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現実という名の幻想

 夕刻、俺は基地内の食堂に来ていた。

 無人のカウンターでオムライスのトレイを受け取るがバックヤードには誰もおらず、食器洗浄機の水音だけが遠巻きに響いてくる。

 昼時はパイロットでごった返す食堂だが、今は遅い時間というのもあってか俺一人だけ。貸し切りみたいで何故か高揚する。

 俺は満面の笑みで、ふわとろのオムライスをスプーンで掬っていた。そうしていたら、入口に新たな来訪者の姿が見えた。

 黒髪を後ろで結った武波瑠希乃。模擬戦上がりなのか、俺と同じパイロットスーツのままだ。


「珍しいわね。こんな時間に食事なんて」

 そう言いながら向かい側の席に座る。瑠希乃のオーダーはカツ丼大盛。意外と食うんだな。


「さっきまで模擬戦やってたんだよ。ていうか、ボレアスだって海上にいただろ」

「それもそうね」

 瑠希乃はおもむろに箸を割ると、頂きますの挨拶と共にカツ丼を食べ始めた。

 俺もオムライスを黙々と食べる。暫くの間、食堂内を沈黙が支配する。


「それにしても、まさかHFのプログラマーがアライドに参加してるなんてね」

 瑠希乃はそう言いながら、お冷に口を付ける。


「ああ……全く考えてなかったよ。この世界にいるのってプレイヤーサイドの人間だけじゃないんだな」

 俺がスプーンをおいて天井を見上げると、瑠希乃は黙って頷いた。


「本当にね。プログラムのメンテでダイブする事でもあるのかしらね」

 丼を置きながら、瑠希乃はふうと小さく息を吐く。酷薄そうな笑み。


「それで運悪く閉じ込められたとかか。……じゃ、行くか」

 俺も少し遅れてオムライスを完食する。というか瑠希乃食事するの早すぎ。


「ええ」

 二人で目を合わせて席を発とうとする。その時だった。


「あーあ。やっぱ空軍だけの基地だから狭いな。ジンギスカン定食とかは流石にないよな」

「当たり前だろ。ここは千歳じゃないんだ」

 がやがやと団体が食堂に入ってくる。全員が同じ灰色のパイロットスーツ。それに少し遅れて入ってきた人物に目を疑う。


「「……!」」

 瑠希乃と同時に固まっていた。

 彼らの後ろにいたのは、かっちりした軍服に身を包んだ長束紘一郎だった。


「ああ、すまんね。気にしないでくれ」

 長束はこちらを一瞥すると、そう声を掛けるのだが、俺と瑠希乃は席に座ったまま。一団が落ち着くのを見守る事しかできない。

 一応上官だ。こういう場に居合わせた時の対応をどうするべきか俺は必死に巡らせる。

 そうこうしている間に部下らしいパイロット達がカウンターに並び始めた。メニューを選んでいるのだろう。彼らの雑談で一気に賑わい始める食堂内。


「そうだ……」

 長束は俺達の方を見ると、並んでいた列から離れ、何と俺達の席にやってきた。


「ところで――君達は同じ部隊なのか?」

「いえ。俺と瑠希乃は違う部隊で……」

「私はボレアス隊。こちらの大澄少尉はテンペスト隊に所属しております」

「ほう……」

 瑠希乃の放った堅苦しい敬語に苦笑いしながら、長束は空いていた椅子に座る。


「隊同士でコミュニケーションを取るのは良い事だ。作戦中の予期しない事態への対処も、互いの信頼関係があってこそ成り立つからね」

「はあ、確かに……」

 言われるがまま、俺は相槌を打つ事しか出来ない。この辺、良く出来た瑠希乃とのコミュニケーション能力の差に自己嫌悪に陥る。


「……」

 すると、強烈な視線を感じる。見ると、少し離れた席で一人座り食事をする女性がいた。

 彼女も長束と同じ軍服姿のまま。確か、ブリーフィング中に長束の後ろにいた女将校だ。


「ああ、悪いね」

 会話が途絶えた俺に、長束が気づく。

 向いた先で、彼女は眼鏡をくいと持ち上げ、こちらをけん制している。

 長束は温厚そうな笑みを浮かべながら手のひらを組みなおす。


「彼女は藍原夏姫あいはらなつき。私の率いるランページ隊の二番機だ。そして向こうのテーブルにいる連中が――」

 そう言ってざっくりと人の紹介を始める。どうやら、長束は作戦参謀をする他に、独自の戦闘機部隊も率いているらしい。藍原と呼ばれた女将校は多分、隊長の長束が俺達と仲良くしているのが気に食わないのだろう。

 ランページ隊の面々は威圧感に溢れていて、とてもじゃないが話しかけられる雰囲気ではない。しかし、その中で、長束だけは恐怖心を抱かず対峙出来るのだ。


「長束さんは参謀なのに自分の隊を持っているんですか?」

 そこまでやり取りした上で、初めて瑠希乃が質問をぶつける。

 その眼は真剣なまま。これから空戦でも始めるのかって言うような顔をしている。


「いや……私だって一応プレイヤーの端くれだからね」

 長束は困ったように頬を掻き、遠くの藍原と眼を合わせる。そしてコップの水を一口飲む。


「一応、私の指揮下でデバッグを行っていた者達もいたんだ。ゲームをシステムから勝手知ったる分、効率よく敵を狩れるからな。尤も――それでも大分死んだがね」

 そう言って長束は遠い目でぼんやりと天井を見上げた。

 ここに来るまで多くの死地を経験したのだろう。皺に塗れた眼が、それを物語っている。


「それは辛い事を聞きました……」

 瑠希乃も沈痛そうな表情を浮かべて頷き返した。彼女もまた、これまでの戦いで多くの仲間を失っているのだ。そんな瑠希乃を見て、長束はふむと小さく唸る。


「武波瑠希乃少尉と言ったね。不安か?」

「……えっ」

 長束は全てを見通すかのような目で、瑠希乃をじっと見つめていた。


「これからの空戦、自分もいつか空に散るかもしれない。その死への恐れは君にはあるのか?」

 その単刀直入な問いに、瑠希乃は驚きの表情を浮かべていたが、


「……はい。勿論ですよ。長束さんは怖くないんですか?」

 小さく頷く。

 そうか。と漏らした後で長束は椅子にもたれた。


「私も似たようなものさ。だがな……」

 暫くの間、時間が流れ、長束が閉ざしていた瞼を開く。


「所詮アンネームドなど敵役だ。我々がこの世界を作ったのに越えられないNPCの敵がいてたまるか」

 どこか力強い口調。

 その眼にはアンネームドを潰すという、この世界に閉じ込められた兵士ならば誰もが抱いている覚悟があった。


「…………」

 瑠希乃はじっと目を合わせたまま何も答えない。


「まあ、自らHFというゲームを作り上げたプログラマーとしての過信かもしれないがな。だが、それでも――私はそう信じている」

 そう言って、口角を綻ばせると長束の表情は父親のような優しい物に変わる。

 一瞬、彼にもまた家庭があって子供や奥さんもいたのかな、と考える。

 俺や瑠希乃よりも幾分かは歳は下だったりして、帰ってきたら今みたいに笑って子供達を可愛がる、そんなイメージ。

 だが、それはこの世界では幻想のようなものになってしまった。

 俺達はただ戦う。この世界から出る為に生きるか死ぬか、それだけ。

 そう思った瞬間、俺の心の中をとても空虚な風が流れた。


「私は」

 言い出した瑠希乃の言葉を聞いてはっとする。

 それと同時に、ここで声を発してくれた彼女に心底安堵を覚えた。

 これ以上考え込んでいたら、俺はおかしな方向にいってしまったかもしれない。


「私は――死ぬのは絶対嫌です。けど、このまま黙っていても……いつか奴らに攻め滅ぼされるだけだから、だから戦ってます」

 その言葉に俺はガツンと後頭部を叩かれたような感覚に陥る。

 それはまさにあの日、校庭に不時着したブルーバックに乗り込む時に俺が抱いたのと同じ物だったからだ。

 あの時は今みたいに恐怖だとか、HF乗りとしてのあれこれ複雑な物まで考えていなかったのかもしれない。

 ただ、皆と一緒にこの世界を脱したかった。そんな、とてもシンプルな気持ち。


「だからこそ、君達はこの電子の空を飛ぶ、本物のエースだと言える。これは気休めかもしれないが……私のような過信が無い分、君達は強いはずだ」

 そう言って長束は俺の方もちらと見る。俺はその言葉に全力で頷き返した。


「はは。そっちのエースパイロットはやる気満々だね」

 馬鹿正直な俺の顔を見て温かな笑みを浮かべる長束。


「身を以て経験してきた君達の実力は本物だ……誇りを持て」

「だから、私にあの機体をくれたのですか?」

 瑠希乃はじっと彼の目を見ていた。

 彼女が何を考えているのか、俺には分からない。


「あの機体……?」

 俺が尋ねると、瑠希乃はむくれたような顔をする。可愛い。


「ほら、雪山で大澄君を救助しに行ったときの」

「ああ!」

 一瞬、何言ってんだこの二人とか思ってたけど、すぐに思い出した。

 会話に置き去り喰らって適当に相槌打つだけの存在になっていた、現実の高校生活を思い出しちゃったじゃないか。

 瑠希乃が言っているのは、彼女がアルプスで乗っていた青いダブルデルタ翼の新型機の事だ。

 あれをデザインしたのはHFのプログラマーである長束紘一郎なのだという。


「春人君。君にもあの機体を用意している。明日の朝で構わん。ハンガーに来てくれるかな?」

 と、唐突にそんな事を言い出す長束。


「マジですか……」

「それを伝えたくてね。後でメールしておくよ」

 突然会話の矢面に立たされ、しかも思って思いない新型機受領の辞令だ。

 俺はぽかんとしながら長束を見上げていた。


「あ、嬉しいんだ?」

 瑠希乃が俺を覗き込んで笑った。黒髪ポニーテールが頬にまではらりと垂れ込んでいる。


「べ、別に……」

 顔を逸らす俺を見て、瑠希乃はクスクスと笑っている。そんなやりとりを長束はどこか微笑ましい父親のような笑顔で見守っている。


「そう言う事だ。夕飯の邪魔をしてしまったね」

 最後にそう付け加えて、長束は部下達のテーブルへと戻っていくのだった。



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