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第1話 佐藤瑠璃はクラスのアイドルである。

 昼下がりの教室。


 湿り気を帯びた熱気がこもる。がやがやと入り混じる、歓喜と落胆の話し声。引きずられる机の脚が、ガタガタと床を擦っていく。

 窓から差し込む午後の光。その中で、舞い上がった埃が白くキラキラと粒子のように踊っていた。


 このクラスになってから、何度目かの席替え。

 俺は、一番後ろの窓際という「聖域」をくじで引き当てた。

 ホクホクと小躍りしながら、机を運ぶ。クラスの中心部とは、目に見えない境界線で隔てられた場所。誰の視線も気にしなくていい、教室の最果て。


 ガタ、と自分の城を据え置く。

 ここなら、どんなラノベや漫画を読んでいようと、不躾に指をさされることはない。

 これからの数ヶ月、平穏で楽しい学校生活が約束された。一人、そんな期待に胸を躍らせていると。


「お、初めてお隣さんだね、阿久津くん。よろしくね」


 すぐ隣から、鈴を転がすような、爽やかにはずんだ声が降ってきた。


 反射的に、首を回す。


 ちょっと気の強そうな大きな目を、楽しそうに細めた美少女がこちらを覗き込んでいた。長い黒髪が窓からの光を受けて煌めく。首を傾ける仕草に合わせて、さらりと肩から滑り落ちた。


 うわ、隣こいつか。


 俺はポーカーフェイスを維持することに全神経を注ぎつつ、内心でひっそりと眉をひそめた。


 たった今話しかけてきた美少女、佐藤瑠璃(るり)

 言わずと知れたクラスのアイドルだ。いつもクラスの中心にいて、大勢に囲まれて、楽しそうに笑っている。何を話しているのかは知らないし興味もないが、要するに別世界の住人。スクールカーストの頂点に君臨する、女王様だ。


 対して、俺は何の変哲もない、どこにでもいるその辺の陰キャオタクだ。スクールカーストは論じるまでもないだろう。とはいえ別にいじめられているわけではない。ただただ空気なだけだ。


 佐藤と話した記憶は、一度もない。だが、どうにも苦手だった。

 常に輪の中心で、常に完璧な笑顔。住む世界が違いすぎる。完璧すぎるくらいにすべてが整っていて、どこか人間味を欠いているというか。

 向こうも俺みたいな陰キャなんて内心見下して、視界の端に入る汚物くらいに思っているに決まってる。そう決めつけていた。


 だから、あまりにフランクな第一声に、毒気を抜かれた。

 隠しきれない困惑が、口から零れ落ちる。


「……名前、知ってたんだ」

「クラスメイトの名前くらい知ってるよ! 当たり前じゃん! 私のこと何だと思ってるのさ」


 佐藤は何が面白いのか、白く小さな手を口元に当てて、肩を揺らした。細められた瞳。自然な、綻ぶような笑み。窓からの日差しを受けた埃が、彼女を彩るエフェクトのように、神々しく瞬いている。

 本当に、俺と同じ「ヒト」という種族なのか。完成度が違いすぎる。


 クラスの誰かが『彼女は本当にアイドルをやってる』と話していたのを、ふっと思い出した。

 なるほど。俺は三次元のアイドルには一ミリも関心がないので、詳しくはわからないが、確かにアイドルグループに混ざっていても全く違和感がない、と思う。多分。

 俺はアニメ以外、ほとんどテレビは見ないのだ。そのアニメも大半は録画だし。


 席替えの喧騒が収まらない中、担任の号令が響く。すぐに、午後の授業が始まった。

 佐藤はパッと前を向き、軽やかな動作で教科書を開く。


 俺はだらだらと教科書のページをめくりながら、窓の向こうへ視線を投げた。透き通るような青空。その下で、体操着で走っている集団が小さく見える。

 それにしても、この席は日当たりがいい。昼食後の胃袋が落ち着き、ポカポカと窓から差し込む熱。昼寝をしろと言われているようなものだ。


 授業はとてもよく寝られた。素晴らしい昼寝だった。


 気づけば休み時間。

 次の授業の準備を済ませ、手持ち無沙汰にまた外を眺めてボケっとする。明日からは読みかけのラノベでも持ってきて時間をつぶそうかな。

 学校内でスマホを使用禁止にしたところで、生徒が勉強をするようになるわけではないのである。大人はそこをわかってない。


「阿久津くんは普段テレビとか動画とか、どういうの見るのー?」


 隣の佐藤が、机に頬杖をつきながら、唐突に問いかけてきた。

 心臓が跳ね、びくっと肩が震える。とにかく何か言わなくては。おどおどと言葉を返した。


「え……アニメ以外見ない」


 オタクの鑑のような最悪な回答が、ほぼ条件反射で口から出た。

 よし。会話終了。と思ったのに、予想を裏切り、佐藤は大きな目を見開いて輝かせた。


「え、アニメ見るんだ! どんなアニメが見るの!?」


 ぐえ、そうきたか。


 俺は思わず顔が引きつるのを感じた。


 この質問苦手~。本当に好きなやつを答えると引かれる、オタクあるあるのアレ。


 まあ適当に、今期の覇権アニメでも言っとけばいいか。


「『最弱職の逆転異世界無双』とか……」

「あ、今期一番って言われてるやつだよね! 私まだ見れてないんだよな~」

「そうなんだ」

「私はね~『暗黒魔法少女・マジカルデス・ギガ』が一番好きかな!」


 なんて???


 雑に受け流そうとした耳に、伝説の作画崩壊クソアニメの名が飛び込んできた。

 思わず、彼女の顔を二度見する。クラスのアイドルの口から出るとは到底思えない、タイトルからしてぶっ飛んでいるその超迷作アニメ。


「お、その反応。さては阿久津くんも見たことあるね!?」


 佐藤はさらに目を輝かせ、ぐいっとこちらに身を乗り出した。彼女の椅子がガタリと音を立てる。

 シャンプーだろうか。甘くさわやかな香りがふわりと鼻腔をくすぐり、俺は反射的に身を引いた。


「四話の敵の首が180度回るシーン! あれ一生笑えるよね!」

「……そうだね。よくそんな作品知ってるな」

「ああいうの好きなんだよね~! あとカットごとに主人公が持ってる武器変わってるとことか!」

「あー、十話か」

「そうそれ! あの感動的なシーンであれはヤバすぎでしょ! 音楽だけは無駄に良いのにね!!」


 佐藤はクラスのアイドルらしからぬ、いたずらっ子のような顔でカラカラと笑い、行儀悪く足をパタパタと揺らした。


「阿久津くんは『最弱職』好きなんだよね。私も見よっかな。せっかくの、このクラスでは数少ないアニメ好きのおすすめだし!」


 ……無邪気に笑う佐藤を見ていると、適当な嘘をついた俺がものすごく最低なやつのような気がしてくる。

 俺はその眩しさから逃げるように視線を落とし、小さく呟いた。


「……本当は『六畳一間の雨音』とかの方が好き、かな」

「そうなの!? 『六畳一間の雨音』は見たことあるよ!」


 これまたものすごく意外。俺以外にこの作品を知っている奴を、リアルでは初めて見た。決して有名ではない。評価だって、別に高くはないマイナー作だ。


「……地味じゃない?」

「えー!? あれを地味とは言わないでしょ! 『雰囲気がある』って言うんだよ!! ポットの中で紅茶の葉が踊ってるところとか、細かい描写がすごく綺麗だよね!!」

「そう。あと雨のシーンの水滴が跳ねるとことか——」

「ね! あれすごいよね! 水滴の中に景色がちゃんと映り込んでるの!! その後の髪の毛を伝う雨の表現とか、セリフなしで感情が伝わる感じ!!」

「セリフがない時間が多くて、『間』で伝える感じがいいんだよな——」


 気づけば、俺も身を乗り出していた。

 休み時間の喧騒が遠のき、世界が二人きりになったような錯覚。


 これが、俺と佐藤の出会いだった。


 教室の一番後ろ。その最果てにあったはずの壁は、一瞬で崩れ去った。というか、佐藤が粉々にぶち壊した。


 席替えからわずか数時間。俺はもう、佐藤を「クラスのアイドル」だとは思っていなかった。

 彼女は、驚くほど話の通じる、隣の席の「オタク友達」だ。


 これから次の席替えまでの数ヶ月。最高に楽しい学校生活になる。

 そんな予感に、俺は胸を躍らせていた。

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