1.その女子高生は、手にきらりと光るものを持っていた
よろしくお願いします。
五月の半ば、花びらがすべて散ったあとの桜の木の枝が風に吹かれて、わさわさと音をたててゆれている。
高校を出てから五分ほどたっただろうか、左手に公園が見える。
おれはほぼ毎日この前を通っているが、この公園でだれかが遊んでいるのを見たことがない。
けっこう広くて、遊具も豊富なのにどうしてだ。
最近の子供は外で遊ばなくなったというのは本当らしい。
それにしても長閑だ。
いま世界のどこかで戦争がおこっているなんて、とても考えられない。
そうやって、しばらくこの平穏とした住宅街の小路を歩いていると、後ろから――トトトトッ、という足音がきこえてきた。
元気な小学生が走りまわっているんだろう。うん、子供はそうでなくっちゃ。
と、ふり返ると走っているのは子供ではなく女子高生だった。
「あっ」
しかも、同じ高校の制服を着ている。
どことなく、見たこともある。
知っている娘だ。
その女子高生は、手にきらりと光るものを持っていた。
「なんだ?」
制服で外を全力で走る女子高生というのはめずしい。しかも何か手にしているし。
もしかしたらリレーの練習?
――ってわけではなさそうだし、何をそんなに必死に走ることがあるだろうか。
「何か知らないけど、すごいな……」
女子高生はこちらへ向かって来る。近づくにつれて、だんだん顔がはっきりと見えてくる。
やっぱり知っている娘だ。
同じクラスの娘だ。
庵堂ツキミだ。
それと同時に、彼女が手にしていた物もわかった。
「――刀?」
本物か? まさか……。
あ、そうか。チャンバラごっこをしているのか。
きっと暇をもて余した高校生が遊ぼうと懸命に考え、思いついた答えがチャンバラだったんだろう。
高二にもなってチャンバラとは、なかなか粋な遊びじゃないか。
だが彼女の前にも後ろにも、一緒に遊んでいるらしき人物はいない。え……?
まさかひとり遊びじゃないだろうな?
ま、それはそれでユーモラスではあるが……。
黒くてながい髪とスカートの裾を大きくなびかせながら、刀をもった庵堂ツキミは走る。
だんだんこちらに近づいてくる。
「待って! 囃子理!」
彼女はおれの名を叫んだ。
そして、走ってきた彼女は、おれの目の前でピタリと足をとめた。
走ってきたせいで髪が乱れているが、それがどこか色っぽさを演出している。
ほのかに紅みをおびた地の白い肌は健康的で、睫が長く、黒く大きな瞳。真っ直ぐ伸びた漆黒の髪は肩までの長さ。ほぼ毎日教室で彼女のことを見ていたはずなのに、今わかったことだが、こうやってまじまじ見るとすごく美人だった。
「ねえ、付き合って」
庵堂は真剣な顔をして、力強いきらきら輝く目でおれを見ていた。
え? 何か言った?
「わたしと付き合ってください」
…………。
彼女の言っている意味がわからなかった。
……もう一度整理しよう。
いま庵堂は何と言った? ――たしか、付き合ってください、と……。
ええええええっ!
刀をもったクラスメートの女子がいきなり目の前にあらわれて、愛の告白?!
おれは告白されたのか!
そんなわけないよな? 嘘だろっ?
もういちど庵堂ツキミの顔を見た。しかし、彼女の目はけっして冗談を言っているようには見えなかった。
「……お、おれと?」
「うん」
庵堂ツキミはうなずいて、
「いきなりで驚いたかもしれないけど……本気だよ。冗談で言っているんだろうなんて疑わないで。わたしはあなたの彼女になりたいの。それから今すぐ返事を聞きたい。いまあなたが誰とも付き合っていないことは知っているし、特定のだれかに片思いしているわけでないことも知っている。だからわたしのことが嫌いじゃなかったら、別に付き合ってもかまわないでしょ?」
生まれてはじめて愛の告白というものを受けたおれは、この状況ではどうするべきなのか全くわからなかった。
ただ呆然と、その場につっ立ってしまっていた。すると、
「もし付き合ってくれなきゃ、あなたを殺す!」
庵堂は突然、もっていた刀の先端をおれの首に突きつけた。
狼狽いと恐怖でおれは、その場に固まってしまって動けなくなった。いや、動くことを許されなかった。
「この刀、真剣だからね。すごく切れ味いいの。しかも、きのう研いだばかりなんだから」
こいつは何がしたいんだ。おれと付き合いたいのか、それとも殺したいのか。
「いい、って言ってくれなきゃ脳天から斬りおろす。嘘ついてこの場から逃げようとしたら胴体を真ッ二つにする。付き合うか斬られるか、どっちなの?」
庵堂は、刀を両手で握りなおした。
「もう一度言うよ。わたしと……付き合ってください……」
おれはそのまま数分間、固まったまま、ただ突きつけられた刀の刃を見つづけるだけ。
途中、買い物袋をさげたおばさんが、ちらとこちらを見て通りすぎていった。
刀をかまえる女子高生と、それに怯える男子学生が無言のまま向かい合っている光景を見て、さぞかし不思議に思っただろう。
しばらくたって、おれは声を発した。
「……あの」
庵堂は、瞬時に反応し、刀を握り直して、キラリと光る刃先をこちらに向けた。
目と目が合う。そのとき庵堂は少し頬を赤らめ、恥ずかしそうにした。その仕草が妙に可愛らしかった。
「な、なに?」
「返事なんだけど……」
「あっ……うん」
今も彼女の握った刀の刃先がおれの喉元ギリギリに浮いている。
当然おれは緊張していた。恐怖も感じていた。
臓はバクバク動き、胸が高鳴るのを感じる。妙な感じを覚えてる。
こんな感覚はじめてだ。どうにかなっちまいそうだ。
ふうー、と一つ息を吸ってから、おれは、
「よろしくお願いします」
と言った。そうさ、これ以外に答えは無いだろう。
ほとんど話したこともないし、彼女のことは何も知らないけど、見た目は美人だし、なんか強そうだし、それに何よりいまにも物騒なものでおれに襲いかかろうとしているのだから……。
はじめはお互い知らなくても、徐々に歩みよっていって、そこから仲を深めていけばいいのだ。
ということにしよう……。
庵堂ツキミは頷いて、
「わかった……」
と、ようやく刀を納めた。
おれは何とか斬られずに済んだみたいである。ふう……っ。
しかし、いまの彼女の行動を思い返すと、またいつ今みたいな死に直面する状況が訪れるかわからない。
目前の危機は避けられたが、今後危険な目にあう可能性も少なくないだろう。
できるだけ暴れないでもらいたいものだ。
長年思いこがれていた初めての彼女が、こういう形でできるとは思いもしなかった……。
いくら憧れていた彼女ができたとはいえ、その代償はとても大きい……。
そんな理不尽な理由から彼女と付き合うことになったおれは、このさきどうなってしまうのだろうか。不安であり、少したのしみでもあり、しかしやっぱり不安であった。