闇夜に震える少女(教会サイド)
ユーマたちが突然の襲撃の恐怖を落ち着かせていたのと同じ時、1人の少女もまた同じように恐怖と戦っていた。
ボロボロの布切れを身にまとった少女が、暗い部屋の中で1人震えている。
部屋の中には、青い炎のろうそくが一本立っているだけで、それ以外に部屋を照らしてくれるものは何もない。
暗闇の中、小さな物置部屋の隅っこで、少女はうずくまっていた。
昼であれば、白魔導士をたたえその恩恵にあずかろうとやって来る参拝者の物音が彼女のいる部屋にまで響き渡って来る。
しかし闇に覆われた夜更けでは、部屋は静寂に包まれ、少女の怯えるような鼻息が自分の耳にも聞こえてくるのだった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
少女はずっと一人でつぶやいている。
部屋の中に誰かがいるわけではない。
それでも少女は謝り続けていた。
弱い自分に対して。
そして、これから来るであろう自分の主に対して。
少女の中で、先刻の映像が何度もフラッシュバックされる。
主の命で向かった暗殺の任務。
1人の魔導士を殺すだけの簡単な任務のはずだった。
『絶対に殺してかえってこいよ』
しかし、簡単な任務であるはずなのに、命令を下した主の圧が今まで以上に強かった。
理由を聞いても、主は答えてくれない。
ただ、何があっても失敗をするなと念を押されるだけだった。
絶対に失敗できない。
暗殺を生業とする彼女にとって、それは当たり前のことである。
しかし、これまでと明らかに違う主の圧が、逆に彼女に大きな重荷となってしまった。
絶対に失敗できないという暗示が、呪いのように彼女の頭の中に回り続け、いつもならしない力み方を彼女にさせてしまった。
その結果、彼女の思いは殺気に変わり、ターゲットの護衛に発覚される事態に陥ってしまった。
ーー失敗した。
攻撃を終えた手ごたえのなさに、彼女はすぐに察した。
ターゲット側からも反撃が飛んでくる。
自分の存在も完全に敵側にばれてしまった。
その事実が、彼女の頭の中を真っ白にした。
小さい頃から暗殺者として主に育て上げられて、10年以上。
確実にターゲットをしとめることだけを生業としてきた彼女にとって、初めての経験だった。
どうしたらいいのかわからない少女は、消えるようにしてその場を立ち去ってしまった。
ターゲットはどうなったか?ーーきっと生きているだろう。
追撃をするべきか?
考えることはたくさんあったが、彼女の頭の中にはそんなことを考える余裕はもうなかった。
彼女の頭の中にあったのは、確実にターゲットをしとめきれなかったことに対する、主への恐怖だけだった。
絶対に失敗してはいけないと言われていた任務を失敗してしまった。
どれだけのお仕置きを加えられるのかわからない。
その恐怖が彼女をパニックに陥れる。
どこかへ逃げればいいのかもしれないが、彼女は自分が住む”教会”以外に行くべき場所を知らなかった。
そうして、少女はただ恐怖に怯えたまま、暗い物置部屋へと帰ってきてしまったのだった。
「ごめんなさい……」
今も少女は1人で誰に届くのかわからない謝罪を繰り返している。
焦りと恐怖が入り混じり、もう涙すら彼女の目からは流れなかった。
やがて、物置部屋の扉が開く。
乾いた扉をこじ開ける音が、少女の恐怖を最大限に増幅させた。
扉を開けた男は、そんな少女の恐怖など関係なくずかずかと部屋へと入り込む。
「アーニャ」
男は冷たい声で少女の名前を呼んだ。
その声は意図的に感情が抑え込まれていた。
アーニャは、この声が主の一番怒っている時のものだということを知っていた。
「はい……ザニス様」
アーニャは震える声で主の声にこたえる。
主の姿を直視することはできなかった。
「貴様、任務はどうした?」
「…………した」
「は?」
「し……失敗……してしまいました」
部屋の中に静寂が訪れる。
重く、冷たい沈黙。
ザニスは一息ため息をついた。
教会内では温厚な神父としてたたえられているこの男。
しかし、この男の本当の姿をアーニャは知っていた。
「どういうことだ、このクソガキが!!!」
部屋中にザニスの怒号が響き渡る。
ザニスは怒りのままに、目の前にあった椅子をアーニャの方へと蹴り飛ばす。
椅子はアーニャのすぐ横で壁に当たり、乾いた音と共に砕ける。
椅子の破片はアーニャへ飛び散るが、彼女はそんな痛さを感じる余裕はなかった。
アーニャの中には、ただ憤る主に怯えるだけだった。
「あれだけ、失敗するなと言ったよな?」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい、じゃないだろう!! おい、アーニャ。貴様の使命は何だ、言ってみろ?」
「人を……人を、殺すことです」
「そうだよな? それすらできなかったら、一体貴様に何ができるというんだ?」
ザニスはアーニャのベージュの髪を引っ張る。
まともに手入れもされていないその髪は、すっかりぼさぼさになっていた。
アーニャは、もはや抵抗もしていなかった。
「まったく、害虫の一匹も殺すことができないなんて、もうただの能無しだな」
「ごめんなさい……ごめんなさい」
「せっかく孤児院から拾ってきてやったと言うのに、こんな形で裏切られることになるとはな……この落とし前をどうつけてもらおうか」
震えるアーニャ。
ザニスに掴まれてしまうと、彼女は反撃などできなかった。
暗殺者として育て上げられているはずなのに、だからこそ、主の前では彼女の体は震えてしまっていた。
「神父様」
扉の方から聞こえてくる声に、ザニスは反応する。
彼の使用人からの呼びかけだった。
もうすぐ朝が始まる。
彼には、早朝からやって来る参拝者への準備が必要だった。
「はあ、仕方ないですね」
ザニスは再びため息をつき、後ろにうずくまるアーニャに視線をやる。
もう彼の態度は、表の顔の神父のものになっていた。
「次はない。覚悟しておいてください」
それだけ言うと、ザニスは使用人と共に部屋を後にした。
再び闇に包まれた部屋には、壊れた椅子とアーニャだけが取り残された。
「弱い私が悪いんだ……弱い私が悪い……」
アーニャは自分に言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返していたのだった。
ーー
「そう言えば、あの害虫と、アーニャは確か同じくらいの年齢らしいですね」
「そうでございますね」
「……なるほど、ならばまだアイツにも利用価値があるということですか。これは教皇様におつたえしなければな」
部屋を出て行ったザニスは、黒魔導士への次なる手を討つために、1人笑みを浮かべるのだった。
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次回から新章。




