第88話 白百合の継承 ― 失われた次期当主と、新たな託し
翌日の午後、白百合女学院理事長室は重い沈黙に包まれていた。
白百合 麗華は執務机に座り、紫銀の瞳を伏せて書類を眺めていたが、集中できずにいた。
そこへ、静かなノックの音が響いた。
「失礼します。理事長」
入ってきたのは銀髪ロングの白百合 カンナだった。
いつもの落ち着いた表情が、今日はやや硬い。
彼女は理事長の正面に立ち、深く一礼した。
「麗華様……昨夜、澪さんが暴走されました」
麗華の指が書類の端を強く握った。
「……詳しく」
カンナは淡々と、しかし重い口調で報告を始めた。
「月見の間で、澪さんの花の能力が急激に暴走。
黒紫の蔓が部屋を埋め尽くし、レイラインにまで影響を及ぼしかねない勢いでした。
私は即座に白百合の鎖で抑え込み、一度は引き戻しましたが……
その代償が大きすぎました。
澪さんの白百合の能力が、枯れてしまいました」
麗華の顔から血の気が引いた。
「枯れた……?」
「はい。現在、意識不明の状態で、白百合家関連の特別医療施設に隔離されています。
回復の見込みは……現状では不明です。
次期当主として期待されていた澪さんの力が、失われてしまいました」
理事長室に、息をのむような沈黙が落ちた。
麗華はゆっくりと立ち上がり、窓の外に視線を向けた。
手が微かに震えていた。
「……澪が……次期当主が……」
長い、長い沈黙が続いた。
麗華の背中は、いつになく小さく見えた。
やがて、彼女は静かに振り返った。
紫銀の瞳には、強い決意と、深い悲しみが同居していた。
「カンナ……あなたに、白百合家の次期当主を託します。
そして……跡取りの子を産むことを、許可します」
カンナの紫がかった瞳が大きく見開かれた。
「……麗華様?」
「私はもう、迷っている時間はありません。
世界は待ってくれない。
中東の戦争は激化し、レイラインの乱れは日増しに深刻化しています。
次期当主を失った今、白百合家に残された時間は少ない。
あなたは純血に近く、能力も安定している。
当主として、十分に務まるはずです」
カンナは即座に首を横に振った。
「私は……教師であり、守り人の指導者です。
当主の座など、到底……」
麗華は静かに、しかし強い口調で続けた。
「世界は待ってくれないのです、カンナ。
大災厄が現実になる前に、白百合家の血筋を絶やしてはならない。
あなたが次期当主となり、跡取りを産む。
それが、今、私にできる最善の選択です」
カンナは唇を強く結び、長い間沈黙した。
やがて、彼女は低く、苦しげに答えた。
「……わかりました。
白百合家のため……そして、レイラインのためならば」
麗華は小さく息を吐き、表情を少し和らげた。
「ありがとう、カンナ。
跡取りの子については、白藤家か紫藤家から、適性が高い男性を厳選します。
あなたに最も相性の良い相手を見つける。
……無理強いはしません。
しかし、早急に進めてください」
カンナは深く頭を下げた。
「承知しました。
白藤家……または紫藤家……適性相手を慎重に選びます」
理事長室の窓から差し込む光が、二人の影を長く伸ばしていた。
次期当主の突然の喪失、そして新たな託し。
白百合家は、静かに、しかし大きく動き始めていた。
麗華は窓の外を見つめながら、心の中で静かに呟いた。
(澪……ごめんね……
お母さんは、あなたを信じていたのに……)
カンナは部屋を出る直前、わずかに振り返り、
紫がかった瞳に決意の色を宿した。
白百合家の未来は、今、新たな道を歩み始めようとしていた――。




