日日是好日
退学の手続きは、予想以上に簡単だった。
金銭面による諸事情――という表面上の言い訳は、大人には効果抜群である。実際のところは両親の死亡事故による保険などで、まだ僅かに残っているが、それはもう別のところに使う予定のもの。
もちろん簡単と言っても、担任含め校長などが出てきて最初は必死になって止められた。が、ずっと黙して静かにしていた私に対して、最終的には「残念だ」と言わせる結果となった。
「さて、改めて自己紹介をしようか」
とある喫茶店で、その退学の書類を見ながらレイは呟く。頑張れば「高校生活を続けながらでも問題ない」とは一応言われていたのだが、そんな二足の草鞋を履く気はさらさら無い。
「俺の名はレイ・フォーク。この世界とは違う世界から来た、亜人と呼ばれる者だ」
「違う世界?」
「あぁ。そうだな……魔界、とでもいおうか。そこでは何千年もの間、毎日のように俺らは「蜘蛛」と戦っている」
レイはブラックのコーヒーを少しずつ飲み、私の反応を見ながら話しを進める。
「蜘蛛は魔界で俺達と戦うのを諦め、他の世界へ進出して力を蓄えている。そのうちの一つが、この地球だ」
「――えっと、ちょっと話が大きすぎるわ」
「そうだな、とりあえず俺達亜人、そして蜘蛛は違う世界から来た、という事を覚えておいて欲しい。そして互いに人間と敵対するのを回避して、隠れている状態だ」
「お互い? でも蜘蛛は人間の脳に卵を植え付けるんでしょう? どうせなら人間と協力するっていう手はあるんじゃないの?」
レイはその反応も予測済みだったのか、コーヒーを置いて大きく一回深呼吸した。
「以前、違う世界でそういう行動を起こした奴がいたんだ。人間と結託して蜘蛛を倒そうってな」
「……」
「結果は、蜘蛛のほとんどを退治した後、人間が俺達亜人を恐れて殺しにかかってきた」
悲愴の眼と共に懐かしそうに話すレイに、私はふと「その場にいたのか」という疑問を抱く。が、それは決して口にしてはならない境界線だと思いなおし、頼んだ紅茶ごと飲み込んだ。
「最終的には亜人と人間の戦いになり、結果蜘蛛が力を付けてしまう形になった。戦争というのも、蜘蛛からすれば御馳走だろうからな」
「戦争が御馳走...? あの、話を挟み込んで悪いんだけど、そもそも蜘蛛ってなんで自殺に追い込むの?」
「蜘蛛はな、人間の「怨念」を餌に成長するんだよ」
怨念、という単語を聞くと同時に、私はあの自殺した日を思い出す。
なるほど、あの時の「死ね」と言うもう一人の有栖川の正体が、それなのだろう。
「人の怨念は死ぬ瞬間に最も膨れ上がる。そしてそれは「死ぬ間際に恨み辛みの多い人間ほど」大きく膨れ上がる」
「蜘蛛にとって一番美味しい時期なのね」
「そういう事だ」
レイは飲み干したコーヒーを机に置き、それを見て私は近くにいた店員に追加を注文する。
今更だが、喫茶店で凄い内容の会話をしているが、どうやらレイ曰く「人間には聞こえていない」らしい。店員も「この人達何も喋らないな」といった顔をしながら注文を聞いており、相変わらず亜人とやらは謎だらけだ。
「こういう技術……のようなものも、亜人の力なの?」
せっかくの機会なので、私は聞いてみる事にした。
レイは一瞬考え込む素振りを見せ、返答する。
「そうだ。この世界ではこういった力を「魔法」というらしいな。亜人なら強弱はあれど、皆使えるさ」
「ということは、私も?」
「君も使おうと思えば使える。しかしまだ亜人の血に馴染んでいない今は、少し危ない。時期を見計らって覚えて貰う」
魔法、亜人、と中々ファンタジーな単語が飛び出しながら、話は進む。
正直亜人の血が混じったといっても、まだその力は自分の目で確認出来ていない。
唯一助かっているのは、眼鏡が必要じゃなくなった事ぐらいだ。
「どちらにせよ魔法が使えないと、蜘蛛は倒せない。故にまず君は、しばらく俺と行動して、亜人の血に慣れて貰う」
レイはそういうと、メモを取り出して住所を記入し始めた
ここから少し離れた山奥のようで、いかにも「隠れ住んでいます」というのが目に見えてわかるような場所だった。
「亜人の俺が近くにいれば、蜘蛛は早々姿を現す事は無い。君はまず身の回りの整理をして、必要なものだけこっちに移してほしい」
「―-必要なもの...?」
ぱっと思い浮かぶ必要なものというのは携帯と財布程度のものであり、強いていうなら小説ぐらいの話だった。しかしその小説も、学校の図書館で借りた物ばかりなので、家にあるのは精々数冊程度。
となると、今度は身内が残ってくる。
(お婆ちゃんには言わないでいいよね)
今回の件、当然祖母は知らないし、言っていない。
というより、知ったところで意味があるとも思えない。
それほどに我が子、そして夫を亡くした傷は深いものである事は、重々に承知しているし、むしろ状態を悪化させる原因にすらなりえる。
しかし逆に言えば、私の意志に反対するような人は、誰もいないという事だ。
私は、唐突に退学しても誰も文句一つ言いに来ない人生の身軽さに感謝する一方で、何時の間にかレイから渡されたメモを見て
(―――通い妻みたい)
と僅かに頬を染められる程度には、亜人に馴染んでいたのだった。




