路郎さん
僕たちと同じ地域の出身ということは、噂では聞いていた。
「本当だったんだ」
あの伝説のミュージシャンと地元が同じということだけで、僕はなんだか感動してしまっていた。
「あの路郎さんが目の前に・・」
だが、そこにいたのは、昔の面影すらもないくたびれさびれたおじさんだった。日本では伝説的な存在として、その界隈ではカリスマ化していた人だった。
「・・・」
あの時の異様とも燃えるほどにギラギラとしていたオーラは、まるで別人のように完全に消えていた。
観客席に豚の臓物を投げたり、その血をぶちまけたりと、過激なパフォーマンスで有名だった。やり過ぎて、多くのライブハウスで出入り禁止になったとも聞いた。
確か、あの後、異端児扱いの日本を捨ててアメリカに渡り、アメリカのアングラなその世界では少しは知られた存在になったと聞いたことがある。
その後の消息は不明で、ホームレスになっただとか、麻薬とアルコールの過剰摂取で死んだとか、気が狂って精神病院に入院しただとか、刑務所に入れられただとか様々な噂があった。
「お前ギターを弾くのか」
そう訊く路郎さんの目は死んでいた。すでにろれつも回らなくなっている。
「は、はい」
「そうか・・」
それだけだった。路郎さんはまた、死んだ目でカウンターに向き合うと背を丸め年老いた老人のように酒を飲み始めた。
「・・・」
僕はその後ろ姿を見つめたままその場に立ち尽くしていた。
「なんだ」
路郎さんがもう一度振り返り、ずっとその場に立ち尽くし、じっと路郎さんを見つめる僕を怒気を含んだ目で睨みつけた。
「あの・・、路郎さんですよね」
「俺を知っているのか」
路郎さんは、怪訝な顔で僕を見る。
「は、はい。僕もギターを弾いていて、あの・・、昔、ライブハウスで見て・・」
僕は舞い上がってしまい、うまく自分の思いや考えをまとめることができなかった。そんな僕を、路郎さんはジロリと鋭い目で睨みつける。
「あの、あの・・」
「座れ」
「えっ?」
路郎さんの目は隣りの席を差していた。
「あんちゃんやめといた方がいい」
その時、カウンターの向こうからお店のおかみさんが僕を険しい顔で鋭く見た。
「この人は僕の憧れの人なんです」
そう言うとおかみさんは黙った。
「・・・」
僕は黙って路郎さんの隣りの席に座った。間近で見る路郎さん。まだ老け込むほどの年ではないはずなのに、その姿は生気のない老いさらばえた老人そのものだった。
あの時――、あの時、路郎さんは世界の誰よりも輝いていた。場末のさびれた小さなライブハウス。薄暗く、すえた匂いのする社会の底の底のうらぶれた連中が集まりひしめき合うじめじめとした最低の場所。あの頃、何もない、生きる意味もない、生きていく目的もない僕は、光を彷徨う夜虫のように夜な夜な引き寄せられるようにそこに通っていた。その中のジャンクな音の中にいる時だけ、僕はこの人生の絶望から逃れることができた。
薄暗いスポットライトの下、観客だけでなく、同じバンドメンバーすらもドン引きしている独善的なプレイだった。でも、その爆音で繰り広げられる個性の暴走したプレイに、僕は痺れるような感動に脳天をぶち抜かれていた。全身が感動でどうにかなってしまいそうにかっこよかった。おしっこをその場で全部垂れ流してしまいそうに圧倒されていた。その場でイッてしまいそうに熱くなっていた。滅茶苦茶かっこよかった。滅茶苦茶ぶっ飛んでいた。路郎さんはその時神だった。正に神だった。
「ぼ、僕・・、あの・・」
あまりに緊張して言葉がうまく出て来ない。
「あの、僕、路郎さんを見て、それで、あの・・」
「まっ、飲め」
「は、はい」
路郎さんは大きなトックリを僕に向けた。僕は、カウンターの上に伏せて置いてあったガラスコップを取りそれを受けた。
「うっ」
それは、どぎついどぶろくだった。
「はははっ」
路郎さんはそんな僕を見て笑った。
「これは俺の地元のどぶろくだ。ここのおかみさんに頼んで置いてもらってるんだ」
「ぞ、ぞうだったんですが・・」
喉が焼けてうまく声が出ない。路郎さんは、それを平気な顔をして水みたいに飲んでいる。
「ここのおでんはうまいぞ」
路郎さんが言った。
「そうですか。じゃあ、大根を」
勧められるがままに僕がカウンターの向こうのおかみさんにそう言うと、何の返事もなく愛想もなく、ブスッとした本当に嫌そうな顔でおかみさんは、大根を皿に盛りつけ、そして、また愛想もへったくれもなく僕の前にそれを置いた。そんなに嫌ならこんな店辞めればいいのに、それを見て僕は思った。
「・・・」
出て来た大根は、一か月煮込んだんじゃないかってくらい真っ黒だった。
「味がよく染みてうまいぞ」
「染み過ぎではないのか・・汗」
僕は、その真っ黒な大根を見つめた。見た目は悪いが実際はうまいのかもしれない。僕は大根を四分の一ほどに箸でちぎって口に運んだ。
「・・・」
まずかった。煮込み過ぎて、大根がぐずぐずになって、しかも味も沁み過ぎて逆に訳分からなくなっていた。
「うまいだろ」
「え、ええ・・」
路郎さんは、これが好きらしかった。
「・・・」
しかし、食えたものではなかった。おかみさんは、一個でいいのに、これ幸い在庫処分とばかりに五つも盛ってくれている。
「これを全部食べるのはきついな・・」
僕は思った。しかし、食べざる負えない。僕は少しずつ口へと大根ちぎって運んだ。
「春雨もうまいぞ」
「は、はい」
僕は春雨も頼んだ。しかし、出て来たのは干からびた見るからに、昨日の売れ残りではと疑わんばかりのものだった。
「・・・」
「うまいだろ」
「は、はい・・」
味は市販の春雨の素の味がした・・。




