第113話 儀式前夜 白百合の和解
儀式前夜。白百合邸の中庭は、静かに緊張と期待に包まれていた。
大温室の外れにある、白百合家の古い離れのテラス。月明かりが淡い光の粒子を照らし、夜風が甘い花の香りを運んでくる。白百合 澪は一人、腰まで届く銀髪を夜風に揺らしながら、テラスの手すりに寄りかかっていた。
かつて輝いていた瞳は今、くすんだ灰色を帯び、細身の上品な体はどこか寂しげに見えた。足音が近づき、澪はゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、黒髪を腰まで流した気高い姿の桜良だった。
紫銀の瞳が、月明かりに静かに輝いている。
「……澪姉さん」
桜良の声は、いつもより柔らかかった。澪は小さく微笑もうとして、結局、苦い表情になった。
「咲良……。
もう当主候補でもなんでもない私が、こんな夜に呼び出して……ごめんね」
桜良は静かに澪の隣に並び、手すりに手を置いた。
「儀式前夜に……何を話したいの?」
沈黙が少し落ちた。
夜風が二人の髪を優しく揺らす。
澪がようやく口を開いた。声は震えていた。
「私は……失敗した。
白百合の力が枯れて、光の粒子をほとんど生み出せなくなって……
次期当主の座を、カンナさんに譲ることになった。
あなたが学園史上最高の適性を持っていると知った時……
正直、悔しかった。羨ましかった。
自分の花が枯れたのに、妹の花があんなに強く輝いているなんて……」
桜良は静かに聞き、紫銀の瞳を伏せた。
「私は……姉さんがいなくなって、寂しかったわ。
姉さんはいつも、私の強さを心配してくれていたのに……
ある日突然、変わったてしまった。」
澪の目から、静かに涙が零れた。
「咲良を愛するがため、あなたの強大な力を、純粋に祝福できなかった自分が、嫌だった。
ごめんね、桜良……」
桜良はゆっくりと手を伸ばし、澪の冷えた指先に自分の指を重ねた。
淡い光の粒子が、二人の指の間からゆっくりと芽吹き始めた。
それは桜良の白百合の光が、澪のくすんだ花に優しく触れるような、温かな輝きだった。
「姉さん……私も、姉さんに謝らなければならないわ。
私は自分の力ばかりを気にして、姉さんの苦しみに気づいてあげられなかった。
姉さんが能力を失った時、もっと寄り添うべきだった……」
澪は驚いたように桜良を見つめた。
「桜良……」
桜良は澪の手を優しく握りしめ、静かに続けた。
「明日の満開で、私は紡と一緒に世界のレイラインを支える。
でも……それだけじゃない。
白百合家として、姉さんの分まで、光を届けたい。
姉さんの枯れた花も、私の光で少しでも癒せたら……そう思っているの」
二人の間に、白百合の光の粒子がより強く舞い始めた。
澪のくすんだ瞳に、ほのかな輝きが戻るような気がした。
澪は涙を拭い、初めて穏やかな微笑みを浮かべた。
「ありがとう……桜良。
あなたがそんな風に言ってくれるなんて……
私はもう、当主にはなれないけれど……
妹の満開を、心から祝福できる。
明日は、精一杯咲きなさい。
私の分まで……世界を、美しく照らして」
桜良は澪の肩にそっと頭を寄せた。
気高い彼女の表情が、珍しく柔らかく溶けていく。
「姉さん……ずっと、ありがとう。
明日、満開を迎えたら……また、こうして話しましょう。
姉さんの花が、どんな形でも……私は誇りに思うわ」
二人は静かに寄り添い、月明かりの下で長い時間を過ごした。
光の粒子が二人の周りを優しく包み、甘い花の香りが夜風に乗って広がっていく。澪が最後に、小さな声で呟いた。
「桜良……あなたは、もう立派な白百合よ。
私は……ただの姉として、あなたの満開を見守るわ」
桜良は静かに頷き、澪の手を最後まで離さなかった。
儀式前夜、二人の姉妹は、長い時間をかけて和解した。
枯れた花と、強く輝く花。
異なる運命を歩む二つの白百合が、月明かりの中で、静かに重なり合っていた。
遠くで、レイラインの乱れを予感させる歪んだ光が一瞬走ったが、
二人の間から生まれる淡い光は、それに静かに抵抗するように輝き続けていた。




