消えた親友
レストランでの結衣との会話が、どうしても脳裏から離れなかった。
湊は帰宅すると、即座に『Re:Edit』を起動した。
完璧な履歴の中で、結衣が言った「公園で泣いた日」の欠片を探した。結果は、やはり何も出てこない。
――いや、待て。何かがある。
アプリの「除外フォルダ」という項目に、見覚えのないログが一つだけ残っていた。
そこには『2018年冬・喧嘩の記憶』と記されている。
湊は、自分が人生を最適化する過程で、単に「不快だから」という理由だけで、適当にカットしていたノイズの一つだった。
何と喧嘩したのか、それすらも今の湊には思い出せない。
ただ、無性にその記憶を復元してみたいという衝動に駆られた。
指先一つで「RESTORE(復元)」を選択する。
世界が激しく歪んだ。
脳内に、これまでになかった熱い記憶が雪崩れ込んでくる。
冬の公園。極寒の夜。
湊は、当時の親友だった健太と激しく殴り合っていた。
就職活動の挫折を、友人のせいにして八つ当たりした。
健太は泣きながら、それでも湊の襟首を掴んで「俺たちは、逃げずにここで踏ん張るんだろ!」と叫んでいた。
その直後、二人は凍えるベンチで夜通し語り合い、互いの弱さを認め合って、親友としての絆を深めたはずだった。
記憶が戻った瞬間、湊はソファに座り込んで荒い息を吐いた。
そうか、あれがあったから、自分は今の自分になれたんだ。
あの泥臭い夜が、自分の骨格を作っていたんだ。
興奮した湊は、すぐに健太に電話をかけようとして、スマートフォンの中を探した。
連絡先……ない。
LINEの履歴……ない。
写真フォルダ……健太の姿は、すべて「見知らぬ風景」や「ぼやけた背景」に置き換わっている。
湊は震える足で外へ飛び出した。
健太の働いているはずの会社へ向かう。
記憶の中の彼を追い求め、必死にオフィスビルを彷徨う。
受付で名前を告げても、そんな人間は在籍していないと言われる。
街中を走り回り、あの時一緒に飲んだ居酒屋へ辿り着いた。
店主にも聞いた。だが、誰一人として健太という男を知らない。
立ち尽くす湊の視界に、ふと、一人で歩く健太の姿が映った。
湊は駆け寄り、その肩を掴んだ。
「健太! お前、なんで……!」
振り向いた健太の目は、氷のように冷たかった。
「……どちら様でしょうか。人違いですよ」
その瞳には、かつて湊と語り合った熱い記憶など欠片もなかった。
湊が過去を「編集」して失敗の痛みを消した瞬間、その失敗を共に乗り越えた健太という存在との「関わり」そのものが、因果律から消失していたのだ。
喧嘩という「マイナス」を消した結果、そこから生まれたはずの「絆」というプラスの成果まで、一緒に消滅してしまった。
湊は、ただ立ち尽くした。
自分が完璧になるたびに、誰かが自分の中から消えていく。
成功の代償として、誰かの人生から自分の影が薄まっていく。
背後で、スマホが静かに通知を鳴らした。
『編集履歴が更新されました。:友人との関係性 除外成功』
それはアプリからの祝福なのか、それとも呪いなのか。
湊は、自分の掌を見つめた。
そこにはもう、他人の温もりを掴んだ感触すら残っていなかった。
彼は手に入れたはずの「理想の人生」の中で、かつてないほど孤独に震えていた。




