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第25話

設計図の光がゆっくりと宙に溶けて消えていく。


頭上に広がる岩天井では、埋め込まれた結晶石が澄んだ夜空のような瞬きを返していた。ひんやりとした清涼な空気が肌を撫でる。十年前、湿り気とカビの臭いしか漂っていなかったこの場所は、今や見違えるほど居心地のいい空間に様変わりしていた。


「マスター、次の段階へ進むにあたり、ひとつお伝えすべき重要な事項がございます」


ふわりと宙に浮かぶシズクが、青白い光を揺らしながら俺の正面へ降りてきた。淡々とした口調だが、その瞳にはどこか厳かでありながら、誇らしげな色が宿っている。


「重要事項? 何か不具合でも見つかったのか?」


「いいえ。むしろ逆でございます。迷宮全体を完全なる保養空間――つまり、四季の移ろいや温泉、広大な森林エリアを永続的に固定化する『真なる楽園領域』へと進化させるための最終条件が整いました」


シズクは細い指先をすっと掲げ、空中に細かな魔力回路のダイアグラムを描き出した。


「すでに王国との間には不可侵条約が結ばれ、外からの侵略という憂いは完全に排除されました。かつて国最強と謳われた討伐戦力を退けたことで、外の世界はこの地を絶対の禁忌として扱っております。これにより、迷宮を外敵から守るための迎撃機構を維持し続ける必要はなくなりました」


「そうだな。おかげで毎日、誰の邪魔も受けずに畑や大浴場の拡張に専念できてる」


「はい。ですが、迷宮本来の防衛機能をすべて環境維持と居住性の向上へ転換するには、ダンジョンコアへ莫大な魔力を一気に循環させ、この迷宮の頂点たる者の存在を領域全体へ再認識させる『証明の儀』を執り行う必要があります」


「証明の儀、ね」


要するに、迷宮の主としての力をコアと全領域に改めて浸透させるための手続きらしい。


かつて押し寄せてきた強欲なクランや、国の精鋭部隊をあっさりと跳ね返したときのように、力そのものはすでに十分すぎるほど足りている。十年間、この洞窟に通い詰めて積み重なった膨大な魔力と、俺自身の基礎能力があれば、儀式そのものに不安はなかった。


「具体的なやり方は決まってるのか?」


俺が尋ねると、シズクは珍しく唇の端をわずかに持ち上げ、どこか楽しげな気配を漂わせた。


「はい。迷宮に所属する全戦力からの総攻撃を、マスターお一人で受け止め、無力化していただく模擬戦形式が最も効率的かつ確実でございます」


「……全戦力って、うちの魔物たちや仲間全員がか?」


「その通りです。コアに宿る迷宮の防衛意識を完全に『納得』させるため、一切の手加減なしで挑んでいただきます」


平和な暮らしを満喫するための総仕上げが、まさかの大乱闘とは恐れ入る。だが、どこか胸が躍るのを感じていた。陰鬱な奪い合いではなく、これから始まる穏やかな暮らしを祝うための祭りだと思えば、悪くない。


「わかった。受けて立つよ」


頷くが早いか、背後の居住区の扉が勢いよく跳ね開いた。


「おいおい、シズク! 聞き捨てならない面白そうな話をしてるじゃないか!」


真っ赤な鱗に覆われた腕を組み、背丈ほどもある大剣を揺らしながらドーラが大股で入ってきた。その顔には獰猛な笑みが浮かんでいる。


「アタシたち全員でマスターに挑んでいいってのかい? そいつは最高だ! 最近は平和すぎて腕が鈍りそうだったんだよ!」


「師匠! 俺も、俺も参加させてください!」


ドーラの背後から飛び出してきたのはアルトだった。白銀の鎧を身に纏い、腰の聖剣を誇らしげに握りしめている。


かつては国の命令を盲信して乗り込んできた勇者だったが、今や俺の弟子としてこの迷宮にすっかり馴染んでいた。毎日の筋トレと館の掃除をこなすうちに、妙な力みが抜け、以前よりも引き締まった精悍な顔つきになっている。


「アルト、お前もやる気満々だな」


「当然です! あの敗北の日から、俺は師匠の背中を追って鍛錬を重ねてきました。今の全力をぶつけて、どれだけ師匠に近づけたか確かめたいんです!」


熱血漢の弟子は拳を握りしめ、瞳を燃え上がらせている。


「いい気迫だねぇ、勇者坊や! だがマスターの一番槍はアタシがもらうよ!」


「ドーラさん、そこは譲れません!」


早くも二人の間で火花が散り始めている。それを見守るシズクは、満足そうに頷いていた。


「皆様の士気は十分なようです。それではマスター、最下層に新設いたしました特設闘技場へ移動いたしましょう」


迷宮の廊下を進むと、壁を覆う淡い緑の群生が、いつもより鮮やかな輝きを放ちながら波打っていた。まるで、迷宮そのものがこれから行われる宴のような戦いを待ち望んでいるかのようだ。



闘技場エリアに足を踏み入れると、天井の高いドーム状の空間が広がっていた。


中央には頑丈な石造りのリングが整えられ、その周囲を取り囲むように設置された安全な観戦ラウンジには、すでに顔なじみたちが集まっていた。


「レオンさん、怪我だけはしないでくださいね!」


観客席の手すりから身を乗り出し、手を振っているのはエリーゼだ。隣ではギルドの調査員であるカイが、苦笑しながら眼鏡の位置を直している。


「まったく、不可侵条約を結んで国軍を完全に手出し不能にしておきながら、身内同士でとんでもないお祭りを始めるんだからな……。まあ、記録係としては見逃せない見物だが」


「ふふ、これだけの魔力供給があれば、外部から仕入れ予定の高級資材の受け入れ設備も完璧に稼働しますわね。レオン様、派手にやっちゃってください!」


さらに横では、物資調達を担当してくれている商人のセリアが、グラスを傾けながら優雅に微笑んでいた。テーブルには色とりどりの果実や軽食が並び、完全にフェスティバルの様相を呈している。


「みんな、すっかり寛いでるな」


俺は息を吐きながら広場の中央へと歩み出た。


対面には、すでに戦闘態勢を整えた面々が並んでいる。先頭に立つのは大剣を軽々と肩に担いだドーラと、聖剣を抜いて切っ先を向けるアルト。その後ろには、この迷宮で育ち、進化を遂げた上位の魔物たちがずらりと控えていた。


巨躯を誇るアイアンゴーレムや、鋭い爪を持つハイゴブリンたちが、唸り声を上げながら闘志を高めている。かつては最弱の初心者向け魔物だった彼らも、今や屈強な迷宮の護り手だ。


「マスター、準備はよろしいですか?」


宙に留まるシズクが、全域へ通じるアナウンスを響かせる。


「いつでもいいぞ」


俺は腰から、長年使い込んできた一本の武器を静かに引き抜いた。


銀色に輝く名剣でもなければ、強力な魔法が付与された宝剣でもない。十年前、駆け出しの探索者だった頃から手入れを続け、毎日のように岩を砕き、雑草を払い、共に過ごしてきた安い鉄剣だ。所々に研ぎ減った跡が残るその重みは、俺の手のひらに最も自然に馴染んでいた。


「師匠、手加減はなしですよ!」


アルトが白銀の闘気を爆発させ、石畳を蹴って一気に間合いを詰めてくる。その動きは以前国から送り込まれてきた時よりも遥かに鋭く、無駄がない。


「いくよ、マスター! アタシたち全員の力、受け止め切ってみせな!」


ドーラが大地を揺らすような踏み込みと共に大剣を振りかぶり、背後の魔物たちも一斉に鬨の声を上げて突撃を開始した。


視界を埋め尽くす圧倒的な突進力。観戦ラウンジのエリーゼたちが息を呑む気配が、肌を通して伝わってくる。


だが、俺の視界には、そのすべてが驚くほど緩やかに映っていた。


敵意も悪意もない。あるのは、この場所を愛し、共に生きていく仲間たちの純粋な全力だけだ。居場所を守るために積み重ねてきた時間が、確かな力となって全身を巡っていく。


「ああ、まとめて来い」


俺は鉄剣の切っ先をわずかに下げ、迎え撃つ構えを取った。


祝祭のような歓声が響き渡る中、真なる楽園の完成を告げる模擬戦の幕が、今まさに切って落とされた。

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