26.狐女
『あたしはケーニャっていうの、あなたの名前を聞いてもいいかしら?』
こいつ、もう1人の指揮官か! くそ、敵にも声を飛ばせる人間が居るかもしれないって予想するべきだった!
こうなっちゃ村長は助けられないな、逃げるか。
『逃げたら、村長達を殺すわよ?』
俺が少し後ずさったのを見て、ケーニャが脅しを飛ばしてきた。
『なっ!? 約束が違う! 協力すれば命は保証すると!』
なるほど、そういうことか。
俺の飛ばした声をこのケーニャが聞き、村長に指示を出してここまで誘導された訳だ。
だが、関係ない犬の振りをして切り抜ける目も残ってるんじゃないのか……?
「ワフン?」
首を傾げてから、あくびをしてみる。
『ふふ、可愛い演技ね。でも、駄目。この目で見たらすぐにわかったわ。そんな物騒な魔力を振り撒いてるタダの犬なんて居ない』
魔力? くそ、それがなんか知らんが、バレてるっぽいな。
ケーニャの周りに兵士が集まってきている。見えるだけで6人。後ろにも何人か回り込もうとしている気配がする。
『もう1回、聞くわね。あなたの、お名前は?』
わざと含みを持たせてケーニャが聞いてきた。
嫌らしくニヤニヤ笑ってやがる。
村長達を殺すってか? 顔も見たことない人なんだぜ? 俺に対して人質になると思ってんのか? ……くそ。
『フィンだ』
『そう、フィン、ね』
ケーニャは目を細めた。
『初めて見る顔よね? お喋りできる子がいるとは思わなかったわぁ』
女はニヤニヤと笑い続けている。
その言い方に違和感を覚えた。普通、犬がテレパシー的な能力を使って、話せる奴がいるとは思わなかった、で済ますか?
『そいつはどうも。で、俺になんの用ですかね?』
首筋がゾクゾクする。ここに留まっているのはまずい。
このケーニャは俺の姿を見て、ただの犬ではない事、を知ってしまっている。
こいつを残して逃げると、きっとよくないことが起きる。だが、ヤれるか?
声を飛ばせるからにはババ様と同じく、色々魔法的なことができたりするかもしれん。
なにをしてくるかわからん相手は厄介だ。あのイノシシみたいに。
『用なら色々あるわね。なんで、ゴダンを殺したのか、とか。誰の指示でやったのか、とか、色々積もる話が』
俺をどっかの刺客だと思ってるのか? そう思わせてた方が得だろうな。ココ村から刺客がくるとは思うまい。
『そうかい。でも俺は疲れたんで帰るよ』
『疲れてるところ悪いけど、貴方は帰さない方が良さそうよね。これから犬の影に怯えるのは御免だもの』
『自分の国に引っ込んでれば余計なもんに怯えないで済むんじゃないのか?』
『ふ~ん?』
あれ、俺、なんかまずいこと言った?
『いつまでも立ち話も無作法よねぇ。私の寝所にご招待するわぁ』
キラリと、ケーニャの手元が光った気がした。
『遠慮す、るっ!』
左に躱しながら、電撃を纏う。すると、右肩辺りでパチンパチンと何かが弾けた。
針? そんでこの匂いは毒か。
『あらぁ? 妙な技を、使うのねぇ』
ケーニャが笑みを深くした。口の端が耳まで届きそうだ。
今までで最高の寒気がした。
『村長さん、スマン。敵の片棒担いだんだ、俺に見捨てられたからって文句言うなよ』
『ま、待ってくれ!』
待ってどうなるってんだよ!
俺は後ろに全力疾走を始めた。
『そっちは危ないわよ』
俺が倉庫の角を曲がろうとした瞬間、急に両手両足が地面に張り付いた。
なっ!?
よく見ると黒く塗られた木札が地面に散らばっていた。
これ、フィンが前に使っていた罠と似たような魔法か!?
妙に後ろが手薄だとは思ったんだ、畜生! いつの間に!?
すぐに電撃で焼き尽くそうとしてみるが、木なので上手く収束しない。くっそ!
『危ないっていったのに、ねぇ?』
ケーニャがゆっくりと近づいてくる気配がする。
ヤバイヤバイヤバイ。
振りほどけないか藻掻くが、手足が地面の一部になったかのように張り付いて動かない。
『どんなお話しをしましょうかぁ?』
ケーニャの手が俺の尻尾に触れた。
触んな!
バヂィ!
『おっと危ない』
尻尾を帯電させてみたが、避けられたか。くっ。
『不思議な力ねぇ。まあ、その状態で抵抗しても疲れるだけよ。ただでさえ疲れてるんでしょう? ゆっくり休みなさいな』
ケーニャがキツイ匂いのするハンカチを俺の前に放り投げた。
急いで息を止める。
「犬ってどれぐらい息を止めていられるのかしらぁ。貴方数えておいてね」
ケーニャがいきなり声を出したので、後ろの兵隊が身を固くした。
「は、はっ!」
ぐ、これ、まずい。捕まっちまう……!
『ちょっと痛いわよ、伏せて』
不意に俺の知らない女の声が飛んできた。
「なに!?」
ケーニャが警戒してなにか構えを取る気配。
衝撃はすぐに来た。
ドガン! と ドスン! の中間の風にぶん殴られたような衝撃が前からきた。
ぐあぁ!?
「きゃっ!」
意外に可愛い悲鳴を上げてケーニャが俺の後方に転がっていく気配。
俺はなんとか伏せたが、体が後に押し出されて両手両足がもげるかと思った。。
が、次の瞬間ふっと体が軽くなった。
さっきの衝撃で木札が吹っ飛んでいる。
逃げれる!
「逃がすな!」
逃げるっつーの!
俺はこんどこそ全力で走りだした。
ふー、もう大丈夫だろう……。
俺は昼間にアッセン村を見下ろした崖の上に伏せていた。
村や周辺は騒がしく、松明の火が村の中を行ったり来たりし、俺を探しているようだ。
そんなところに居るわきゃねーだろ。
だが、あんなにウロウロされたら人間は隠れられないかもな……あの女の子は無事だといいが。
しかし、さっきの声は一体なんだったんだ?
俺を逃がしてくれたから、味方?
不意に後ろに気配を感じた。
慌てて振り向くと、そこには銀色の狼がいた。
俺と同じぐらいの体にフサフサした毛並み。
黄色の目が俺をじっと見つめていた。
殺気は無いけど、なんだこいつ……?
『貴方、日本人でしょう?』
不意に、その狼が囁くような声を飛ばしてきた。
……は?