57.話し合いと……
フィーナは女神のように優しいが、怒る時は怒る。普段はふわっと笑っていて凄く可愛いのだが、怒ると真顔になる。怖い。恐怖を覚えるというよりは、これで嫌われ、見限られてしまったらどうしようという恐怖。フィーナにもう顔も見たくないなんて言われたりしたら生きていられない。つまり、今、俺は生命の危機に陥っているといえよう。
あのフィーナさん? 別に戦争に行こうだとか、行くように説得されただとか、そんなことはまったく無くてですね。ただ、念の為に色々やっておきたいな、と、思っただけでして……あの、お顔をお見せください。フィーナ様?
俺がありったけの誠意を込めて、クンクン鳴いてもフィーナはそっぽ向いたまま黙々と編み物をしている。昼食の準備をしていたらしいサレアさんが何事かと目を丸くして俺たちを見ていた。
ハーネスは特に隠される訳でもなく、フィーナの隣に無造作に置かれているがもちろん手をつけない。持って行ったりしたら本当にこれっきりになるかもしれん。
『情けない声だしちゃって……』
エスタが家の中に入ってきた。ええい、なんと言われようと、ここは誤解を解くところなのだっ!
「わぅん」
エスタがフィーナに向けて優しげな声色で鳴いた。
すると、俺がいくら鳴いても振り向いてくれなかったフィーナがちらりと肩越しに視線をくれた。
「くぅん、くぅぅん!」
フィーナの視線が冷たかったらどうしようかと思ったが、その瞳は不安と悲しみに濡れていた。その瞳の揺らめきにぐっと胸が締め付けられる。
すまない、俺の考えが足りなかった。
「アルス、私ね、怖いの」
フィーナの悲しげな声が密やかに響いた。
「あなたは凄い子だから、皆が力を借りたい、助けて欲しいって思う。それは誇らしいのだけれど、誰かを助けながらアルスが遠くにいってしまいそうで怖いの」
そんなこと……!
「アルスは優しい子だからね」
俺はフィーナの為に生きてるんだぜ。フィーナが何事においても再優先だ。誰よりも再優先だぜ?
「……誰かが助けてって言ったら、助けるでしょう?」
いや、フィーナがやるなって言うんなら……
「私はそんなアルスが好きだから……止めてって言いそうになっちゃった。こんな嫌な私にしちゃうアルスはちょっと嫌い」
その嫌い、という言葉は意味とは裏腹に甘えを感じさせる響きを持っていた。俺は差し出された手を舐めてから、フィーナの膝に頭を乗せた。
「危ない事はしないでね。私は、アルスが元気に横を歩いていてくれるだけで幸せなの」
フィーナの手がふわりと俺の首を優しくなぞった。
その日は狩りも何もかもサボってずっとフィーナと一緒にいた。
編み物をするフィーナの足に頭を乗っけていただけだが、この上なく幸せだった。
『そういえばアルスさんが泣きついた時のフィーナちゃんの独り言って変な感じでしたね』
『独り言……?』
あぁ、そういや俺が考えていた事が伝わってたような……これが愛の力か。ふふ。
『また、浸ってるような顔して……まあ、その鎧みたいなの返して貰えてよかったですね』
え、このハーネスって鎧に見えるの? ん~、確かに矢が左右に取り付けられてるから一見硬そうに見るかもしれんな。
フィーナは今朝、ハーネスを返してくれた。特に何も言われなかったけど、信頼と寛容を感じた。俺から殴りかかる予定は今のところ無いが、ジュンジ達に襲われて死にかけたのだ。今のままでは命が危ういなら、鍛えるしかない。フィーナと俺の自衛の為だ。良い訳っぽいかなぁ。
俺が矢の練習をする、と言ったらエスタが見たい、と言いた出したので昼飯の後、一緒に南の森に出かけた。
兄弟達は全員バラけて森のあちこちで好きに過ごしているようだ。気配だけを感じる……と、思ったらペペルがエスタを見つけてこっち来た。ブンブン尻尾を振っている。
『モテモテだな。俺の姿を見た時はこんな風にはならんぞ』
『う、うぅ~ん……なんていうか、小学生からプロポーズされて、困るけどちょっと嬉しい、みたいな複雑な感じです』
無抵抗でペペルに匂いを嗅がれたり鼻で突かれたりしながらエスタが苦笑いする。
『……そういえば、その、私って、あ、あの』
『んん?』
『ペペル達と初めて会った時に、アルスさんのですね……お、女だってアピールされたじゃないですか』
『あ~そうだな』
『これって、ボスのお、女に手を出してるってことにならないんですか?』
『俺が怒ったら止めるだろうけど、放置してるからなぁ。怒って欲しいのか?』
『べ、別にそういう意味で言った訳じゃないですけどッ!』
『そう怒るなよ』
『怒ってませんけど!?』
まー、エスタの事は置いとくとして、あんまり寛容過ぎるのも舐められてよくないかなぁ。
「ヴォウ!」
止めろ。という意思のみを込めて鳴くと、ペペルがキュッっと縮こまってエスタから離れた。
『あ……いひゃッ!?』
そんでひょいとエスタを転がし、のしかかって首筋やら腹を舐めた。ちと可哀想だが、これぐらいやればちょっとは自重す……いででッ!?
『な、なにするん! ちょ、やだッ!?』
一瞬固まっていたエスタが物凄い勢いで暴れだした。声がでかい。
『おい、お前が抵抗したら俺の女アピールにならんだろうが』
『だからって、ここ、この格好は駄目です! そ、それに、ど、どこ舐めてんですかッ!?』
ああ、そういや、人間としてみると正に押し倒された、みたいな格好だな……ちょっと悪かったなぁとは思うが、エスタがあんまりにも慌てるから面白くなってきた。
『ほら、ペペルが不思議そうにしてるじゃないか。暫く大人しくしていろ』
『いぃきゃあああ!! そ、ひっ! これ以上は、その! やめてぇえぇ!?』
『聞こえてますよ~?』
森の向こうから飛んできたミリルフィアの声に俺とエスタはピタリと固まった。次の瞬間ぱっと離れる。
『お前がでかい声出すから……』
『だ、誰のせいだと思ってるんですかっ!』
『暫くしたらで構いませんので、私の天幕に来て頂けませんか~? 犬の氷が溶けそうなんですよ』
暫くってなんだ。変な気を使うな。……そういや凍った土使いと分身使いのこと忘れてたな。まだ凍ってたのか。
『お前の氷って結構持つんだな』
『……すっごく、全力で凍らせましたから』
エスタがなんだかよそよそしくそっぽを向きながら答えた。
『もう、本格的にお嫁にいけない……』
『まあ、犬にでも噛まれたと思って水に流せよ。ある意味事実だし』
『襲った本人が言わないでくださいよ!』
『襲ったとは人聞きの悪い。お前がやれっていうから』
『ちょ! なんてこと言うんですか! 誰が襲えなんて!』
『聞こえておるぞ』
ババ様の気まずそうな声が飛んできた。
エスタがどさりとその場に転がった。ああ、ババ様に聞こえたって事は同盟の奴らにも聞かれただろうな。そう思うと俺もちょっと気まずいわ。




