳で、リデルを見上げてきた。



  ◆  ◆  ◆



「リデル!?」



 瞳に生気を取り戻して、ルイナはリデル側の鉄格子を掴んだ。

 何か信じられないような物を見るような目でリデルを見てくるが、それはリデルも同じ気持ちだった。

 どうして、ルイナがこんな所にいるのか。



「リデル? 本当にリデルなの? どうしてこんな所に!」

「そ、それはこっちの台詞よ。何でアンタがいるのよ」

「それは……」



 表情を曇らせるルイナに、首を傾げながら重ねて問いかける。

 相手の方が下にいるため、首を傾げても見えるかどうかはわからなかったが。

 それでも察してはくれたのだろう、やや掠れた声で説明してくれた。



 まず、ルイナはリデルやアーサーと別れた後、子供達や生き残った僅かな大人達と一緒に村の再建に取り組んでいたのだと言う。

 荒れた畑を耕し、僅かな食糧を分け合い、助け合いながら頑張っていた。

 それを話していた時、ルイナは優しい顔をしていたように思う。

 リデルは少しだけ懐かしくなった、ルイナと旅をしていたのは、もう何ヶ月前の話だろう。



「でも、少しした後に大公国の人達が来て……」

「大公国の?」

「ここは、大公国の東部にある収容所なの」



 ルイナの村を襲撃したのは、どうやらノエルのようだった。

 容姿を聞くに、そんな風に感じる。

 村を一撃で粉砕した後、旧市街の川上にあった工場に連れて行かれた。

 そこでしばらく労働させられていたのだが、やはり少しして移動を命じられたのだと言う。



 あの工場群が無人だったのは、そう言うわけだったのか。

 それよりも工場群にルイナ達がいたと言うのは、それはそれで衝撃的な事実だった。

 もっと早くに動けていれば、一瞬だけそう考えた。

 頭を振って余計な考えを追い出し、鉄格子を掴んで身を乗り出した。



「他の皆は? 無事なの?」

「皆は知らないけれど、村の人達の何人かはたまに見ることもあるわ。工場の人達は……このあたりにいる人達以外は、わからない」

「……ここにいるのが、工場の人達だったって言うの?」



 驚いて、改めて周囲を見渡した。

 自分が公都にいた期間に、ここに連れて来られたと言うことか。

 しかしそれにしては衰弱が激しいように思う、人間として何かが擦り切れて(・ ・ ・ ・ ・)いるように感じる。

 収容所と言ったか、ここではいったい何が行われていると言うのか。



「……ルイナ?」



 声が途切れて、下を覗き込んだ。

 するとルイナと目が合った、高低差がある中でそれはおかしなことだった。

 だが現実にはルイナはリデルの横にいた、理由は、ルイナの「鳥籠」が上がって来たのだ。

 鉄が擦れるような音を立てて、ゆっくりと、上へと上昇していたのだ。



 そしてそれは視線が合った後も継続している、ルイナは声を失っていた。

 顔が青ざめて、震えていた。

 怯えていた、リデルの前で無ければ叫び出していたのでは無いかと思える程に。

 実際、彼女は悲鳴を発さないように両手で口を押さえていた。



「ルイナ?」



 鉄格子に額をぶつけながら、上へ上へと上がっていくルイナを目でおいかけた。

 ある一定程度まで上がると自分の「鳥籠」からは見えなくなってしまった、そしてそれはルイナ側もそうだったのだろう。

 見えなくなってしまえば、我慢が出来なくなってしまったのだろう。




「いやぁああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっ!!??」




 身を切るような、叫び。

 叫びだけでは無い。

 鉄格子を打つ音も聞こえる、掌では無く全身を打ち付けているような音がだ。



「いや! いやです! もう、もうや……たすけ……いやあああああああああああああああぁぁぁぁっっ!!」

「ルイナ? ルイナ! ねぇ、ルイナ!?」



 何が起こるのか?

 何が起こっているのか?

 何をするつもりなのか、ルイナに、何が起ころうとしているのか。

 ――――何が!?



「ルイナァ――――ッ!!」



 リデルには、叫ぶことしか出来なかった。



  ◆  ◆  ◆



 声が届かないと知ってからは、見上げることしか出来なかった。

 意味も無く「鳥籠」の中をウロウロしたり、周囲を見渡したり、しかし何の解決にもならないと言うことに早い段階で気付いたからだ。

 加えて言えば、他人を慮る余裕が無いことにもすぐに気付いた。



「う、うぅ……」



 歌、最後にはそれは歌のようにも聞こえて来る。

 周囲の人間達が発する呻きのような声がいくつも重なって、広い空間の中で反響を繰り返す。

 呻きのホルン、叫びのヴァイオリン、悲鳴のヴィオラ。

 苦痛のアンサンブル。



「やめなさいよ、やめて、やめてよ……!」



 耐えかねてやめろと叫んだこともある、何の意味も無かった。

 膝を抱えて座る多くの人々と、八方から反響してくる苦痛のアンサンブルがリデルを苛んだ。

 眠りに落ちそうになると、頭の中でそれは余計に響き渡ってくる。

 眠れない。

 しかし眠れないと、この歌をずっと聞いていなくてはならない。



 一度、食事が落ちて来た。

 比喩では無く、本当に上から盆に乗って降りて来たのだ。

 鎖に繋がれた食事の盆が「鳥籠」の外に揺れていて、何か細い管(チューブ)のついた袋のような物で、最初はそれが食べ物なのだとは気付かなかった。

 と言っても、何であれ胃が食べ物を受け付ける状態では無かったが。



「…………ッ、ルイナ!?」



 そんな時だ、ルイナの「鳥籠」が戻って来たのは。

 この時ばかりは歌も空腹も忘れて鉄格子を掴んだ、しかし返事は無かった。

 あれから何時間が経過したのだろうか、外の様子が見えないからわからない。



 ルイナは、ぐったりと横たわって動かなかった。

 いや、動いてはいた。

 ただしそれは明らかに正常では無く、ビクビクと定期的に身体を跳ねさせていると言う意味でのことだ。

 つまり痙攣けいれん、それを除けば全く動いていなかった。



「ルイナ、ねぇ、ルイナ!」



 呼びかけても反応は無い。

 目立った外傷は見られないのに、死んだように動かない。

 声をかけても反応してくれない、ただ生気の無くなった薄い瞳で虚空を見つめるばかり。

 酷い言い方になるが、不気味だった。

 怖かった、恐ろしかった、不安だった。



「ル、ルイナ?」



 呼びかけてみても、やはり反応は無い。

 そして、ルイナの姿は見えなくなってしまった。

 ルイナの「鳥籠」はそのまま下へ、つまり元の位置へ戻ったためだ。

 鉄格子に額を押し付けるようにして呼びかけても、ビクビクと痙攣する手足の一部が見えるばかり。



「……ひぃっ!」



 不意に、悲鳴が口から漏れた。

 何と言うことは無い、自分の「鳥籠」が揺れたために漏れた悲鳴だ。

 しかも今度は別の「鳥籠」からぶつけられるといったことでは無く、上へ。

 先程ルイナが連れて行かれただろう、その場所へと引き上げられていた。



 鉄が擦れ合う音を立て、鈍い振動が床から伝わってくる。

 身体を下へと押し下げられるような上昇の圧力に口元を押さえながら、リデルは動揺を隠せなかった。

 脳裏に浮かぶのは、生ける屍のようになったルイナの姿だ。



「な、何よ……」



 この先に何があるのか?

 これから自分は、どこへ連れて行かれるのか?

 このまま上へと引き上げられて、何をされるのか?

 わからない、何も――何もだ。



「……何よッ!」



 わからないまま、独りきり。

 ぎゅっと掴んだ胸元には蛇も石も無い、帽子も無ければ、誰もいない。

 押し潰されそうな強い感情の中、リデルは震える瞳で天井を睨み続けていた。



  ◆  ◆  ◆



 以前にも言ったことがあると思うが、彼女にとって食事とは人間の生活の中で最も大事なことだった。

 お腹一杯にご飯が食べられることは幸福の象徴であり、全てだ。

 彼女――アレクフィナは、そう思っていた。

 しかし、しかしだ、アレクフィナは考察する。



 食事の楽しみ――快楽と言っても良い――とは何か、それは美味しいものを食べることだ。

 では美味しいものとは何か、それはいろいろあるだろう。

 分厚いステーキを噛み締める時、熱いスープを飲む時、柔らかなパンを食べる時。

 多少健康に悪くとも良い、口の中に広がるあの感触を楽しみたいがために食べるのだ。



「だってのによぉ……何だよコレは!? コレが飯とかふざけてんのかっ!?」



 だから彼女は激怒した、手に握り締めたチューブ付きの袋から粘度のある液体が漏れ出てテーブルを汚した。

 そこは食堂だった、苛々するほど真っ黒な壁に覆われた広い空間だ。

 広い空間に縦長のテーブルがいくつも並べられているタイプの食堂で、そう言う意味ではスタンダードな形の食堂だった。



「ふひひ、不味いんだぞ~」

「だぁっ、ブラン! とか何とか言いながら30本も飲んでんじゃないよ!」



 アレクフィナいる所、そこには当然ブランとスコーランの2人もいる。

 どうやらそのチューブの中には食事が入っているらしく、食堂にいる他の面々も同じようなチューブを手にしていた。

 ただこちらは、表情一つ変えずに黙々と食事をとっている様子だった。



(いけすかない奴らだねぇ。まぁ、アタシらには関係ないか)



 アレクフィナ達が纏っている混合服とは違う、簡素な造りの黒衣を着ている人々。

 見ようによっては、医者や看護師が着ているような衣装にも見える。

 色が黒いのは彼らが魔術師関係の人間であるためだ、当然ソフィア人。

 とは言えアレクフィナが彼らに好意を抱いている様子は無い、それは食事のせいだけでも無いだろう。



「あ、あの……」

「ん? ああ、ごめんよ。早くアンタも家に帰してあげたいんだけどねぇ」



 そしてもう1人、ソフィア人の少女がいた。

 アーサーが助けた少女だった、道中でアレクフィナが保護する形になった。

 美味しくもないだろうに、大人しくチューブを吸っていた。

 その姿がいじらしかったのか何なのか、アレクフィナは手を伸ばして少女の頭をグシグシと撫でた。



 アレクフィナはクルジュを離れて以後は、基本的には工場群の労働者を移送する部隊と行動を共にしていた。

 途中嵐に合って部隊とはぐれたりもしたが、この少女はその際に保護したのだ。

 まぁ、ためにアーサーを取り逃がしてしまったのだが……。



「さぁてと、とりあえず戸籍やら名簿を探してみるかねぇ」



 どうやら今はとりあえず、少女の身元を探すのに忙しかった。

 何しろ自分の名前と親の名前しかわからないのだ、なかなかに難儀なことだが見捨てはしない。

 全てはソフィア人のために、そう言う意味で彼女の行動は一貫していた。

 ――――少なくとも、この時点では。


最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。

ルイナを再登場、でも当然のように普通の再会ではありません。

6章は今までの中で最も描きたくない章なのですが、でも描かないとその後の展開に影響してくるという厄介な章でもあります。

さらに一つ、歴史や社会の一つの陰について描いてみたいです。

おや、矛盾しているような気もしますね。

それでは、また次回。

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