想定外
2枚目と3枚目の広告を配布してさらに数日。街は落ち着きを取り戻し、レヴァント商会の悪い噂だけが残った。レヴァント商会の会員を大きく減らすことができたはずだ。1枚目の広告の効果も合わせて、おそらく全盛期の半分くらいまで減らすことができただろう。
だが、成果は芳しくない。導火線に火を点ける……以前そんなことを考えた記憶がある。その導火線はどこかで消えてしまったような気がする。
今、騒動は収束しつつあるように感じる。依然として解約希望者は増えているようなのだが、俺が予想していた結果には至らなかった。
俺はもっと暴動に近い状態になると考えていた。この国の住民は、俺が思っていたよりも理性的で平和的だ。それはいいことなのだが、正直拙い。とても拙い。
状況を確認するために、不本意ながらもう一度メイを頼る。
「メイさん、ちょっといいですか?」
仕事中のメイに話し掛けた。
「どうしました?」
「先日のメイさんのご友人のことなんですけど、どうなりました?」
「どうって……何がですか?」
メイは不思議そうに言う。ちょっと言葉足らずだったかな。
「組合を作るように言いましたよね? その後、どうなったかが知りたいんです」
「ああ……私も聞いていませんね。仕事が終わったら行ってみます」
それでは遅い。組合が結成できないのなら、次の作戦を考える必要があるんだ。とにかく急ぎたい。
「いえ、今から行きましょう。今日は僕にも紹介してください」
前回、俺は陰から見ているだけだった。だが、今日はしっかりと対談する。もし組合の結成に消極的なら、説得を試みる予定だ。
「分かりました……」
幸い、店は暇だ。ルーシアに断りを入れて、メイを連れ出した。向かう先はレヴァント商会だ。
レヴァント商会の出入り口付近に隠れ、サリアが出てくるのを待つ。
「あの……いつまで待つんですか?」
メイが不安そうな表情を浮かべて言うが、それはさっき説明したばかりだろうに。
「メイさんのご友人が出てくるまでです。退屈でしょうけど、我慢してください」
「それは構わないんですけど、たぶん裏口に行った方が早いと思いますよ? 休憩のときに会えるかもしれません」
「……そういうことは早く言いましょうね」
呆れ顔でメイの肩を叩き、店の裏手に移動した。俺とメイが初めて会った場所だ。薄暗い路地になっていて、大きなゴミ箱の陰に隠れることもできる。
しかも、ここからだとレヴァント商会の事務所の声が丸聞こえだ。ちょっと耳を傾けてみよう。
「会頭様、拙いです。解約希望が殺到しています」
従業員の誰かとチェスターが話をしている。チェスターのやつ、まだこの街に留まっているのか。俺に対する牽制のつもりかな……。
「こんなふざけた広告に惑わされるな! 借金なんて、する奴が悪い! うちに何の責任があると言うんだ!」
お、スイレンの広告を見たのか。時間は掛かったが、上手く広まっているらしい。
「……でも、ここに書かれていることは事実です」
「何が事実か! 訳の分からない、誰が書いたかもわからない、クソみたいな外野の話だろう! そんなものは無視しろ!」
うん、それはある意味正しい意見だ。根も葉もない誹謗中傷なら、相手にするだけ時間の無駄だと考えるのも無理はない。
しかし、人の思い込みを舐めたらいけない。不確定な情報を真に受けて本気で恨み続ける人は、少数だが必ず居る。
ましてや、今回の広告は真実を告げている。積極的に火消しをしないと致命傷どころではなくなる。処置を間違えたら、数年後には店が潰れているだろう。
ただ、数年後では遅いんだよなあ……。俺はすぐにでも潰したいと思っているから、今の炎上が鎮火してしまうのは困る。
「解約は受け付けない! 今日は店じまいだ! 客を全員帰らせろ!」
チェスターの怒鳴り声が響き、扉の向こう側が静かになった。チェスターは従業員の進言も聞かず、無視する方針を固めたようだ。
内心『このまま無視を続けろ』と思うが、無視できない状況に持ち込まなければ、短期決戦は不可能だ。俺の計算では、従業員が勝手に動くはずだったのになあ。
もう少し経てば、仕事を終えた従業員たちが出てくるだろう。裏口が見える位置で静かに待つ……。
「あ、出てきましたね」
メイがそっと呟いた。その視線の先には、疲れた表情を浮かべたサリアが居る。見たところ、荷物を何も持っていないようだ。おそらく帰宅できるわけではないのだろう。ただの休憩だ。
「行きましょう」
俺がそう言うと、メイは一目散にサリアに駆け寄っていった。
「サリア!」
メイがサリアに声を掛ける。すると、サリアはぎょっとして振り向いた。サリアのその態度は、どこか緊張しているように見える。レヴァント商会への風当たりが厳しくなっているため、外に出ても気が抜けないのだろう。
「……なんだ、メイかあ」
サリアは「はぁ」と息を吐いて安堵の表情を見せる。
「今、話してもいい?」
「いいよ。何かあった?」
サリアはリラックスしたような声を出した。
「前に話をしてた、お世話になってる店主さんを連れてきたの。話があるんだって」
メイから紹介をされたので、サリアの前に姿を現す。
「はじめまして。メイの上司、ツカサです」
「どうも……。はじめまして、サリアです……」
俺がレヴァント商会の偵察に行った時、サリアは遠くから俺の顔を見たはずだ。しかし、どうやら覚えていないと見える。まあ、俺はすぐに帰ったので、よく見ていなかったのだろう。それについては問題ない。さっさと本題に入る。
「先日の提案なんですが、どうなりました?」
「組合の話ですね。賛成する人は多いんですけど、まだ結成できていません」
サリアは、落胆と困惑が混じったような複雑な表情をした。俺の提案は無駄に終わったのだろうか……。
「何故です?」
「みんな乗り気ではあるんですが、リーダーが決まらないんです」
「なるほど。誰もやりたがらないと?」
「いえ、逆です。立候補者が多すぎて……」
揉めているらしい。まいったな。レヴァント商会を叩くなら、騒動が起きている今だ。早くリーダーを決めてくれないと、行動開始が遅れて手遅れになるぞ。
組合を作るという案は、レヴァント商会の外側と内側、両方から叩くつもりで組合を提案した。今を逃すと、従業員の待遇が良くなるだけで解決してしまう。誰でもいいから、適当にリーダーになってくれないかなあ。
俺が返答に困っていると、メイがあっけらかんとした顔で手を挙げた。
「ツカサさんがリーダーになったらいいんじゃないですか?」
絶対に嫌だ。この組合のリーダーは、要するに嫌われ役だ。そうでなくても、俺は目立つことは避けたい。
表舞台に立ったら、絶対に誰かが敵に回る。今回の場合だと、コータローに関わって甘い汁を吸っている連中だ。そいつらには確実に恨まれる。敵だらけの環境で生きるなんて面倒なことは、二度としたくないんだよ。
「いいわけないでしょう。僕がやってどうするんですか。それを言うなら、メイさんがやります?」
「え!? ムリムリムリムリ!」
メイが食い気味に言い、首が取れそうなくらい首を横に振っている。とんでもなく嫌そうだ。
しかし、会議をしている時間がもったいないよなあ。ちょっと気の毒な気もするけど……サリアを生贄にして、ことを進めよう。
「でしょ? もっと適任が居ます。僕がフォローしますから、サリアさんがリーダーになってください」
滅茶苦茶適当な任命だが、立候補する人間よりはマシだと思う。
今回のリーダーは超高確率でクビになるだろうから、その後のことも考えなければならない。提案した責任をとって、俺かトリスタンが再就職先を斡旋することになるだろう。それを考えると、ある程度信用できる人間にしておきたい。
「……私ですか? 絶対に反対されると思いますよ?」
サリアは不安げに言う。リーダーになりたい人がたくさんいるのだから、反対されるのは当然かもしれない。だが、手はある。
「大丈夫です。騒動が収束したら、サリアさんはすぐに退任、退職してください。再就職先は僕が探しておきます」
任期を明確に定めておけば、反発は減るはずだ。
「え? もともと辞めるつもりではいましたけど、それは無責任じゃないですか? 交渉が終わったら、結果を見る前に辞めちゃうんですよね?」
「交渉が終わるまでの間に正式なリーダーを決めるんですよ。このまま時間だけが過ぎたら、事態は悪化するだけです。リーダーは誰でもいいので、すぐに行動してください」
主に俺の都合が悪い。できるだけ早く行動してほしい。そして、労使交渉が終わる頃にはリーダーを決める意味が無くなっていると思う。
「それなら納得してもらえそうですけど……」
サリアは腑に落ちたような表情で呟いた。このまま強引に決めてしまおう。
「そうと決まれば、よろしくお願いします」
「え? 本当に決まりなんですか?」
「どうせ辞めるんならいいじゃん。みんなには喜ばれるんじゃない?」
メイが軽い調子で後押しをした。でもたぶん、みんなに恨まれると思うよ。誰かを喜ばせれば、その分だけ誰かに恨まれる。リーダーとはそういう仕事だ。
「うぅん……メイがそう言うんだったら、やってみてもいいかなあ……」
「ありがとうございます。それでは、後日細かく打ち合わせをしましょうか」
「分かりました。ひとまず、私が仮のリーダーになるということを周知しておきますね」
サリアはそう言って店の中に戻っていった。全然休憩できてないと思うんだけど、大丈夫なのかな……。ちょっと悪いことをしたかもしれない。
まあ、なんにせよ、サリアを丸め込むことに成功した。本当は自発的に行動すると予想していたんだけど、思い通りにはならないものだなあ。他人を誘導するのは難しいわ。
後はチェスターが組合をどう対処するかだな。チェスターは労使交渉に慣れていないはずだから、たぶん先手を取れると思う。サリアには、気合を入れて頑張ってもらおう。





