第三十八話 囮と呼ばれた記憶
ギルドに戻ると、既に情報が入っていた。
受付嬢の表情が険しい。普段のそばかす顔から、血の気が引いている。
カウンターの上に報告書が散乱し、他の冒険者たちが不安そうに立ち尽くしている。
勇者パーティが深部で上位種と交戦中。
当初の想定より個体数が多く、戦闘が長引いているという。
森の近くにいた猟師が、断続的な爆発音と金属音を聞いたと証言している。
受付嬢が言う。
「撤退の連絡はまだありません。勇者パーティから応援要請も出ていません」
「要請が出てないのに、こっちが入っていいのか」レインが聞く。
「正式には、要請がない限り他パーティの介入は控えるのが原則です。王命討伐隊の管轄に、一般冒険者が許可なく入ることは規約違反になります。ただ……」
受付嬢は言いにくそうに続けた。唇を噛み、言葉を選んでいる。
「夕方までに連絡がなければ、ギルドとして確認隊を出す判断になるかもしれません。支部長に相談しています」
夕方まで。
あと四時間。
セラは窓の外を見た。
空はまだ明るいが、冬の日は短い。
冬至を過ぎたとはいえ、日没は早い。五時を過ぎれば薄暗くなり、六時には闇が落ちる。
暗くなれば森の中の危険度は跳ね上がる。
視界が効かない中での戦闘は、魔物の方が有利だ。
四時間。
四時間あれば、人は死ぬ。
前世のセラは、最終戦で三十分もたなかった。
◇
ギルドのロビーで待機することになった。
確認隊が出る場合、Aランクのセラたちが先導する可能性が高い。
すぐに動けるよう、装備を整えて待つ。
レインは矢の本数を確認し、弦の張りを調整している。
アネスは回復薬と包帯の在庫を数え直し、緊急用の薬草を追加で購入してきた。
アルドは地図を広げ、西側への最短ルートと退避経路を確認している。
セラは椅子に座り、触媒の小瓶を膝の上に並べた。
五本。火山灰二本、鉱石粉一本、氷結用の蒸留水二本。
魔力の残量は九割。午前の哨戒で三割使ったが、出発までには回復するはず。
手は動いている。装備の確認は身体が覚えている。
だが頭の中は、別の場所にあった。
前世の記憶が、止まらない。
ユリウスの戦い方。
想定が崩れた時の判断パターン。
彼は撤退を選ばない。
撤退は”負け”だからだ。勇者が負けを認めることは、彼の世界観では許されない。
代わりに、手持ちの駒を使って状況を打開する。
“一番消耗しても問題ない駒”。
それは常に、四人目だった。
前世ではセラだった。
今世ではリーネだ。
記憶が鮮明に蘇る。
魔王城の最深部。暗く、広い空間。天井が見えないほど高い。
魔王の本体が想定の三倍の強さだった。
ユリウスの聖剣が弾かれ、カイルの盾が罅割れ、ディーノの支援が追いつかない。
その時、ユリウスが振り返った。
金の髪。青い目。自信に満ちた顔が、初めて焦りを見せた。
“セラ。前に出ろ”。
“え?”
“お前が引きつけている間に、俺が側面から本体を叩く”。
“でも、前に出たら……私、防御が――”
“魔導士は防御が脆い。だから敵の注意を引きやすい。合理的だろう”。
合理的。
その言葉で、セラの命は天秤に乗った。
そして天秤は、ユリウスの側に傾いた。
セラは前に出た。
囮になった。
魔王の攻撃を引きつけ、ユリウスに隙を作った。
ユリウスは聖剣を振るった。
そして――振り返らなかった。
セラが倒れた時、誰も戻ってこなかった。
足音が遠ざかった。
暗い空間の中で、一人で。
最後に見たのは、天井の暗闇だった。
◇
セラは拳を膝に押し当てた。
爪が手のひらに食い込む。
半月型の跡が、白い肌に赤く残る。
アネスが隣に座った。
音もなく。気配だけがそっと近づいた。
「手、力入ってる」
「……すみません」
「謝らなくていい。でも、爪は止めて。手を傷つけても何も解決しない」
アネスが静かにセラの拳を開かせた。
片手ずつ。指を一本ずつ起こすように。
手のひらに、爪の跡が四つ残っている。
アネスはそれを見て、何も言わなかった。
代わりに、自分の手のひらをセラの手のひらに重ねた。
温かい。
治癒士の手は、いつも温かい。
「セラ。あの魔導士の子のこと、他人事じゃないんだね」
「……はい」
「理由は聞かない。聞かなくても、身体が答えてるから」
セラの手の震え。拳の力。爪の跡。
全部が、言葉より雄弁に語っている。
「でも一つだけ。助けに行くなら、冷静に行って。感情で動くと、助けられるものも助けられなくなる」
アネスの言葉は正しかった。
感情で動けば判断が鈍る。前世で何度も経験した。
怒りに任せて前に出て、隙を作って、傷を負った。
感情は燃料にはなるが、舵にはならない。
でも。
冷静でいられるか。
あの時の自分と同じ顔をした女の子が、同じ場所で、同じ目に遭おうとしている。
冷静でいろ、と言われて、いられるのか。
答えが出ないまま、時間だけが過ぎる。
窓の外の日差しが傾いていく。影が長くなる。
◇
夕方の報告期限が近づいた頃、ギルドの扉が勢いよく開いた。
森の近くにいた薬草採りの老人が、走って戻ってきたのだ。
白髪の老人で、背中の籠が半分ひっくり返っている。
息を切らし、顔が真っ赤で、額に汗が光っている。
受付に駆け寄り、叫んだ。
「森の西側で、若い女の子が一人で戦ってるのを見た! 他の三人は奥に行っちまって、あの子だけ残されてる! 殻の化け物が二匹、あの子を囲んでた!」
ギルドのロビーが凍った。
冒険者たちが一斉に息を呑む。
セラの心臓が止まった。
残されている。
一人で。
殻の化け物に囲まれて。
前世と同じだ。
同じことが起きている。
脳裏に映像が走った。
魔王城の暗闘。倒れるセラ。遠ざかる足音。
天井の暗闇。
それが、今、リーネに起きている。
セラは立ち上がっていた。
椅子が後ろに倒れる音がした。
アルドがセラを見た。
セラもアルドを見た。
アルドの目は、セラの答えを待っていなかった。
もう決まっている、という目だった。
言葉は要らなかった。




