諜報員
今日はついに香織さんとジムに行く日だ。
新しい趣味にと考えていたためすごく楽しみだ。
加えて、自衛手段を覚えるということで格闘技も教えてもらえる。
新しい自分への期待感と鳥籠から出られるという開放感がある。
今日も家族は各々学校や会社があるため、俺もそれに合わせて起床し、一緒に朝食を取る。
「優。今日は香織ちゃんの好きな食べ物とか聞いておいてね。」
「今日の夕飯か。オーケー。任せて。」
「大学終わりに買い物に行くから、家族のグループにメッセージに送っといて。」
今日は香織さんの歓迎会があるため、俺に重大な任務が与えられた。
買ったばかりのスマホに入れたメッセージアプリから事前に伝えてくれとのこと。
司やみー姉のように料理ができるわけではないので、俺に貢献できることがあって良かった。
「ママはプレゼント決めてるの?」
「それは大丈夫よ〜。」
東海林家の作戦会議はこれにて終了。
各々の任務を全うしようではないか。俺はさながら諜報員だな。
みー姉の大学が終わる前に情報を収集してみせよう。
司と明、母さんが先に家を出て、みー姉と香織さんを待つ。
「ちなみに、香織さんの予定とか聞いてるの?用事とかないのかな?夕飯食べてくってことは遅くなるんじゃない?」
「・・・そうだったわ。それも確認しておいて。」
やっぱりね。母さんの思いつき感あったしね。
母さんってそういうところあるよね。
思いついてから行動に移すのが早いと言うか。周りを振り回しちゃうというか。
だから社長なんだろうな。香織さんを雇うとか言い出したのも割と急だったし。
香織さんの人生が大幅に方向転換したのは紛れもなく母さんのせいだ。
いや、俺が学校に通うとかジム行きたいとか言い出したらか?
人のことは言えないな。俺の責任もあるな。
ピンポーン
香織さんがきた。よし任務開始である。
「おはようございます。」
「香織ちゃんおはよう〜。今日もよろしくね〜。」
「香織さんおはようございます。」
昨日よりも若干おめかししている気がする。
そういえばジムデートしようねって言ったんだった。
香織さんはクールな感じだけど、行動の節々がキュートなんだよな。
実に良い。ギャップ萌えというやつだ。
香織さんは到着するなり、家族が食べ終えた朝食の洗い物をし始めた。
みー姉も家を出る時間になる。
「じゃあ、出るわね。優、よろしくね。」
「任せんしゃい。行ってらっしゃい。」
重大な任務はあるが、香織さんの仕事が優先。
ジムに行くのはおそらく午後からになるだろう。
「今日は何時からジムに行けますか?」
「そうですね・・。15時くらいからでどうでしょうか?」
「了解です。よろしくお願いします。」
よし!楽しみだ。
昼食は一緒に摂るので、そのタイミングで色々聞いていこう。
それまでは昨日同様つまらないテレビを眺めることにする。
ふと、俺はあることに気づいた。
今日の夜の予定を聞くというのは、口説いてるみたいにならないだろうか?
ジムデートをしようと言ったことが俺の首を絞めている。
どうしよう。
今日の夜は空いてますか?はダメだ。
明らかに意味深になってしまう。
思春期の童貞に扱える言葉ではない。
でも、今日歓迎会します!というのもなんとなく無粋な気がする。
そんなことなら、香織さんが家に来た時にみー姉から歓迎会するよって初めに伝えれば良いのだ。
んー。色々考えすぎかな。
え、どうしよう。任務の雲行きが怪しくなった。
任せてって言っちゃったよ俺。
自分がこんなにもポンコツだとは思っていなかった。
気づけばノープランで昼食の時間となった。大ピンチだ。
昨日の昼食より緊張する。
「か、香織さん。好きな食べ物はなんですか?」
お見合いか!?
任務を甘く見ていた。
好きな食べ物くらい余裕だと思ってたのに。
「え?んー。ラーメンですかね。」
え?思ってたんと違う。それはお家で作れません。
なんにも上手く行かない。
ええい。もうこのまま報告したろ。
東海林 優:好きな食べ物はラーメンだそうです。
東海林 南:夕飯の内容を決めたいの。優ってバカなの?
ダメでした。知ってました。俺もバカだと思います。
「す、好きなおかずはなんですか?」
なんかこの聞き方って大丈夫?俺下手くそすぎない?
好きな食べ物を聞いた後だから変な意味にはなってないと思うけど。
世が世ならセクハラだぞ。
「どうしたんですか?急に。」
「い、いや〜。気になるなって・・・。」
「そ、そうですか。好きなおかずですか。んー。唐揚げですかね。」
「うん!いいですね!唐揚げ!」
「は、はい・・・。??」
一つ目の任務は達成できたぞ!
だいぶ下手くそだが、聞き出したことには違いない。
東海林 優:唐揚げです!
東海林 南:そういうのだよ笑 了解!他になんかあったら教えてね!
他ってなんだよ。これ以上は無理だよ。
もう少しコミュ力磨こう。学校が不安になってきたわ。
好きな食べ物を聞くのに、こんなに苦労していては先が思いやられる。
そして、香織さんの予定を聞くことはできていない。
一番困っている問題だ。
ジムで聞こう。そうしよう。もう未来の自分に任せるしかない。
すまない数時間後の俺。なんとかしてくれ。
数時間後、人通り家事を終えた香織さんに案内されてマンション内のジムに到着した。
更衣室でトレーニングウエアに着替える。
すると女子更衣室から香織さんが出てきた。
わお。そういう感じね。
すごくタイトで、お腹が出ているタイプのタンクトップ姿。
俺からしたら下着と変わらない。直視できない。
数時間前の俺。聞くなら昼飯の時がベストだったぞ。
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〜吉田 香織目線〜
昨日会社に辞表を提出し、今月いっぱいで辞めることが許された。
正式に東海林家に雇われるのは来週からだが、特に気にするようなことではない。
今日から、東海林家に仕える家政婦だ。嬉しい。
そして、今日は優君とジムデート。
まあ、護身術を教えるためだからデートと言えるかはわからないけど、いつもよりメイクに気合い入れておこう。
私の生まれて初めてのデートだし。
東海林家に着くと南ちゃんと優君が出迎えてくれた。
いつもより素早く仕事を片付けていると、急に優くんが落ち着かない様子になった。
何か考え込んでいるようだけど・・・。大丈夫だろうか。
まあ、そこまで深刻そうではないんだけど。
一緒に昼食をとっていると、ソワソワしながら好きな食べ物を聞いてきた。
私がラーメンと答えるとがっかりされた。
え?なんで?変かな?
でも、別に嘘をついても意味ないしな。
次に好きなおかずを聞いてきた。
なんでそんなことを聞いてくるか気になる。
私が唐揚げと答えると、ものすごく嬉しそうになった。
この子はなんなの?
ラーメンはハズレで唐揚げはアタリだったみたい。
記憶を失ってからの優くんの変化には驚いたけど・・・。
でも、今日の優くんは記憶がどうこうではなく、明らかに挙動不審。
ん〜。もしかして、デートだから緊張しているのかな?
優くんはジムに行きたいから私にデートしようと焚き付けただけだと思ってたけど。
優くんとジムへ向かう。その間も優くんは上の空だった。
デートで緊張しているっていう感じではない。
何か考え込んでいるみたい。
私としては貴重な経験には変わらないから嬉しいけど。
それに、デートと称しているけど、あくまで仕事だし、私が浮かれていてはいけない。
学校に通う優くんがもしもの時のためにしっかり仕込んでおかないと。
今日はひとまず優くんの体力測定の日にしよう。
何か考え込んでいるようだし、怪我をしてはいけない。
更衣室を出ると、優くんが驚いたような顔をして、私から目を逸らした。
なんだか恥ずかしそうな様子で顔を赤らめている。
え!?めっちゃ可愛いんだが?私が女として見られてる!
すごく嬉しい。だって、そんな経験ないんだもん。
ああ、これから学校が始まるまでの間ずっとこれが続くなんて。
東海林家に就職して良かった!一生尽くします!
とはいえ、優くんの恥ずかしそうな様子について本人には詳しく言及しない。
南ちゃんなら揶揄いそう笑
でも私はそこまで意地悪じゃない。可愛い姿を眺められれば満足。
トレーニングを始めると、私は驚くことになった。
男性のほとんどは運動をしないため、体の動かし方にぎこちない部分がある。
でも、優くんにはそれがない。
以前から運動しているような様子はなかったし、才能なのだろうか?
走り方なんかはかなり綺麗だ。
何かスポーツをやっていた人の動きに見える。
「か、香織さん。今日は何時までやりますか?」
「18時までですよ?トレーニングのために家事を早めに終わらせてるんですから。」
「そ、そうですか・・・。え、えっとすぐに帰るんですか?」
優くんが考え込んでいる理由がなんとなくわかった。
今日は直さんに夜開けておけと言われている。
仕事が終わってすぐに帰らないか確認してきたということは、おそらく優くんはそれを知らないのだろう。
確かに、思春期の子が異性に仕事終わりの予定を聞くというのは簡単ではないかもしれない。
私だって逆の立場なら聞きづらい質問だ。
今日の様子が変だったのはそれが原因か。
多分今日は夕飯を一緒に食べるんだろうな。
直さんからは開けておけとしか言われていないけど、今日の優くんの質問を振り返ると、なんとなく察しがつく。
くっそ可愛い。
私に気づかれないように聞いているつもりなのが余計に可愛い。
「すぐに帰りますよ?」
「あ、あ、あ・・・そうですか。」
意地悪しちゃった!だって、可愛いんだもん。
意地悪したくなっちゃうよ。
なんで可愛い子は困らせたくなってしまうのだろうか。
ちょっと落ち込んでいる様子がたまらなく愛おしい。
「あははっ!嘘ですよ。直さんから夜開けておいてと言われてますから。」
「・・・。うっそーん。」
あー楽しい。
普通の男性を相手にしていたら絶対にありえない。
今の優くんが穏やかな性格だからこそ私も意地悪になってしまった。
これを許してくれる男性がこの世にどのくらいいるだろうか。
南ちゃんの気持ちがとてもよくわかった。
「あ、でも、夕飯をいただけるとは知りませんでした。」
「・・・。なんでバレたんですか?」
「なんでバレないと思ったんですか?」
「・・・。俺は諜報員失格だ。」
諜報員?やっぱり不思議な子だ。
今日1日で優くんに対する緊張感は全くなくなった。
記憶が無くなって本当に明るい男の子になった。
ちょっと間抜けなところがあるみたいだけど。
東海林家全員が明るくなるのも当然だ。
私も笑顔させられてしまう。
東海林家にきて本当に良かった。これからが本当に楽しみ。
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