亜人転生禄
「順を追って話そうか。――君は昨日死んだ、これは間違いない」
自らをレイと呼ぶ青年は、そう言ってコートの内側のポケットから、見覚えのある庖丁を取り出した。その庖丁にはしっかりと赤い液体が付着されており、私は反射的に左手首へと視線を移す。
「でも、死んでないわ」
「あぁ。そうだな……確かに君は死んだ。しかし、生き返ったんだ、別の生き物としてね」
別の生き物、という奇妙な単語を発しながら、レイは続ける。
「別の生き物といっても、見た目も中身も人間と変わりない。普通に生きるだけなら、その辺の人間よりは丈夫だ、程度にしか思わないだろう」
「丈夫……この傷跡も、そういう事?」
「あぁ。俺達「亜人」の血には、そういった力がある。病気なんて滅多にしない、傷ついてもすぐ治る。良い事尽くめだ。これを君の中に、少量入れ込んだ」
そういいつつ、レイは突然、見世物のようにその庖丁で自らの腕を斬って見せた。
一瞬驚いたが、僅かな間に傷は癒えていき、ものの数秒で完全に塞がる。
確かに、別の生き物という表現は間違っていない。
「そんな亜人……が、なんで私を助けたんですか」
「問題はそこなんだよ、有栖川美羽」
待っていましたと言わんばかりに、レイは再びコートの内ポケットから何かを取り出す。出てきたのは、密封の小さな袋。
案の定、レイはそれをこちらに投げてきた。
(――なに、これ)
受け取って見ると、袋の中にいるのは、どうやら小さな蜘蛛のような生き物。
すでに息絶えているのかまったく動かないが、死してなお不気味な存在感を出していた。
「こいつはな、人間の脳内に寄生して、自殺に追い込む虫なんだよ」
「自殺……追い込む……?」
「人間誰しも「死にたい」とは考える。しかしそれを行動に起こさないのは、動物としての本能だ。しかしこいつ、「蜘蛛」は、その本能を鈍らせる」
私は死んだ日の事を思い出しながら、ただただ黙して聞いた。
「簡単にいえば、君は自殺したんじゃない、こいつに殺されたんだよ。そして俺がたまたま助けた……そんなところだ」
要約すると、この蜘蛛が有栖川美羽の脳内に巣食って、今回の自殺騒動を引き起こした……という事か。私はそう認識すると同時、目の前で死んでいる蜘蛛が、つい昨日まで脳内にいた事に吐き気を催した。
「さて、有栖川美羽。気持ち悪い話のところ申し訳ないが、こちらも少々時間が無い。ここから、君は決断しなければならない事がある」
「――決断?」
「あぁ。昨日今日の事を綺麗さっぱり忘れて、人間社会へと戻るのも一興。俺と共にこの蜘蛛を殺すのも、また一興だ」
「私が、手伝う? この蜘蛛を、殺す?」
唐突な提案に、私はベッドから落ちそうになる。
その際、私は癖で眼鏡の位置を直そうとするが、今更になって裸眼である事に気づいた。どうやら亜人の血とやらで、眼鏡の必要性すらなくなったらしい。
レイは私の行為を見ながら、フッと失笑気味に笑った。
「現状、君は不思議な立場にいる。人間でありながら蜘蛛から生き延び、さらに亜人の血が混じっている。長い歴史の中でも、君は相当特殊な例だ」
「――何を手伝うっていうの? 私は何も知らないわよ」
「それは今知る必要はない。どちらにせよ、こちら側に来たらもう二度と日常には戻れない。それに、今度こそ死ぬかもしれない」
レイは立ち上がり、窓の外の景色を見ながら言った。
私はその背から、何とも言えない哀愁のような空気を感じとる。
それが何を意味するのかは分からない。ただ、最後の脅しのような言葉は、レイなりの優しさなのだろう。
(―――あぁ、なるほど)
しばらくして、私はレイの気持ちを悟った。
もしかしたら、レイは私を生き返らせた事を後悔しているのかもしれない、と。
考える必要もなく、私はどちらの道を選んでもきっと不幸なのだ。
人間社会に戻っても、もう一つの世界へ溶け込んでも、私は幸せにはならない。
何よりそれを、恐らくレイ自身が一番知っている。
ならばこそ、あそこで死んでいた方が楽だったのかもしれない。
レイはそう考えているのかもしれない、と。
……しかし、だ。
……しかし、仮にそうならば。
(いまさら、よね)
ここまで思考した私は、先ほどまでの吐き気は何処へやら、少し深呼吸をしてゆっくりと立ち上がる。さすが亜人の血といったところか、自殺による体力の低下すらまったく感じなかった。
「――私のせいで両親が死んで、私のせいでお爺ちゃんが死んで、私のせいで本が死んだ。これが、有栖川美羽の人間としての人生だったのよ。恐らくそれは、これからも変わらない」
「……」
「私は逆の人生が良かったわ。私のお陰で誰かが生きる、そんな有栖川美羽が良かったわ」
レイはこちらを向き、窓へ体を預けるような体勢をとった。
私は好都合と言わんばかりに近寄り、レイの着ているコートの中へと手を入れる。
「これが私の答えよ」
しまわれた血に染まった庖丁を握りしめ、叫ぶ。
様々な疑問を頭に抱え込みながら生きる人生なんて、
本に逃げる人生なんて、
人から逃げる人生なんて、
有栖川美羽にはもう必要のない人生だ。
――これからは、亜人として生きる。
私は、その決意表明と言わんばかりに、庖丁を引き抜いて持っていた蜘蛛に突き刺した。
「教えて、蜘蛛の殺し方を」
レイは初めて、心の底からの笑顔をしながら大きく首を縦に振るのだった。




