第85話 白百合の狂い咲き ― 次期当主の暴走
白百合家の奥深く、夜の「月見の間」。
銀色の月光が障子越しに差し込み、部屋を冷たく照らしていた。
そこに、白百合 澪(19歳・大学部二年生)が立っていた。
黒髪に紫銀の瞳、強いシスコンを抱える長女は、普段の優等生らしい落ち着きを完全に失っていた。
「桜良……桜良……!」
澪の声は低く、震えていた。
彼女の周囲に、白百合の花弁が異様に密集し、黒みがかった紫銀の粒子が激しく渦を巻いていた。
花の能力が暴走を始め、部屋の空気を重く歪めている。
シスコンはもはや単なる妹への愛情ではなく、独占欲と嫉妬が混じり合い、黒い蔓のような感情の棘となって彼女の花を狂わせていた。数日前から、桜良が紡との訓練を深めているという噂が澪の耳に入っていた。
夜這いの過去、妹への強い執着が、再び胸の奥で爆発した。
「桜良は私のもの……他の誰にも渡さない……」
という想いが、花の能力を暴走させ、レイラインにまで微かな歪みを生み出していた。澪は両手を広げ、黒紫の蔓を無数に伸ばした。
蔓は部屋の壁を這い、床を覆い、まるで桜良を閉じ込めようとするかのように蠢く。
「桜良……お姉ちゃんが、守ってあげる……
あの小さい子(紡)なんか……引き剥がして……私のところへ……!」
蔓の一本が、窓ガラスを突き破り、外へと伸びようとした瞬間――。
「澪……! やめなさい!」
銀髪ロングの影が、静かに部屋に入ってきた。
白百合 カンナ(26歳・教師)だった。
紫がかった瞳が、冷静でありながら強い意志を宿している。カンナは一瞬で状況を把握した。
次期当主である澪の暴走は、単なる感情の揺らぎではない。
レイライン全体に影響を及ぼしかねない危険な状態だった。
「澪……あなたの花は、今、狂っています。
桜良への想いが、愛ではなく、棘となってあなた自身を傷つけている」
澪は振り向き、血走った瞳でカンナを睨んだ。
「カンナ先生……邪魔をしないで……!
桜良は私の妹……私のすべて……!
あの紡なんかに、取られるわけには……!」
澪の黒紫の蔓が、カンナに向かって一斉に襲いかかった。
棘の先端が鋭く輝き、感情の毒を帯びて迫る。カンナは静かに息を吐き、自身の花の能力を解き放った。
銀髪が風に舞い、紫がかった光の粒子が、穏やかでありながら強固な「鎖」のように広がった。
「――白百合の鎖」
カンナの能力は、暴走した花を「封じ、鎮める」もの。
純血の血筋に近い彼女の粒子は、澪の黒紫の蔓に絡みつき、棘を一本一本優しく、しかし容赦なく締め上げていく。
蔓が暴れるたび、カンナの鎖がそれを包み込み、毒を中和するように光を注ぎ込む。
「うっ……あぁ……!
カンナ先生の……力……!」
澪の体がびくりと震え、膝をついた。
黒紫の粒子が徐々に薄れ、代わりにカンナの穏やかな紫銀の光が澪の体を包む。
カンナはゆっくりと近づき、澪の肩に手を置いた。
「澪……あなたは次期当主。
麗華様の後を継ぐ存在。
桜良への愛は美しいけれど、それが独占欲に変わった時、花は枯れる。
咲良は、もうあなたの『所有物』ではない。
彼女は自分の道を歩き始めている。
それを、祝福してあげなさい」
澪の瞳から、涙が一筋こぼれた。
暴走した蔓が、次第に萎れ、粒子が静かに散っていく。
「でも……桜良が……他の子と……満開になってしまったら……
私は……お姉ちゃんとして……」
カンナの声は優しく、しかし厳しかった。
「それでも、桜良はあなたの妹よ。
血はつながっている。
暴走すれば、レイライン全体を乱す。
大災厄を招く前に……今、鎮めなさい」
カンナの鎖が完全に澪の花を包み込み、暴走を抑え込んだ。
澪の体から力が抜け、床に崩れ落ちる。
カンナは彼女を抱き起こし、銀髪を優しく撫でた。
「今夜は、ここで休みなさい。
明日、麗華様と沙耶様に報告します。
あなたには、もっと大きな役割がある。
シスコンを、愛に変える強さを持ちなさい」
澪は荒い息を吐きながら、弱々しく頷いた。
部屋に残る黒紫の粒子は、完全に消え、代わりに穏やかな白百合の香りが戻っていた。カンナは窓の外を見つめた。
遠い中東の戦火がもたらす歪みが、ますます強くなっている。
次期当主の暴走は、ただの家族のトラブルでは済まされない。
レイラインの守り人として、彼女はさらに重い決意を胸に刻んだ。澪の暴走は、カンナの力によって辛うじて止められた。
しかし、その棘はまだ完全に消えたわけではなかった――。




