【リィザ】生意気な犬
上手くいくと思った。
聖水作りは得意だ。ババ様もよく褒めてくれるんだ。
だから、私が作った聖水が振りかかれば堕ちた獣なんて、それもこんな小さな蛇なんて、すぐに死んじゃうのだと思ってた。
そんな甘い考えは、怒りに燃える黄色の目の前に粉砕された。
「ひっ!」
堕ちた蛇が跳びかかってきた時、そんな情けない声を出してしまった。
アルスがすぐに横から蛇に噛みつき、蛇の牙は私に届かなかった。
アルスと蛇はもつれ合い、絡み合いながら戦い始めた。
なんなのよ、さっきまで、私にあんなにつれなくしてたくせに……
アルスを見つけたのは、フィーナと北の山で焚き木拾いをしていた時のことだ。
小さな崖の下に転がっているのをフィーナが見つけたんだ。
最初は堕ちた獣かと思った。だって真っ黒だったんだもの。
フィーナが連れて帰るって言い出した時は止めておけばいいのに、としか思わなかった。
汚かったし、黒い獣ってだけで嫌がられるのは目に見えてる。
だけど、せめて念の為「……そうね。水とか飲ませてみたら?」と聖水を差し出し飲ませるように勧めてみた。
もし、弱っている堕ちた獣ならこれで止めが刺せるだろうし、なにも起きなかったらただの犬だと証明できる。
まあ、私達が持ってる水ってこれしかなかったしね。
結果、アルスはゴクゴクと聖水を飲み干したので、すぐにただの犬だとわかった。
いや、ただの犬じゃなかったんだけど、わかったのは後々のことだ。
次の日、フィーナがアルスを連れて水汲み場に現れた時は驚いた。
死にかけてブルブル震えていた子犬が元気に走ってフィーナについてきている。
元気になり過ぎじゃない?
歓声を上げて撫で回しながら、アルスを観察してみる。
真っ黒なこと以外は、普通なのかと思ったら、やたらと手の平が大きかった。
狩人の父さんが、猛獣は子供の頃から手足が大きい、と話していたのを思い出した。
やっぱり、この子飼ってちゃ不味いんじゃない……?
次の日は本当に驚いた。
アルスがネズミを16匹も獲ったらしい。
でも、それと同じぐらいに驚いたのはフィーナが得意そうにニコニコしてたこと。
久しぶりに見たなぁ、笑ってるフィーナ。
よし、アルスの事はもう言わないことにしよう……
こんなにフィーナが幸せそうなんだものね。
その日の午後ババ様に呼ばれたので、離れに向かった。
ババ様は私の祖母。髪は真っ白で、腰は曲がり、フィーナよりも小さく見える。
だけど、とんでもなく迫力あり、家では誰も逆らえない。
私の家は代々精霊様に仕えている。精霊様は様々な物に宿り、世界の根幹をなす存在、らしい。
それに仕え、日々感謝を捧げ、必要な時に助力を乞うことができる私達の一族の役目はとても重要で、鍛錬を怠ってはならない、と昔から言い聞かされてきた。
最初は驚いたけど、壮大過ぎるお話は慣れちゃえばなんだか滑稽にも感じる。
実際の家の仕事っておまじないをしたり、お薬を作ったり、堕ちた獣避けに聖水を作ったりみたいな地味なことばかりだしね。
あ、でもババ様ぐらいになると、精霊様と直接話せるって母さんから聞いたことがある。
精霊様との会話ってどんな感じなんだろう。
私は才能があるらしいから、精霊様との話方を教えてくれる、とかだったりして!
とりとめもなくそんな事を考えていると、離れについた。
「リィザです」
「入りなさい」
呼ばれた理由は説教をする為だった。
私の生活態度の悪さ、精霊様への敬意の無さが目に余るんだって。えぇ~……
「どうしたリィザ、随分疲れるみたいだな」
「……」
夕ご飯の時に兄貴に話しかけられたけど、答えられなかった。
ぐったりと俯いたまま、んん~と呻く。
迂闊なことをいうとまた明日も呼びだされかねない。
が、じろりとババ様に見られたので居住まいを正す。
「なんでもありませんわ、お兄様、オホホホ」
「いや、本当になにがあったんだよ……」
女の役割ってのが辛くてね。ハハ。
ババ様がやれやれと頭を振ったのは見ないことにする。
それから暫く、ババ様に色々相談したりもしながらアルスを観察する日々を過ごした。
ネズミ捕りでアルスは近所で大人気だ。
ちやほやされて、本人も得意げにしている。
そう、得意げにしているのがわかる。
犬ってこんなに表情がわかるものだっけ?
朝ご飯の後、キッシュをじっと見つめてみると、無表情のままじっと見つめ返された。
この子は犬の中でも取り立てて無表情な気がするわ。
フィーナと一緒に焚き木拾いに行くことになった。
フィーナに聖水を渡していると、アルスが急にヒャン?みたいな妙な声で鳴いた。
私とフィーナが見ると、ごまかすように小首を傾げた後そっぽを向いた。
本当に人間みたいなしぐさをする犬よね……
ん~、どうしよ、ババ様から聞いた話をフィーナに伝えておくべきかなぁ。
堕ちた獣にも色々いるらしいよって……
その日は最悪だった。
フィーナにそれとなくアルスの事を隠した方がいいって伝えようとしたら空気悪くしちゃったし、折角兄貴と会ったのに上手くフィーナに売り込めなかったし。
なにより、最悪だったのは、堕ちた蛇に会ってしまったこと。
アルスが私の目の前で必死に戦っている。
アルスが優勢なように見えたが、右前足に噛みつかれてしまってから途端に動きが悪くなった。
きっとこの蛇は毒蛇なんだ。
どうしよう、どうしようとそれだけしか考えることしかできず、ただ転げまわるアルスを見ていると、アルスが右前足ごと噛み付いていた蛇を聖水の水たまりに突っ込んだ。
堕ちた獣が聖水を嫌がることがわかっていてそうしたように見えた。
やっぱりこの子、頭がいい。
それで優勢になるかと思ったんだけど、そうはならなかった。
蛇が苦しんでいる間に噛み付いたりせず、アルスはフラフラしていて、今にも座り込んでしまいそうなぐらい足が震えている。
「アルス!」
フィーナが弱っていくアルスに走り寄っていくが、アルスがそれを鳴き声で押し留めた。
来るんじゃない、という強い意志が私にも感じられた。
その後、すぐに蛇が跳びかかってきて、アルスのお腹に噛み付いた。
アルスも負けずに噛みつき返すけど、さっきよりも随分弱々しく勢いが無い。
ぐったりとそのまま倒れこんでしまった。
「アルス!アルス!」
それを見たフィーナは叫びながらアルスに駆け寄っていった。
フィーナがアルスに向かって手を伸ばし、蛇がそれ向かって噛み付こうとした瞬間、アルスがバヂっと耳障りで大きな音と共に光った。
私もフィーナも驚いて身をすくませると、私の目の前に引きちぎられて焦げ臭い匂いを放つ黒い蛇の頭が転がってきた。
「ひっ!? な、ぁ……」
なにが起こったかわからなかった。
なんでこうなったのかわからなかった。
「アルス!アルス!アルスーーー!!!」
フィーナは半狂乱だ。
アルスを抱え込み、涙を流しながら叫び続けている。
フィーナの腕の中のアルスは口を半開きにしたまま、動かない。
死んでいるんじゃないか、そんな思いはとりあえず締め出す。
「フィーナ! ババ様のところに行こう!」
私はフィーナの肩を強く揺さぶった。
「ババ様ならアルスを助けられるかもしれない!」
血相を変えて飛び込んできて、何事が起きたのかを叫び散らす私達を一瞥したババ様は、そこに寝かせなさい、とだけ言って、薬草を準備しだした。
アルスを離れの中央に寝かせると、フィーナは震えて涙を流すだけになった。
私はフィーナの肩を抱き、ババ様の儀式を見ていた。
多分毒除けのまじないだと思う。
薬草の粉をアルスの右前足とお腹にこすりつけ、なにかゴニョゴニョといったかと思ったら、すぐにアルスに聖水を振りかけた。
アルスの体が聖水にひたひたに濡れた後、今後はアルスの体に干し肉を乗せた。
なんで干し肉?
奇妙な光景にぽかんとしてると、干し肉が紫色に変わりだし、フィーナと一緒に息を飲んだ。
「なんと、濃い……」
ババ様が忌々しそうにつぶやき、アルスの上から干し肉を取り除いた。
「もう大丈夫だ。この術は体を冷やしてしまう。目を覚ますまで温めてやれ」
ババ様はそれだけ言うと、紫色の干し肉を持って出て行ってしまった。
では、温めてやらなくては、と手ぬぐいを持ってアルスに近づいて驚いた。
アルスの右前足とお腹から口元にかけてが白くなっていた。
フィーナも一瞬息を飲んだが、私よりも早くアルスを手ぬぐいで拭き始めた。
アルスはさっきまでとは違い、柔らかく寝転んでいるようで、拭かれる度にぐにゃぐにゃしていた。
聖水を拭き終わると、フィーナはアルスを前掛けで包み、抱きしめた。
「リィザ、ババ様にお願いしてくれてありがとう」
「あ、うん、それはいいんだけど、あの……」
その先が言えない。アルスは私を庇って……
フィーナは深く俯いていて顔がよく見えない。けど、硬い、怖い顔をしてるんじゃないかと思う。
「後でまたお礼にくるから」
フィーナはそれだけ言うと離れから出て行った。
その足取りは、さっきまでとは違い、強く確かなものだった。
助かると、いいな……
次の日、川辺に現れたフィーナは赤ん坊を抱く時に使うスリングで、アルスを抱いていた。
多分、アルスの体を温める為だろう。
「フィーナ? どうしたの?」
「え、アルスじゃない、なんで?」
事情を知らない子達がフィーナを取り囲んだ。
お喋りな私が皆に話してないことに驚いたらしいフィーナの視線が痛い。
昨日、私はあれから家族に事情を話している。
堕ちた蛇が出たこと、アルスがそれと戦って、勝ったこと。
父さんは兄貴を連れて、慌てて出ていき、2つに千切れた蛇を持って帰ってきた。
堕ちた獣は、ちゃんとした手段で葬らないといけないそうだ。
私は卑怯者だ。私が余計なことをしたから、アルスが怪我をしたことを言わなかった……
フィーナから事情を説明された子たちが一斉に悲しげなため息をつくのが聞こえた。
フィーナの説明だと、アルスと私が堕ちた蛇に勇敢に立ち向かったように聞こえるのが辛い。
アルスはまだ目を覚まさないらしい。
ただ、抱いていると時々身動きするらしく、それが嬉しいのだと、フィーナが話していた。
「アルスは強い子だから大丈夫だよ、うん」
「そうだね、すぐによくなるよ!」
みんなが口々に励ましの言葉をかけ、フィーナがそれに応えている。
私もなにか言いたいのだけど、普段と違ってうまく唇が動かなかった。
次の日、やっぱりアルスは目を覚まさないようだった。
このまま目を覚まさないかも、と不吉なことをつい考えてしまう。
私、フィーナになんて打ち明けたらいいの……
その次の日、アルスがフィーナと一緒に歩いてきた。
まるで、昨日までのことが無かったみたいに平然としていた。
元気になったアルスの姿に水汲みをしていた子達が歓声をあげた。
ぼーっとみんなに囲まれるアルスを見ていると、目が合った。
犬相手に馬鹿馬鹿しい話かもしれないが、責められるのではないかと身構えた私を見てアルスは笑った。
なんだかその笑顔を見て、ふっと許されたような気になってしまった。
まあ、気にすんな、とでも言われたような、おどけたような笑顔。気を遣われた……のかな。
本当に、生意気な犬!




