痴漢暴行殺人(1)
二○○六年 六月……。
それは、梅雨時期の夕方に起こった。
「ああ、雨が降り始めちゃった。もう、清の馬鹿ッ! こんな日に迎えに来られないって、もう最悪」
薄い黄色のレディースーツに身を包んだ長身の女性が、頭にハンドバッグを当てて走り始めた。タイトスカートが足に纏わり付いていたのか、それともヒールの高い靴を履いている為なのか。いずれにせよ、走り難そうにしている。
「後で逢ったら、とっちめてやるから」
地団駄を踏んで口を尖らせた女性だった。
急いで待ち合わせの場所に向かっている様子だが、夜の七時頃とあって、外灯がないと周りが見えないほど視野が悪い。人はこの時間帯を魔の刻と呼ぶ。
東京都内のとある公園。その入り口で立ち止まった女性は、
「ここは…… 」
不安げな表情でゆっくりと辺りを見渡した。
それもその筈だ。巷でも薄気味悪いと有名なこの公園は、普段から人通りが少なく、何時からか痴漢が出るとの噂もたっていた。
入り口を見れば、『痴漢多発! 夜道は注意!』と書かれた大きな看板まで設置されていたのだ。
「ええッ! 痴漢だなんて。でも、ここを抜ければ、清との待ち合わせ場所まで一番の近道なんだけどな」
女性はポツリとそうもらした。
朝方はジョギングコースになっている公園の周り。だが一歩園内に踏み込めば、余り手入れが為されていない雑木林と、迷路のようになっている遊歩道などで、死角の多い造りとなっている。況してや、外灯が少ない為に昼間でも薄暗い。だから尚更、この時間帯になれば殆ど人気が無いのだ。
そんな公園を、若い女性が一人で横切ろうとしている。男性でも、薄気味の悪い場所での行動は避けたいものである。
スマートフォンから聞こえる呼び出し音。相手が電話口に出ない為に、いくら待っても鳴り止まなかった。痺れを切らした女性は、指を滑らせ電話を切った。
「携帯で電話しても、全然出てくんないんだもん」
バッグに携帯電話をしまった女性は、渋々、園内に入って行った。
次第に雨も激しくなり、その為にハイヒールの音は早くなっていった。
丁度、公園の真ん中あたりに差し掛かった時、いきなり女性が立ち止った。
「ああ、清へのプレゼントッ! 忘れて来ちゃった。どうしよう」
後ろに振り向いて奇抜な表情を見せる女性。しかし、その表情が次第に曇っていった。目線の先に映った光景は、更に深い闇だったのだ。所々で薄明かりを灯す水銀灯が、抱いている恐怖心を一層大きくしていた。
「どうしようかな。もう、雨じゃなきゃ取りに戻るんだけど」
困惑気味に眉を下げた女性は、その場で前と後ろをキョロキョロと見ている。そうこうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎているのだ。そして、何か吹っ切れた様に、
「もう、次にあった時に渡すとして、今日はこのまま行っちゃおう」
いい加減なもので、何の為のプレゼントなのか。女性はそのまま先に進もうとした。
その時、何かの気配を感じた女性だった。
いきなり真顔になって周りに神経を尖らせていた。そして、早く公園を過ぎ去ろうと速足で歩き始める女性だった。だが、その事が痣になってしまった。
人影のない中で、枝を揺さ振る音が女性を襲った。
「キャッ」
思わず声を出して立ち止った女性は、恐怖に震えながら周りを見渡す。そして、
「恐いよう。早く抜け出そう」
自分に言い聞かせる様にそう呟いた。だが、身体の震えが止まらない為に、足が竦んで思う様に前に進めなかった。
今にも泣きそうな顔の女性だったが、その場でじっとしていても、恐怖から逃れることは出来ないと考えた女性は、意を決してその場から駈け出そうとした。
その時である。
雑木林から不意に飛び出した黒い影が、女性の背後から襲って来たのである。
「……」
口を塞がれて声を出す事が出来ない女性は、そのまま雑木林の中に引き摺られて行った。
足をバタつかせながら、口を塞いでいる手を外そうと両手で必死に抵抗していた。だが、相手が長身だった事や、突然背後からの強襲だった事もあり、況してや、襲われた時の恐怖心で体が思う様に動かない事で、力の差に大きな開きがあったのだ。
木の間を引き摺られて、少し広い場所に出てきた。すると女性は、思いっきり地面に押し倒された。
「…… 痛ッ。誰よ?」
地面で頭を打った女性は、遠のく意識の中で振り返った。
女性の動きが鈍かったのか、一瞬の隙を衝いて上に覆い被さる人影だった。
しかし、抑えられまいと身体を捩って反転させた女性は、余りの恐怖に声は出せなかったものの、身の危険を回避しようと、迫ってくる人影に対して、必死に足をバタつかせて抵抗する女性だった。
だが、その決死の抵抗も空しく、襲い来る影が背後から馬乗りになったかと思うと、女性の長い髪の毛を掴んで引き寄せた。その痛みに仰け反る様に中腰になった女性は、その人影をひっぱたこうと振り返った。
しかし次の瞬間。その女性の顔面に激痛が走った。
「うっ」
殴られた痛みで声を上げる女性。一瞬、意識が飛んでいきそうになったのだが、遠のく意識で朦朧とした視界の中で、女性は暴行魔の顔を見ようとした。
薄らと開けた女性の目に飛び込んできたもの。それは、ニット製の覆面を被っている暴行魔の姿だった。その為に、相手が男なのか女なのかすら、全く区別がつかなかった。何れにせよ、正体を掴む事が出来なかったのだ。
その後も、再び殴り掛かる暴行魔。その行動は、女性に恐怖心を抱かせる為の暴力だった。そして、顔面を数発殴られた女性は意識を失ったのか、両手を地面に倒して抵抗を止めていた。
それを確認するかの様に、女性の手に握られたハンドバッグを取り上げた暴行魔は、離れた所にそのバッグを投げ捨てたのである。
その後、恐怖のあまりに動けなくなった女性の胸元に手を掛けた暴行魔は、着ている洋服を力任せに引き裂き始めたのである。
力が入らないまま抵抗出来ない女性の身体は、大きく揺さぶられるだけだった。そして見る見るうちに来ていた衣服を剥ぎ取られた女性は、下着だけの裸体が露わになっていた。
それから暫くは、暴行魔の為がままとなってしまった女性の身体だった。
その後、ゆっくりと立上った暴行魔は、投げ捨てたハンドバッグの方に歩いて行った。その間、長く感じる時間の中で女性の耳に届く音は、枯葉や草を踏む靴音だけだった。他には、公園の外の道路を走る車の音が、空しく耳に届くだけだったのだ。
倒れたまま、余りの悔しさに涙を流しながら空を見ている女性。
その時の心境は、救いを求めたい反面、今の状況を人に見られる事の方が怖かった。その為に、犯人が遠ざかっても声を上げることが出来なかったのだ。そして、それを解っていながら、ゆっくりと行動する犯人だったのである。
拾い上げたバッグを開け、バッグの中身を物色する暴行魔。手にした化粧品やポーチ等は、見る事も無くその場で捨てている。財布を見つけ出したかと思うと、中に入っていた金銭をポケットの中に入れていた。
その行動を眼で追う事も無く、空を見たまま倒れている女性だったが、どうしても腑に落ちない違和感の様な物を感じていた。
「あなた、一体何のまねなの」
倒れたまま、静かな口調でそう呟いた。
少し離れた所でバッグの中身を探っていた暴行魔だったが、女性の放った言葉を聞いた途端に、持っていたハンドバッグをその場に投げ捨てた。
「……」
無言のまま、倒れている女性を睨みつける暴行魔。
そんな暴行魔に向かって、女性は奇妙な言葉を発した。
「それでも私を襲ったつもりなの。一体何が目的なのよ」
強い口調でそう叫んだのである。その時、何故か恐怖心を感じられない女性だった。
すると、さっきまでじっと見ているだけの暴行魔だったが、震える手を握りしめていた。
暫くして女性の方に足音が近寄って来たかと思うと、それに気付いた女性が暴行魔の方に眼をやった。
その時だった。女性の目前が真っ暗になったかと思うと、何かが潰される様な鈍い音と共に、女性の身体が跳ね上がったのである。
「ぐっ」
声が殺される女性だった。そして、暴行魔が女性目掛けて振り下ろしていた物は、横に転がっていた大きな石だった。その後も数回にわたって鈍い音がする中、女性の身体も大きく跳ね上がっていた。




