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外から入るもの

ユウが無口すぎるのほんとにどうにかしたい、

数日後。


森に入る足取りは、最初の日とは明らかに変わっていた。


転べば誰かが何も言わずに手を差し出し、足元を見るだけで精一杯だった視線も今は隣へと向き、よろければ肩を掴み、滑った場所には足跡を残して後ろに伝える。


草を取る前には必ず一度動きを止め、しゃがみ込んで葉の裏を確認し、指先で表面をなぞって感触を確かめてからようやく引き抜く。


迷いはまだ残っている。それでも、その迷いに費やす時間は確実に短くなっていた。


「……これ、昨日のと同じやつだよな」


「裏が白いなら大丈夫だ。あと、表がざらつくかも見ろ」


短いやり取りが自然に増えていく。以前なら誰かの判断を待つだけだった場面で、教えられる側だった者が、いつの間にか教える側にも立つようになっていた。


「昨日よりは薬草の見分け、だいぶできるようになってきた気がするな」


少し得意げに言った声に、すぐさま横から突っ込みが飛ぶ。


「どの口が言ってんだよ。お前昨日、“これ絶対うまいやつだろ”って顔で毒草そのままかじってただろ」


間髪入れずの返しに、一瞬だけ空気が止まり、


「やめろ」


即答は早いが、完全には否定しきれていない。


「しかも一口でやめりゃいいのに、“ちょっと苦いな”って二口目いってただろ」


その一言で周囲が堪えきれずに吹き出し、笑いが小さく連鎖していく。


「……あれは確認だ。味見してただけだ」


「そのあと転げ回ってたのも確認か?」


「ちげぇ、あれは……体が勝手に――」


言いかけて詰まる。


「半日腹抱えて転げ回ってたやつが何言ってんだ」


「うるせぇな……!」


押し殺した笑いが、あちこちで漏れる。


肩を震わせる者、顔を背けて口元を隠す者、咳払いで誤魔化す者――大きな声にはならないが、それでも場の空気がほんのわずかに緩んでいるのは分かった。


余裕じゃない。


腹は減ったままだし、明日の保証もない。


それでも、“一度の失敗で終わりじゃない”という感覚だけが、少しずつ根を張り始めていた。


そして――変化は、目に見える形でも出ていた。


最初は両手で抱えるのがやっとだった草や木の実が、今は袋に詰めても口が閉まらず、紐を引いても隙間から葉がはみ出す。


罠にかかる小獣も、昨日は一つ、今日は二つ、運が良ければ三つと増えている。


数だけじゃない。持ち帰る“重さ”そのものが違っていた。


「……っ、重いな、これ」


誰かが肩に担いだ袋を持ち上げ直すたび、食い込んだ紐が肩口で軋み、中に詰められた骨と乾いた肉が擦れ合って、コツ、と鈍い音を立てる。


別の男がそれを聞いて笑う。


「落とすなよ、それ。今日の飯だぞ」


「分かってるって……っ」


返事は強がり混じりだが、息はすでに上がっていて、何度か肩を揺らしながらようやく荷を背に安定させる。


少し遅れてレインも足を止め、無言のまま肩の荷を掛け直すと、短く息を吐いて呼吸を整え、額から落ちた汗が一筋、地面の乾いた土に小さな染みを作った。


「少なくとも……食う分くらいは、自分たちでとれるようにはなってきたな」


乾いた声だった。強くも弱くもなく、ただ事実だけを置くように、焚き火のはぜる音に紛れて落ちる。


誰もすぐには返さない。


火の向こうで枝をいじる音と、袋の紐を締め直すわずかな気配だけが続く。


だが――否定する者はいなかった。


視線は逸らされ、言葉は飲み込まれたまま。


それでもその沈黙は、以前のような何も残っていない空白ではなく、本当にそうなのか、このまま続くのかと、口に出さずに確かめ合っているような重さを帯びていた。


安心ではない。


腹が満ちる保証も、明日が続く確証も、何一つ増えてはいない。


それでも――ただ減っていくだけだったあの頃とは、明らかに違っていた。


手に残る重さと、肩に食い込む紐の感触が、それを否応なく教えてくる。


ユウは少し離れた位置から、その様子を見ていた。


火の届かない影の中に立ったまま、視線だけをゆっくりと動かしていく。


(……みんな、だいぶ慣れてきたな)


刃を入れる位置も、道具を持ち替える指の動きも、周囲へ向ける視線の流し方も、どれもまだ粗さを残しているが、それでも途中で止まることはなく、迷いながらも次の動作へと無理やり繋ぎ続けている。


小さく息を吐く。


ただ減っていくだけだった頃とは、もう違う。


失敗もある。手戻りもある。それでも一度動き出した手は止まらず、誰かの動きに遅れそうになれば声が飛び、無理やりでも流れの中に引き戻されていく。


だからこそ、そのぎこちなさを含んだ一つひとつの動きが、確かに“生き残るための前進”として積み重なっていた。



一方で、森に入らない側は、別の形で静かに動き始めていた。


家の前に腰を下ろしたまま、立ち上がる気配のない者。空になった鍋を膝に乗せ、その縁や底を意味もなく指先でなぞり続ける者。


乾いた金属の擦れるような音だけが、かすかに、何度も、同じ間隔で繰り返されている。


誰もそれを止めないし、誰も言葉にもしない。ただ、腹の奥に溜まった空腹と焦りだけが、時間と一緒にじわじわと膨らんでいく。


そしてその視線は、誰からともなく、ゆっくりと同じ方向へ向き始めていた。


森の方へ。


「……なあ」


ぽつりと、誰かが声を落とす。焚き火もない場所で、ただ乾いた地面に座り込んだまま、視線だけが遠くを刺している。


「なんであいつら、あんなに持って帰ってこれんだよ」


独り言のようでいて、確実に周囲へ投げられた言葉だった。


「……見ただろ、さっき」


少し間を置いて、別の男が応じる。


「袋、パンパンだったぞ。肩ひも食い込んで、歩き方まで変わってたじゃねぇか」


「こっちは朝から歩き回っても、なんも見つかんねぇってのに……なんでだよ」


吐き捨てるような声なのに、最後の言葉だけは力が抜けていて、怒りというより“差”を突きつけられた戸惑いみたいに落ちていく。


誰もすぐには笑わない。否定もしない。できないまま、ただ森の方向だけが、やけに遠く見えていた。



昼。


森組が戻ってくる時間になると、村の空気は目に見えないまま確実に変わる。足音が届くより先に、家々の影や戸口の奥から人の気配だけがにじみ出て、誰も何も言わないまま道の方へと視線が集まり、そのまま固定される。


やがて現れる影。


肩に食い込むほど膨らんだ袋、布越しに滲んだ血の跡、腰にぶら下げられた小さな獣の死骸。それらが歩くたびに揺れて、否応なく“持ち帰った量”を見せつけてくる。


それだけで、十分だった。


誰かが、わざと聞こえるように呟く。


「……ほら見ろよ、また肉だ。いいよな、ああいうの」


羨ましさを隠す気もない声に、わずかな棘が混じる。


「こっちは、何もねぇのにさ」


言葉は軽いのに、視線だけはずっと外れない。袋の膨らみ、肩の沈み方、引きずる足の重さまで、まるで“中身の価値”を測るように追い続けている。


その差は、言葉にしなくても分かる。だからこそ、口に出した瞬間に空気が歪む。


「……あれ、わざと見せてんじゃねぇのか」


ぼそりと落ちた一言に、数人が顔を上げる。「いや、さすがにそれは――」と言いかけて、途中で止まる。否定できるだけの確信が、自分たちの側にはないことに気づいてしまったからだ。


短い沈黙。


その間にも視線は外れない。袋の膨らみだけがやけに現実的に揺れていて、見ている側の空腹と焦りを、静かに刺激し続けていた。


「でもよ……あの量だぞ。全部使ってるわけねぇだろ」


低く差し込まれた声が残り、誰もすぐには返さないまま、何人かの目だけがわずかに揃う。


「ちょっとくらい回せって話だよな、同じ村だろ、俺ら」


軽く言ったつもりの言葉が、口に出た瞬間に妙な重さを帯びて地面に落ちる。


はっきりと肯定する者はいない。だが、否定する者もいなかった。


その曖昧な沈黙が、互いの中に同じ“足りなさ”を静かに浮かび上がらせ、言葉にしないまま共有されていく。


気づけば空気だけが、さっきより少しだけ固く、重くなっていた。



ーー次の日。


火を焚かない家が増え、村のあちこちに黒い穴のような暗がりが広がっている。その中に人影だけが沈むように残り、顔は見えないまま、低い声だけが途切れ途切れに交わされる。


「……今日も結構持って帰ってたな」


「ああ、見た。あれ、どう考えても余ってるだろ」


少しの間が空く。その沈黙は途切れではなく、言葉を選ぶためというより“同じ考えに近づくための間”だった。


「……なあ、食いきれねぇ分はガルドの家にまとめてんだろ?」


別の声がさらに低く落ちる。誰もすぐには否定しない。否定する理由を探すより先に、沈黙の方が長く続く。


「だったらさ、少しくらい減っても……気づかれねぇんじゃねぇか」


その一言で、空気がわずかに動く。だがそれは拒絶ではなく、むしろ“形を探す揺れ”だった。


「……毎回きっちり数えてるわけじゃねぇだろ。夜なら分かんねぇよな、あいつら戻ったらすぐ寝てるし」


「ほんの少しだ、ほんとに少しだけなら……」


言葉は次第に曖昧さを失い、代わりに輪郭を持ち始める。どこから入るか、いつなら見られないか、どれくらいなら“問題にならないか”。


最初はただの愚痴だったはずの会話が、気づけば静かに“手順”へと変わっていく。



その夜――


カサ、と乾いたものが擦れるような小さな音が闇の奥で鳴る。意識していなければ聞き流してしまうほどの些細な気配だったが、その場にいた二人にとってはそれだけで十分で、ユウの意識は一瞬で眠りの底から引き上げられ、残っていた気だるさが霧のように消える。


すぐ隣で、ガルドも同じように目を開けていた。


言葉はない。だが、互いに状況を確認する必要すらなかった。視線だけが同じ一点へ向かう。


扉だ。


完全には閉まっていない。指一本分ほどの隙間が黒い線のように口を開け、そこから夜の冷気が細く流れ込み、部屋のぬるい空気をわずかに揺らしている。


次の瞬間、その隙間がわずかに広がる。


抑えたつもりの動きで扉が押され、軋みを殺そうとしているのが分かるほど慎重なのに、床板にかかる重みだけは隠しきれず、ミシ、と小さな音を落とした。


(……盗みに来たか)


ユウは一瞬で理解する。


男の影が部屋に滑り込む。手にした布袋はすでに形が崩れていて、中で硬いもの同士が触れ合う音がかすかに鳴っている。それでも気にする様子はなく、干してある肉と骨へ真っ直ぐ視線を向けたまま、迷いのない手つきで伸ばしていく。


(……迷ってないな)


盗むかどうかではなく、“どれだけ持っていけるか”だけを測っている動きだった。


次の瞬間、ガルドは息を止めたまま、低く声を落とす。


「……おい」


その一言が闇に落ちた途端、空気が変わった。まるで部屋の温度だけが一段下がったように、男の動きがぴたりと止まる。伸ばしかけていた手が宙で固まり、数拍遅れてゆっくりと振り向いた。


暗がりの中でも分かるほど、その口元がわずかに歪む。驚きではない。苛立ちと、見つかったことへの後ろめたさを無理やり押し込めたような歪みだった。


「……何してる」


ガルドの声は低いまま、揺れない。


男は肩をすくめるように息を吐き、手にした袋を軽く持ち上げる。中で骨がぶつかり、コツ、と乾いた音が鳴った。


「……何って、見りゃ分かんだろ。ちょっと借りるだけだよ。全部持ってくわけじゃねぇし、どうせ余ってんだから、少しくらい減っても困らねぇだろ」


軽い言い方だった。だが視線だけは外さない。むしろ、“それの何が問題なんだ”と言いたげな開き直りが滲んでいる。


そのとき、ユウが静かに体を起こした。布が擦れる音が、やけに大きく響く。


視線だけを男に向けたまま、短く言う。


「……それ、元の場所に戻せ」


感情を削ぎ落とした声だった。


男の視線が、ゆっくりとユウに移る。


「……は?」


間の抜けたような返事。だが、その奥にじわりと熱が混じり始める。


「何もしてないやつが、触っていいもんじゃない」


静かだった。だが、“線”だけははっきりと引かれている。


男の眉が、ぴくりと動く。


「……はぁ? ガキが何言って――」


「何もしてないだろ」


男の口が一瞬止まる。視線が袋、床、扉、そしてもう一度ユウへと落ち着かずに揺れ、空気だけがそこで固まったように重くなる。


その沈黙を割るように、ガルドが一歩踏み出した。


「……聞こえなかったか、それは置いていけ、今すぐだ」


その一歩で、場の圧が一段変わる。


「……っち」


舌打ちが弾けた次の瞬間、男は持っていた袋を乱暴に床へ落とし、ドサッという鈍い音とともに中の骨がぶつかり合って嫌に響く。


「ケチくせぇな」


それだけ言い残し、男は踵を返す。


足音を隠す気はもうなく、床板がミシ、と鳴るたびに苛立ちがそのまま滲み、扉を乱暴に押し開けて外へ出ていき、閉め方も雑なまま隙間だけが残り、そこから夜の冷気が再び流れ込んでくる。


やがて足音が遠ざかり、完全に消えた。


静寂が戻る。


ユウはゆっくりと息を吐き、知らないうちに入っていた肩の力をわずかに抜きながら視線を落とす。


床に転がった袋は口が半分開いたままで、中から干し肉の端が覗いている。さっきまで誰かが持っていたものが、ただ床に落ちているだけの状態に戻っていた。


ほんの少し手を伸ばせば、簡単に持っていける距離。だからこそ、さっきの男も迷わなかったのだろう。


(……こうなるとは思ってたけどな)


一人で終わる話じゃない。


さっきの態度、言い方、そしてあの迷いのなさ。あれは衝動じゃない。“これくらいならいい”という線引きが、すでに誰かの中にできている動きだった。


一度踏み込まれた以上、ここで終わらない。


ユウは顔を上げる。


視線の先、わずかに開いた扉の隙間へと目を向けた。


外は真っ暗で、何も見えない。


だが――


あの暗がりのどこかに、まだ誰かがこちらを見ているような気がした。



一話の修正が2,3時間かかるなんて思ってもみなかった

次話めちゃ短いのでよろしくお願いします

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