間違い
『導火線に火を点ける』
以前、そんなことを考えたのを思い出した。俺がやったことは、導火線をつないで火を点けただけだ。その結果が、今日。レヴァント商会の崩壊という形で表れた。俺が望んでいたチェスターの退陣は、これで達成された。
ただし、見習い側もやりすぎた。火を点けた連中は逮捕される。俺はそんな連中の世話までするつもりはない。トリスタンも同意見だと思う。
まあ、普通に警察が対処するだろうな。俺の知ったことではない。幸い、サリアたちの陣営は関わっていないようだったから、特に問題ないだろう。
レヴァント商会を後にして、店に帰ってきた。店の扉を開けると、メイが心配そうに話しかけてくる。
「レヴァント商会はどうでした?」
喧嘩別れしたと言っても、レヴァント商会はメイの古巣だ。多少は気にかかるのだろう。
「暴動が起きていました。僕が思っていたよりも、大規模な暴動でしたよ」
まさかこんなことになるとは、俺も予想していなかった。この国の住民は平和主義者が多く、犯罪も少ない。普段は理性的で平和な分、暴れだしたら怖いということだと思う。温厚な人ほど怒ったら怖いって、どこの国でも一緒だな。
「なるほど。大丈夫なんですかね……?」
「はい。もう安心です。レヴァント商会は無事潰れました。ルーシアさんもこのままですし、この店もこのままです」
「あ……そうなんですね。そういう意味で言ったわけじゃなかったんですけど……」
あれ? どういう意味だったんだ? まあいいか。
「とにかく、チェスターさんがこの店とルーシアさんを狙うことは、もうありませんよ」
挨拶もそこそこに、事務所に籠もって資料を作る。この資料はトリスタンに提出するものだ。コンシーリオまで行くのは面倒なので、この資料を渡して終わらせる。この資料を書いたら、俺の仕事は終了だな……。
これで平和が戻ってきた。そう思っていたのも束の間。この日、気分良く夕食を食べていると、店の扉がベキベキとけたたましい音を立てた。誰かに蹴破られたようだ。
「何事ですか!?」
そう叫んで薄暗い店舗に飛び込むと、壊れた扉の上にチェスターが足を置いていた。手には、棍棒のような武器を持っている。
「お前……やってくれたな……」
チェスターは、へっぴり腰で棍棒を構えながら言う。この程度の相手なら武器は必要ないな。素手でも十分だ。
「はて? 何のことでしょう」
「しらばっくれるな! 調べはついているんだ! 全部お前が仕組んだことだってな……」
俺の名義でやったのは、1枚目の広告だけだ。他のことは裏で動いただけで、直接は手を下していない。
そして、どれも小さな嫌がらせだ。針一本でチクチクと刺されても痛いだけだが、針千本飲まされたらさすがに死ぬ。俺がやっていたことは、つまりそういうことだ。
俺は事実を周知しただけに過ぎない。結果、民衆がレヴァント商会を恨み、従業員がチェスターを恨んだ。実際に行動に移したのは、チェスターの身内とも言えるレヴァント商会の見習いたちだ……。
ほら、俺は何も悪くない。
「ツカサさんは関係ないでしょう? 帰ってください!」
不意に、ルーシアの声が響く。チェスターの声が聞こえたから、気になったのだろう。ルーシアは、休憩室の扉に手を掛けて、顔だけをこちらにのぞかせている。ちょっと危ないけど、これ以上近付かなければ大丈夫かな。
でも、帰らせるのはちょっと待ってくれ。扉の修理代は回収したいじゃないか。
「妙な言い掛かりはやめてくださいよ。僕にそんなことができるわけないでしょう」
「お前……『迷い人』なんだってな」
おや、もう知っているのか。トリスタンが公表したんだな。あまり喧伝してほしいことではないが、トリスタンが関わった時点で、公表されることは分かっていた。
「それが何か?」
「迷い人の権力を使えば、何だってできるよなあ? 裏でどこに手を回しやがった!?」
チェスターは、迷い人の力を誤解しているようだ。確かに優遇されるんだけど、それは場合による。
「残念ですが、迷い人の権力は大したことありませんよ。コータローさんが特殊なだけです」
「ツカサさんが迷い人だからって、何の関係があるんですか! ツカサさんは、ずっとそのことを隠してきたんですよ!? 全て、ツカサさんの実力です!」
ルーシアが俺の言葉に付け足した。でも、全てが実力じゃないぞ。特に、今回の件はいろんな人の協力の上で成り立っている。もし俺1人だったら、逃げることしかできなかっただろう。
「ルーシア……君はなぜ何も分かってくれないんだ……」
チェスターが思い詰めたような声を出すと、ルーシアはその言葉を一蹴する。
「チェスターさんの考えることなんて、何一つとして理解できません」
「君のために懇親会を乗っ取ったのに、君は来てくれなかった!」
「……え?」
ルーシアが間の抜けた声を出した。俺もそんな気分だ。チェスターが懇親会を潰したのって、ルーシアの気を引くためだったのか。まったく理解ができない……。
「君が喜ぶと思って……君のために大きな店を構えたのに!」
「そんなことを望んだ覚えはありません!」
ルーシアは、チェスターの言葉を力強く否定した。すると、チェスターは益々興奮して大声を出す。
「だって、君は言ったじゃないか! 誰もが羨む大商会になればって!」
「この状況、誰が羨むんですか? こんなにも多くの人に迷惑をかけて……」
「こいつのせいだ! こいつが居なければ、何もかもが上手くいっていたのに!」
俺? 関係ないって。俺が手を下さなくても、レヴァント商会はいずれ崩壊していた。
「……レヴァント商会が、本当に上手くいっていたと思います?」
「当たり前だ! お前が余計なことをしたせいで、全部狂ったんだ!」
自信だけは人一倍だな……。
「それは違います。健康食品の商法には大きな問題がありますから、長続きはしませんでしたよ」
「そんなわけないだろ! コータローさんから聞いた、未来の商法だ! 永遠に利益が得られるはずだった!」
チェスターは、そう言って大げさに腕を横薙ぎに振った。
それは運営側の意見だ。確かに、マルチの元締めになれば半永久的に利益が得られる。だが、消費者のことを何も考えていない。チェスターには、客がただの養分にしか見えていないのだろう。
「あなたのせいでお客さんが破産しても、あなたは何も感じないんですね」
「どうせ努力をしない貧乏人だろ! そんな奴が何人破産しようが、私には関係ない!」
チェスターは自分以外の人を見下しているようだ。言葉の端々からそう感じられる。
「……そういう態度だから、お客さんが離れたんですよ」
解約を促したのは俺だが、普段から誠実に商売をしていれば、解約する人は多くなかったはずだ。チェスターの傲慢さが問題だった。
「それでも! お前が見習い共に余計な入れ知恵をしなければ、店は問題なかった!」
ああ……俺が労働組合に関わったことも知っているのか。意外と優秀な情報網をお持ちでいらっしゃるようだ。
となると、チェスターは組合の行動を妨害したのかな? もしそうだとすれば、強硬派が過激な手段に出たのも、なんとなく頷ける。
まあ、妨害されることは予想していたけどね。どうせ、チェスターに媚を売りたい一部の見習いが報告したんだろう。それも想定済みだ。だから俺は、労働組合に行動を急がせたんだよ。ゲリラ的に行動してほしかった。
「僕は提案しただけです。それを受け入れ、実行に移したのは彼らですよ」
「うるさいっ! お前が余計なことを言わなければ!」
チェスターは、また声を荒らげた。俺が何を言っても無駄だな……。残念だけど、修理費の回収は無理そうだ。交渉するコストと扉の修理費、どう考えても釣り合わない。
「僕のせいじゃないでしょう……。もういいです。ルーシアさん、警察を呼んでください」
「はいっ!」
ルーシアは、そう言って食堂の方へと掛けていった。裏口があるので、そこから外に出るのだろう。
「くそっ、もういい! 覚えてろ! 絶対に……」
「絶対に……? 許さない? 復讐する? 無駄ですよ。もう無理です。あなたが持っていた権力は、もうありません。力で勝とうとも思わないでくださいね。僕は剣闘士としても訓練していますから、素人には絶対に負けません」
堂々と宣言した。すると、チェスターは虚ろな目で俺を見据えて腕の力を抜いた。棍棒がゴロリと床に転がる。
「くそっ……どうしてこうなったんだよ……」
チェスターは、そう呟いて力なく膝をついた。観念したということだろうか。
「自業自得が半分と、あと半分は組む人を間違えた、そんなところですね。コータローさんと組んだのが、崩壊の始まりです」
さらっとコータローを悪者にしておく。あわよくばコータローを逆恨みしてくれないかなあ……。まあ、コータローと組まなければマルチ商法に手を出さなかっただろうから、あながち間違いでもないんだけど。
それに、レヴァント商会には、カレルを騙した詐欺師も関わっていた。俺は会えなかったけど、このことはギンが確認している。後ろ暗い人間が内部に居たことも問題の1つだ。
「そうか……」
チェスターは、ため息を吐くように呟いた。暴れる気配は感じられない。このまま警察を待つだけだな。
やがて警察が到着し、チェスターは連れて行かれた。連行されていくチェスターの姿は、かつての自信に満ち溢れていた姿を想像することもできないくらい、悲壮感が漂っていた。
うちの扉を破壊した罪なんて大したことはない。しかし、騒動の中心人物として裁きを受けるだろう。レヴァント商会がやったことは犯罪行為ではないが、社会に大きな不安と影響を与えた。その責任は取らされる。
そして、この件はトリスタンに利用されることが決定している。議長を引き摺り下ろすために、大きな問題として取り上げるだろう。チェスターにとって幸せな結末になるわけがない。良くて破産、悪くて死刑……どうなるかは、トリスタン次第だ。





